書き言葉になることで失われるもの
こんにちは。
ふじいさん。です。
2回目の仕事ゼミに参加して思ったことを書いていきます。
その前に!
2回目がどんな回だったか、さらっと書きます。
2回目は、初回の受講時間中に、2人1組で行なったインタビューの書き起こし記事を、ナカムラさんが部分的に添削していました。
(全部をチェックしていくと、受講時間を大幅にオーバーするみたいなので、部分的添削でした。実際部分的添削でも30分ほどオーバーしてました。笑)
私は聴講生としての参加なので、聴講生の添削はありません。
(そもそも書き起こしを少しやったまま、放置しています←)
思ったことは、タイトルからも想像つくかもしれませんが…
「会話と書き言葉では空気感が違う」
まず、こう思いました。
2回目の時間中、各受講生の書き起こし記事をチェックする際に、インタビューしたときの様子がわかるように、チェックされるペアは読んでいました。
しかし、再現の音声なしに読んだとき、そんな様子だったのかと果たして想像できるか謎なところが、ほとんどの記事でありました。
会話だと、感情が乗っていたり、声のトーンや言葉のアクセント・イントネーションがあったり、雰囲気がわかったりするのに、書き言葉はそういうものがないです。文字がただそこに並んでるだけです。
感情などを想像するにしても、読み手によります。
だからこそ、思うのは、
「書き手は、自分の言いたいことをちゃんと汲み取ってもらえるように、読み手に配慮する」ことが大事だと思いました。
書きたい想い、伝えたい想いもそうですが、読み手に誤解されないよう、語弊がないよう、配慮すること。
私はそれを思いました。
ひとまず、この記事はここまで。
では。