「伝える」ということの大切さ
会話にはさまざまな情報が飛びかっている。
内容は二の次であるという、科学的結果があるくらいに。
話し手が聞き手に与える影響を数値化した、「メラビアンの法則」。心理学者のアルバート・メラビアンが提唱した概念で、それによれば、会話は、視覚・聴覚・内容の3つにわけられ、それぞれ55%、38%、7%といった比率だ。
ゆえに、本当に、内容は二の次、どころか三の次。どうでもいいということではないが、人は視覚と聴覚の情報を無意識に意識しているということがわかる。
確かにその通りだ。肩を落とした様子で声のトーンが落ちていると「落ち込んでる」と思えるし、笑顔で声が高いと、「なにかいいことがあったんだな」と思える。
しかし、これが文章になるとどうだろう。
そこにあった表情、感情、空気感(雰囲気)が一気になくなる。無機質な文字の並びがあるだけ。仮に想像するとしても、読み手次第になる。
この、「読み手次第」が厄介かもしれない。
なぜなら、彼らは読むものを「与えられた」だけだから。見方の指示もされていない。自由に読み、自由に解釈する資格がある。それがかえって、書き手と読み手の解釈の齟齬を生み出すことがある。それが結構曲者だと思う。
どうしたらそんなことが起きないようになるか。私は私なりに考えてみる。
記事の種類によって多少変わると思うが、今回はインタビュー記事で考えることにする。
たいていインタビューは、書き手が聞き手(インタビュアー)になり、インタビューする人(インタビュイー)から話を聞き出す。
その際、録音してる人がいれば、録音に加えメモを取ってる人、もしくはなにもとらない人、メモだけの人もいるだろう。
それで、録音したならそれを書き起こし、再構成していくと思う。
ここが問題だ。
話し手が話し手の言葉で話したものを失われないかどうか、ということ。
読み手に話し手の想いが伝わるような文章が書けているかどうか、ということ。
他にもあるだろうが、こういう問題が浮上する。プロは慣れているので問題ないとして、私みたいな書き慣れていない人、初心者はどうすればよいか。
「1番伝えたいことはなにか」
まずこれを意識するのがいいのではないか。
どんな記事にも、文章の最初か中盤か最後か、もしくは最初と最後に伝えてたいことが書かれている。だから、中身もすっと入ってきやすい。なぜなら、中身はその伝えたいことの詳細を伝えていることがほとんどだから。
仮に、これを意識せずに書いたら、ただの文章だ。私はそう思う。
書き言葉にしたら、そこに感情・表情・雰囲気/空気感は失われてしまうけれど、「伝えたいこと」を意識して書き、「伝えたいこと」を最初か最後に置けば、少なくとも読み手に配慮されているし、読み手と書き手の解釈の齟齬はそんなに大きくならないのではないか。
私も「伝えたいこと」を意識して、今後も書くことをしていきたい。
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今日で最終回の、全5回の仕事ゼミ~文章で生きるゼミ~の最終課題を載せました。
先日載せた、「書き言葉になることで失われるもの」を再構成したものになります。
読んで頂き、ありがとうございました。
では。