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ほぼ日刊イトイ新聞の「丸腰人」企画へ投稿された話に、息がとまってしまった話
ほぼ日手帳でおなじみの、㈱ほぼ日が運営するサイト、ほぼ日刊イトイ新聞で、いまどきスマホやケータイを持たない「丸腰人」を探そう、という企画が始まった。
「世の中を右斜め下から覗いてみよう」という感じの、いかにも、ほぼ日っぽい企画。いまどきそんな人いるのかな?と思っていたので、「丸腰人」に関するエピソード投稿が、結構あるのには驚いた。
投稿者ご本人が丸腰人だったり、ご家族が丸腰人だったり。
スマホや携帯を持たなかったことで起きた面白エピソードが、私は好きでよく見ている。
コンテンツの内容からして、昼休みにランチを食べる時、料理を注文をしてから届くまでの間、さっと読むのに、ちょうどいい長さ、軽さのコンテンツだと思っている。
この間も、ランチでレストランに入り、注文し終わったあと、いつものように、スマホをカバンから取り出して、ほぼ日のアプリを開いた。
お、丸腰人のエピソードが更新されているぞ、今回は、どんな面白エピソードかな、と読み始めたのだが、それは期待していたものとはちがった。
料理が運ばれてくるまでの暇つぶしに読むには、感情が動かされてしまうエピソードだった。
その投稿には、淡々と、スマホを持たずに生活していた、投稿者の叔父さんの話が綴られていた。
それは、エピソードではなく、物語だった。
まるで小川洋子の小説に出てくるような。
一人の、静かに生きた人の物語。
思わず息をとめて、スマホの画面を、じっと見入って読んでしまった。
素晴らしい文章だった。
「丸腰人」というオモシロ企画に、このエピソードを、さらっと採用してしまう、ほぼ日さん。さすがよ。。。
そして、スマホを持たない「丸腰人」を探そう、などというコンテンツを、「暇つぶし」にスマホを取り出して読もうと思った私。
私にとってスマホはただの暇つぶしであるはずだった。
でも。
スマホで音楽を聴き、新聞を読み、Kindleを開き、YouTubeを観る。
SNSでいいね!をつける。
顔も名前もしらない誰かの評価は気にするくせに、電車で座れなくて困っている目の前のお年寄りには気がつかない。
可愛いと思ったペットの写真をSNSへ上げる。
たくさんのいいね!がつく。また、ペットの写真を撮りたいと思う。
自分が可愛い、と感じるより先に、SNSに映えるような写真を撮りたい気持ちが先に走っている。
自分のLINEメッセージが読まれたかが気になる。
未読スルーするなんて信じられないと思う。
「未読スルー ○○」「既読スルー ○○」が検索履歴でいっぱいになる。散々、独りで苦しんだ挙句、ブロックして関係を切り捨てる。
息つく暇もなく、自分の感情が上下にうねっていく。
時間はどんどんなくなっていく。
暇つぶしで開いたスマホアプリが、もはや暇つぶしではなくなっている。
「草木のように」か。と思う。
自分にとっての幸せな時間、自分にとって大事なものを知る。
でも、自分に目を向けるのって怖いな、と思う。
そんなことを思った、「丸腰人」エピソードだった。
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