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わたしの人生

人生が「わたしの」人生と気付いたのは、いつだろう。

わたしは優柔不断なところと、決めたらこれだという底力を出す
両面もっている。

ピンときているかどうかの違いかもしれない。

ある時までは親の言うとおりだったり、教育やマスメディア、
外側の情報を鵜呑みにしたり、
みんながやっているとか流行っているとか
そういう価値観の中で物事を判断していて、
自分で決めているようで自分の本心と違ったり
自分に聞かず「一般的にこう」みたいな決め方をしてしまったことも多い。

今でもよく確認しないと、
自分で決めた風に流されそうになるけれど
徐々に変わってきた。


大きな違和感にぶち当たったのは
「孫の顔が見たい」と母親に懇願されたとき。

わたしはそういう問題については、パートナーとわたしとの間のことで
他の関係の人は立ち入らないという考えがあり、

とりあえず母が話し終えるまで聞き、

あなたの考えがそうである、ということはわかったが
パートナーと決める範囲のことであるという考えを伝えた。
わたしの人生だからと。

わたしがそういう風にいうのは初めてだった。

正しいかどうかはわからないけれど、
その場限りの嘘をつくことはわたしには出来なかった。





今まで自分で決めてきたことも、自分で考えたかというより
周りに合わせたり、親の期待に応えたいみたいな部分があって
それに気付いた時
自分のペースを越えて全力疾走してきて、もう人生の3分の2くらい駆け抜けてしまっていたような気分になった。

そこからは立ち止まったり、
新たな挑戦をしたり、
過去の苦しみから抜け出したくてもがいたり、
一歩ずつ本当の意味で歩き始めた気がする。

いろんな人がいて、
わたしも日々変わっていく

それぞれが
気持ちのいいところをしっかり感じたり、
等身大で生きたり、
しあわせでいることが連鎖していくのだと思う。

季節が移り変わる
その時々の美しさ
旬のもの

いろんなことがあるけれど
今、満ち足りていられたら。
そういうことひとものが増えたなら。

わたしにできること
小さくともやっていこう。

わたしの人生



2004.04.29
ぶ、分析しないでねっ

というブログを宇多田ヒカルさんが投稿しており、

結婚とか子供とか、モヤっとしている方が読めたなら
もしかしたらものすごく心が軽くなるかも。

20年近く前の文章ですが
ものすごーく遡れば行き着くので、
必要な方へ
広まって欲しいなと密かに願っている。


サポートのエネルギーを循環させていきます。