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動物と共存するとは何かを考えてみた

あるSNSで見つけたこの画像

「1匹の犬を助けることでは世界を変えられないけど、
間違いなくその犬にとってその世界は一生を変える」

この言葉が大好き。

今日はここから感じる動物に対しての
私の意見を語ろうと思います。
まぁ叩かれるかと思いつつそのまま綴ります。笑

..................................…

世間では、ペットショップや繁殖業者の
悪行が明るみになって、
それに対して活動している保護団体や
それを応援する人たちが増えて、
それはものすごく素晴らしいことだし、
世界の動物たちを救う
とても大切なことだと思う。

だけど…

わたしはどうしても何か違和感を感じる。

例えばペットショップ問題。
彼らが今のような形になったのは、
私たち消費者の需要の元に成り立ったもの。
私だって若いときはペットショップに行って、
ショーウィンドウを見て
「かわいいいいーー」とはしゃいでいた。
なんの疑問も持たずに、
家族で犬をペットショップから
購入したこともあった。

そういう【需要】が存在したからこそ、
商売としてペットショップの
【供給】の形が出来てしまった。

それを受け入れずに
ただペットショップ側だけを責めるのは
どうなのだろう…という違和感。
決して彼らの行為を肯定している訳ではない。
ただなんだかしっくりこないのだ。

………

次に、ペットショップから動物を飼うのか
保護された方を飼うのか問題。

どうやら巷では
保護犬マウントなんてものがあるらしく。
ペットショップから犬を向かい入れた人に
マウントをとってくるらしい。

これも違和感しかない。笑
ペットショップという商売がある限り、
そこにいる動物たちが売れ残れば、
その子たちの命はどうなるのだろうか。
もしも日本中のペットを飼いたい人たちが、
一人残らず保護動物を迎え入れたら、
確かにペットショップという
商売は存続できなくなり無くなる。

でもそれを実現させるために、
そこにいる命を犠牲にするのか?

……

私は動物の命や植物など、
この地球上に存在するすべての命は
同等な立場だと思っていて、
だからこそそれは「保護する」ものでも
無いというのが私の考えです。

私にとって保護というのは
弱いものを強いものが守る
というイメージがあって、
つまり人間が何かを保護するのは、
どうも上から目線な気がして好きになれない。

自然の力、動物の能力、
そして彼らのエネルギーというのは、
私たち人間じゃ感じられない程
すごいものがあるって思ってて、
人間は頭が発達している分その辺には疎い。

つまり何が言いたいかというと、
それぞれ長所短所があって、
どちらが優れているという概念はないということ。

さらに語ると、
人間には喜怒哀楽を感じる感情がある。
もちろん動物にもないわけでは無い。
ただ私は、
どんなに酷い扱いを人間から受けた動物でも
最後に憎しみを持ったまま
命を全うするようには思えない。
私はエネルギーのことは全く見えたり
感じたりしないし、
動物の感情について専門的な知識はないけど、
動物が怨念のような憎しみを
人間が感じる価値観のまま同じように感じるとは
どうしても思えないのだ。

もちろん恐怖は感じていると思う。
でもそこで例え命が着いてしまったとしても
憎しみや後悔のようなもがあるとは限らない。

つまり、人間が勝手に人間の価値観でいじめ、
人間の価値観で勝手にかわいそうに思っている。
私にはそういう風に見える。

何が結局言いたいかというと、
始めの画像の言葉に戻って、
ひとつの命を救っても世界は変わらないけど、
今目の前にいる命と幸せに暮らせれば、
自分の周りの世界は明るくなるし、
そんな小くても幸せな世界が増えれば、
世界全体が幸せになるよねって話。

決して人間のせいで滅びていく命を
当たり前の様に無視し続けろって訳ではない。

ただ、自然は自然で自分で再生する力を持っている。
動物だってかわいそうと思っているのは人間だけ
かもしれなくて、本当のところは私たちにはわからない。
だったらそんなところにわざわざ
負の感情をぶつけて怒ったり罪悪感を感じるんじゃなくて、
今目の前にいる命と対等に、
尊重し合って同等に生きていくことが、
今私たち一番最初にやるべきことなんじゃないかって
私は思うのです。


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