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アメリカと日本で戦争教育を受けた私が見た、日米「戦争」の捉え方の違い

今回は、私自身が小さいころからなぜか興味があった「戦争」からの学びについて書いていこうと思う。

というのも私は、日本とアメリカの両方で太平洋戦争を中心とする戦争教育を受けた。日本では小学校、中学校で、アメリカではミズーリ州にある公立高校、いわゆる留学生がほとんどいない現地校でアメリカ史の一環として戦争教育を受けた。

第二次世界大戦の敗戦国と勝戦国。原爆を落とした側と落とされた側。自衛隊という自衛を目的とした戦闘力しか持たない日本と、戦うことを目的の1つとして作られた軍を持つアメリカ。

この2か国の歴史の捉え方、現代における「戦争」への考え方、「戦争教育」を受けているクラスメイト達の反応、原爆の捉え方。それはもう全然違い、両視点からの学びは「正義」や「物事への決断」という意味で自分にとっても学ぶことが大きかった。

現在ロシアによるウクライナ軍事進攻が進んでいる。私には、ロシアにホストファミリー、ウクライナに留学時代の友達がいた。ロシアの軍事進攻が始まった当初、私のインスタグラムのストーリーには防空壕の中の様子を映すウクライナの子のストーリーとロシアの日々を映すホストファミリーのストーリーが同じ画面に映っていた。

その後ウクライナの友達はチェコに避難し、ロシアのホストファミリーとはインスタグラムの断線により連絡が取れなくなった。

私がどこか戦争を今だに他人事とは思えないのは、こうした状況も大きく関係しているのかもしれない。

私が初めて「戦争」に興味を持ったのは、小学校の頃にテレビで見ていた連続テレビ小説「梅ちゃん先生」と小学校の歴史の授業での終戦の学びであった。

私の実家の朝は、私が小さい頃から今まで連続ドラマ小説とともにはじまる。私が小学生の頃放送していた「梅ちゃん先生」は、その時代設定から戦争に関する内容もしっかりと描かれていた。すべてを覚えているわけではないが、私の記憶に長年残っているシーンが終戦後、学校で先生が生徒達に教科書の「墨塗り」を指示するシーン。一行一行戦争を肯定する内容の教科書の中身を墨で塗っていたシーンである。なぜかわからないが長い間私の脳にこびり付いていた。

その後小学校の歴史の授業で、終戦、終戦後の人々の暮らしについて学び、「梅ちゃん先生」の映像で見た、墨塗りについても学んだ。8月14日では「戦争が肯定する子ども」が「善」とされ、8月15日では「戦争を肯定する子ども」が「悪」とされる時代があったということ。その1日で国としての「正義」が真逆になるという時代に、なぜか自分自身を重ね合わせた。それまで戦争は恐ろしいことだと信じ込んでいた私が、「もしその時代の子だったら戦争を肯定していただろう」という事実にショックを受けたともいえる。当時の私は、共働きの親の元で育ったこともあって学校でも家でも「いい子」でいることを意識し、親や先生がいう「正解」に沿っていい子でいようと思っていたこともこうした感情を生み出したのかもしれない。

日本の戦争教育は(太平洋戦争)、東京などの都市に落とされた空襲の被害やそこから逃げるための疎開、終戦に向けて貧しくなっていく人々の生活、国家総動員という雰囲気の中で規制されていくメディアや教育。そして何より、原爆によってどのような被害と後遺症を日本人が負ったのか、原爆と空襲の違いを学び、「戦争は今後二度と起こってはならない」という教育があったように思う。

私はその後、アメリカの現地高校に交換留学を果たし「アメリカ史」を現地の先生から学ぶことになる。

※アメリカでは生徒に配られる教科書は存在しない。各州による指導要項は先生に与えられているが、その指導方法や指導内容は各州、各先生によって大きく異なる場合も多い

まずアメリカという国は戦争での敗戦を現在まで経験していない。唯一、敗戦ではないものの勝戦ともいえないのがベトナム戦争。

そのため、「戦争」というものに対して「100%悪である」という考え方はあまりない。アメリカ人の中には「戦争」によって救える命、救えるものがあるというのが、現地の人々との会話から感じたアメリカの戦争に対する考え方である。

アメリカ史の授業の中でまず一番最初に学ぶのは、「真珠湾攻撃」。太平洋戦争の開戦となるきっかけの日本側からアメリカに対する攻撃である。実は数多くの戦争を経験しているアメリカにとっても、後にも先にもアメリカの本土が攻撃され、アメリカ側の死亡者を出した唯一の外国からの攻撃。それが「真珠湾攻撃」である。そのため、アメリカのテレビでは真珠湾攻撃が行われた日は日本の終戦記念日のように、アメリカのニュース番組で「真珠湾攻撃」に関する特集が組まれることがある。それほど、アメリカにとっても大きな出来事であると捉えられているということだ。

またアメリカでは「東京大空襲」などの空襲にはほとんど触れられず、「沖縄戦」「硫黄島での戦い」について時間をかけて学んだ。この2つの対戦では、空襲ではなく地上戦の直接対決となったため、多くのアメリカ兵が亡くなった。また、これらの戦いについてアメリカ側は日本が想定よりも粘り強く、戦力的な戦いによりアメリカの攻略が思ったよりも長くかかったと学ぶ。加えて、日本の特攻隊作戦に関してアメリカ側の歴史では捨て身でありながら効果の高い攻撃として高く評価されている。アメリカでは面白いことに、「特攻隊」とは学ばず、彼らの攻撃方法について「KAMIKAZE Attack 」と学ぶ。「神風」、つまり、神が日本に味方するかのような厄介な攻撃ということだ。

当時アメリカ国内にいた日本人は、今でいう米軍基地のように、彼らが住む地区が作られた。在米日本人ののスパイとしての活動を防ぐため、外からの情報が遮断された状態になるように、在米日本人をその地区に閉じ込めたのだ。その地区では、病院、教育機関、スーパーなども存在し、生活には困らない場所であった。

そして原爆。原爆については、落としたのが「良かった」「良くなかった」という教育は受けない。アメリカが原爆を落とした際の原資爆弾の威力、被害をシミレーション映像とともに振り返る。実際の画像も見せられたかのように思う。そしてこれに対して、各個人がどう思うのかというのを教師は生徒に問いかける。生徒の反応は様々である。「戦争を止めるためには仕方がないこと」「日本の暴走を止める唯一の手段であった」と語る生徒達が多数いた。また、「原爆は正解だった」と語る生徒の中には「長崎に落とす理由はなかった」と語る生徒も多くいた。戦争を止めるために必要だったのは、広島に落とした1発で十分だったという考え方である。

そして終戦。日本における終戦は昭和天皇が玉音放送で終戦をつげた「8月15日」とされているが、アメリカにおける終戦はドイツが降伏を示した日である。アメリカは終戦=戦勝国であり、みんなが戦争が終了した喜びからそこかしこで踊り始めたりするような様子が当時の画像から見受けられる。ここで印象的だったのは、アメリカの生徒達は日本の国民は終戦についてアメリカの人々と同じように喜んでいると思っていたということだ。

日本は戦時中アメリカの空襲により戦火にさらされ、貧しい日々を送っていたことはアメリカの教育の中でも学ぶ。しかし、それは日本の政府の横暴であり国民はそこから解放されることに喜びを覚えているはずだという考え方である。少なくとも私のクラスの生徒達やホストファミリーは、アメリカは日本国民を戦争から救ってあげたという考え方が強く、それに日本国民は感謝し喜びを覚えていたという考え方があったのだ。一方で私が日本で受けた教育の中の終戦は、「戦争に負けた」ことに打ちひしがれ、アメリカ軍の進行を恐れ、涙と絶望の中にいる人々の姿である。その捉え方のギャップに高校生だった私は驚き、大きく戸惑った記憶がある。

その後、自身で「終戦後の日本」というテーマでクラスメイト向けにスライドを作ったのはそれだけ自分の中でなにか思うところがあったからなのかもしれない。

そのスライドを見たホストファミリーやクラスメイトが目を大きく開け、驚いた表情をしていたのが今でも記憶に残っている。

その後大学生になり、1人で広島の原爆資料館を訪れたことで、幼少期から持っていた私の戦争の学びへの興味はいったん収まりを見せる。

私はこのNoteでアメリカと日本の戦争教育の是非を問うつもりは全くない。原爆を落としたのが正解だったのか、不正解だったのかについて語るつもりもない。

私が2か国の教育を受けて学んだことは1つ。「正義は危険になりうる」ということ。

「正義は危険になりうる」。同じ歴史上の物事を見ているはずなのに、物事の見方によって人々はそこにそれぞれの「正義」を持ち寄る。そしてその「正義」の言葉のもとに、人を傷つけることを正当化してしまう。しかもその正義は時代背景によって変化し、その正義に疑問を持ち始めたとき、人を傷つけたことに気づいた時にはもう後戻りはできない。

この学びを得てから、私は自分を信じすぎないようになったともいえる。自分が正しいと思うことがあれば逆側の立場からも考えてみる。自分の正義が誰かの大切なものを壊していないか、誰かを傷つけていないか。
人とのコミュニケーションや物事を進める際に自分自身に常に問いかけることである。

自分の中に主観と客観を共存させるように意識することは、様々な場面で役に立つ。例えば何か企画をプレゼンするとき、「自分がいい」と思ったものが「相手もいい」と感じれるようになっているか。1人よがりのプレゼンになっていないか。

1つのことについて意見を伝える時でも、相手にとってより納得感の高い話方、表現の仕方はあるだろうか。実例を出す際は、相手が想像しやすいものであるかどうか。

私が2か国の戦争教育から学んだことはそういうことだったように思う。少し不思議な角度からの学びのように聞こえるかもしれないが、確かに私にとって大きな過去からの学びである。





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