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やっと会えたホストファミリー

Cracneil familyと出会えたのは翌日の夕方。
子供が3人で、13歳女の子、15歳男の子、17歳女の子、郵便局勤務のお父さん、スーパーでパートしてるお母さんの5人家族。とてもおおらかな家族という印象✨

お父さんはEnglandのMAPを持ってきて色々と説明をしてくれる。今は何も覚えてないけど、とにかくお話好きで、その会話のお供になるのがEnglish tea☕️お父さんは毎日8杯も飲むそうだ。long cupになみなみに注がれたhot teeは必ずミルクティー。断ることが出来ない私も一緒に飲む。大きな身体でとても優しく、家事も日曜大工も全てこなす。イギリスは家を建て壊し新築を建てることより、自身でリノベして何百年と建物を大切にするそうだ。建築家の端くれで仕事をしていた私は、日本の住宅建築に対して疑問を抱いたのはこの時だった。ちょうど私がfamilyになった頃は、トイレを改修していた。一階と二階の階段の途中にそのトイレはあった。もちろん改修している間は使えない。二階と三階の階段の途中にももう一つトイレはあったが、親戚の女性も合わせると今この家に7人住んでいる。トイレ改修よいつ終わるのか?便器もタオルハンガーも木製になり、明るい印象になりお父さんもご満悦😆こうやって一つずつ自身でリノベして家を愛するのはとても素敵だと思った。

お母さんは、肝っ玉母ちゃんと言ったところか。歌が大好きで、家事をやる時は必ず歌を歌っている。アイロンがけの時は踊りながらも〜楽しく陽気で太陽の様な存在☀️しかし、その当時17歳の長女に悩まされていたのは隠しきれていなかった。高校生だった長女にはお付き合いしているボーイフレンドがいた。彼とは外泊が多く、その話題になると明るいお母さんの顔は険しくなっていた。自然と他の家族はリビングから離れていくのを感じ、私もタイミングを見て部屋に移動する事を覚えた。
お母さんが作ってくれる料理は、とてもシンプル。これがイギリスでは普通だと後で分かったが、週に2回は出てくるクリームシチュー。マッシュルームたくさんのクリームシチューは実は苦手だった。私は芋好きなので、ボイルポテトにトマトソースが掛かっている食事が1番好きだった!イギリスの食事といえばfish&chipsだが、テイクアウト以外で食卓に上がることはなかった。週末出かける時はランチボックスを用意してくれる。それは、sandwich、apple、potato chipを紙袋に入れてあるもの。日本のお弁当とはちょっと違う。容器はなく、全て捨てられて帰って来れるもの。その時、ふと母の言っていた言葉を思い出した。『子供がご馳走様〜とお弁当箱を持ち帰って来て、中身が空っぽだと、それだけで嬉しい』と。イギリスのお母さん達は子供がランチをちゃんと食べたかどうかは確認が取れないんだなぁ〜日本のお弁当って親子のコミニケーションも取れて優れたものだ。と感動した覚えがある。

17歳の長女は、生意気盛りといった感じの子だった。私とはコミニケーションを取ろうともしなかったので、残念なことに思い出がない。真っ赤な口紅をつけ、コロンをたくさん振りかけて、いかにもギャル!家にいればお母さんと揉めてる印象しか残っていない。バイトもやっていたので、ほとんど家にもいなかったが、印象がとても薄い。

15歳の長男は、素直にまっすぐ育ちお父さんに似て優しい子だった。日本の子供達と変わらず、お友達の家に行ったり来たりしていて、友達も多い子だった。その当時はファミコンがイギリスでも流行っていて、スーパマリオブラザーズをやっていた。ある日、私も一緒にやらないか?と声をかけてくれた。大人になっていた私は、その頃は一切やっていなったが、中学生の時にファミコン世代だったのでお手のもの〜ついつい本気モードにスイッチが入ってしまい、中学生男子と盛り上がりました。
お母さんと長男と私の3人でフランスには帰り旅行に行った事は後ほど記します。

13歳次女は、日本で言うと中1。この前までランドセル🎒を背負っていたとは思えないほどの高身長!170センチもあった。まだまだ無邪気で人懐っこく、しょっちゅう私の部屋に入って来ては、おしゃべりと私の私物に興味があるのか?沢山のものをあげてしまいました!babyGの腕時計は痛かった。。。でも、彼女がたくさん話してくれたお陰で英語がわかる様になったので、家庭教師代だね!

そんな家族と2ヶ月の共同生活が続きました。

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