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一本の糸

子供の頃、あやとりをしたいと祖母に言うと、からまった毛糸を玉ごとくれました。そのからまりを丁寧にほどいて、一本の糸にしてあやとりを作りました。

病気で退職した翌日に友人と再会し、紹介された一冊の本。
「職業、ブックライター」上阪徹著。講談社刊
(詳細は「note(ブログ)を始めたきっかけ」をご覧下さい。)

ブックライターとは、著名な経営者、芸能人、スポーツ選手などにインタビュー形式の取材をして、その内容をコンテンツとして構成、文章化して、著書に代わって書く仕事です。
本を読み進めていくうちに、やりがいや楽しさ、取材方法、文章化するノウハウ、書籍作りのパートナーとのやりとりなど、知らないことの連続で、数時間で一気に読み終えました。へぇー、世の中にそんな仕事があるんだー。自分もこんな仕事ができたらいいなあ~。

病気になる前は日々の仕事や生活に追われ余裕が全くなく、ひたすら前を見て走り続けてきました。
病気になって過去のことをよく思い出すようになりました。きっかけは恒例の24時間テレビ。懐かしい曲が流れ、その時の情景を思い出し、過去の出来事が走馬灯のように頭を駆け巡りました。

読み終わり、小学校の授業が鮮明に思い出されました。
先生から「来週のこの時間は、消防車について勉強します。調べたことを発表しましょう」との宿題。
当時は、スマホはもちろんインターネットもありません。
帰宅して母に話すと、「消防署に知り合いがいるから話を聞きに行こうか?」と。「図鑑で調べるよりも面白そうだから、お願い。」と言って、数日後消防署で、消防士の方から消防車の種類やポンプ車、はしご車などの役割を説明して頂き、質問をしてそれをノートにメモしました。
帰宅して父に話すと、こういう流れはどうかな?と提案があり、その通りにまとめ直し。
翌日、先生に「昨日消防署に行って調べてきました。」とノートを見せると、「まぁ~よくまとまってるわね。来週の授業で発表してくれるかな?」と言われました。
帰宅して母に話すと、押し入れからなぜか模造紙とカラーのマジックが出てきて(笑)、ノートにまとめたことを模造紙に色分けしながらまとめていきました。
当時は内気で寡黙、授業中に手を挙げて発表など恥ずかしくてできない性格でした。
授業での発表は恥ずかしくて早く終わりたい一心で、模造紙に書いたことをただ読んでいただけのような気がします。発表を終えると、廊下まで響き渡るくらいの拍手だったことを今でも覚えています。
それ以上に嬉しかったのは、先生から「素晴らしい発表でした。良く頑張りました!」と褒められたことでした。運動も苦手、勉強もイマイチ、性格も内気だった私は相当嬉しかったと思います。
よほど嬉しかったのか、また先生に褒められたくて、その後も「警察署」「電話局(現在のNTT)」「市役所」「建設会社」等、母の知り合いに取材を重ねていきました。毎回取材では、そこで働く人たちが熱心に話をしてくれ、必死になってメモをしました。帰宅してまとめ直し、押し入れから模造紙と色マジックを出してまとめることがとても楽しかったです。
今から思うと母は、人口数万人の地方都市で地元生まれ地元育ちとは言え、驚く程の人脈の持ち主だったと敬服します。当時は取材をしているという感覚は全くなく、もちろん取材という言葉すら知りませんでした。
もしそれが取材だと理解していれば、今頃は新聞記者として総理記者会見で、「日経新聞のポテチです。」と岸田総理に質問していたかもしれません。全くの空想ですが(笑)

高校時代は親元を離れて3年間寮生活をしていました。息苦しいこともありましたが個性的な人が多く、良い経験になりました。
進学校でしたが、系列校に進学希望だったこともあり、勉強はほとんどしていませんでした。
寮での勉強時間は、夜の7時~10時までだったと記憶しています。
勉強時間でも読書は可という謎のルールがあり笑、「勉強」か「読書」の二者択一で、私は「読書」を選びました。読んで見ると面白く、高校3年間は読書の記憶しかありません(笑)

大学に進学してからは、アルバイトでお金を稼ぐ喜びを感じ、ひたすらバイトをしていました。
社会人になってからは、お酒のおいしさを覚え、会社帰りは毎日先輩と飲み歩いていました(笑)

タクシー乗務員の時は、車内でのお客様との会話の中で、今に至るまでどのような人生を歩まれてきたのだろう?とその方のストーリーを空想するのがとても楽しかったです。

休職中に、体調も一進一退で悶々としていた時に、妻がTwitterで「うつ病だけどツイッターで月収100万円になった」というツイートを見つけて、復職しなくてもこれだったらできるんじゃない?と。
10年ぶりにツイッターを再開。試しに、「精神疾患の人とつながりたい」と検索してみたところ、1日で50人くらいのフォロワーさんができ、ツイートすると「いいね」や「リプ(リプライ=返事の事)」が返ってきて、朝から夜まで楽しく交流していました。ツイ廃です笑
フォロワーさんは優しい方ばかりで、おはツイからおやツイまで心温まる交流が広がり、文章を書くって楽しいな~と思い始めていました。ただ、ツイッターは140字の字数制限があり、書ききれない時が何度もありました。
フォロワーさんの中にはブログで発信している方もいて、ブログなら字数を気にすることなく、もっと発信できると感じていました。

退職日の翌日に久しぶりに会った友人が、「プロのライターとして記事を書いていること」、「ブックライターという職業」があることを知りました。
小学校の社会科の宿題で「取材」をしたこと、高校時代の「読書三昧」だった日々、タクシー乗務員の時のお客様の「人生と言うストーリーの空想」、ツイッターの交流で得た「書く楽しさ」、からまっていた糸が、様々な経験や人生という時間を通じてほどかれ、一本の糸となり「ブックライター」につながりました。

                              ポテチ


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