なんでもないを生きてんだ〜

はじめて就職したら
その肩書きがデカすぎて
それを言うと人がそっと遠ざかったり
チヤホヤされてずるいと兄弟に陰で言われていたり‥
わかりやすいってすごいけど怖いと思った

その次
パートでフルタイム
主婦ばかりの中に飛び込む
質問責め
独特の派閥
定年までここにいるのか‥となると全部の髪の毛が一気に白髪になりそうで
すきあらば休憩時間は1人で過ごしてた

その後
人前に立ち販売をする
最初の職場を体調崩してやめて
人に会える状態ではなく
二つ目は人の出入りのない倉庫のような場所だったので
誰が来るかわからないこと
人前で普通に対応できるのか
とにかく怖くて震えてた
緊張しないようにすればするほどカチカチで
「この人はなぜそんなに緊張しているのだろう」と
思われていたかも
柳原可奈子さんのモノマネ、までは行かないけど
ショップ店員あるあるみたいな言い回しを言って頑張っていたら
殴られたわけではないのに全身がそういう痛みを感じるようになった
あ、これはそのやり方違うってことだなと察知した
その代わりにわたしは人前に出られなかったスキル?で
久々に外出した(であろう)人や
グイグイいくと逃げ出しそうな人を察知できた
そんな方が安心してお店に来られる人としてその場にいた

そして今
お休み期間というか
さなぎのように過ごして生きている

肩書きの主婦もなるべく使いたくないので
なんでもない人をしている

人と比べても比べなくても
なんにもしていない感じで
寝たきりの時期も昼夜逆転した時期もある

掃除とか
家事のちょっとしたこと

あかりをともすひと?

仕事をしてないなんて!と言われても
いい身分ね!って言われても
とりあえず近場で仕事をしたら泣いて拒否反応が出て
抜けてた普通にそまれないんだって
わたしが働くことで助かる人もいるかもしれないけど
無理矢理続ける意味あるかな?って
辞めました

とりあえず生きていけているし
これから先どうなるかわかりません

体調を崩していたり
うまく何かができなかったり
それを隠して生きて
大丈夫なふりをやめました
なんもしてないけどそういうことをはじめて
自分の本音を出している、気付くていくところなのかなと
思っています


数日家を離れて帰ってくると 澱んでいるんです
わたしが家にいて
ただそれだけで家の空気が動いたり
存在があってそれに家も共鳴しているのかなと思います

何かどでかいことをしよう、という夢より
ちいさくて自分しかわからないようで
些細なことだけど
実はものすごく
意味あることってたくさんある気がしています

こういう感覚に気付けたのは
ありがたいこと

今までの人生がすーっとレールの上を行っていたら
わたしにはこういう感覚になることはなかったかもしれません

何があるかわからない
それを不安だったのが
ちょっとずつ楽しめるように
何もしてない中に豊かさがあるように
足るを知るをしれたように
季節の移ろい
日々の空
今を味わう

そういうものの中に大切なものがありそう

なんでもなさが
魅力のひとつとなるように

サポートのエネルギーを循環させていきます。