「姫」「プリンセス」とは誰のことか
オカマといふのは、しぐさや言葉使ひが女性的だが、それは女性より女性的で、ある意味、やり過ぎで不自然なところがあります。
そんなわざとらしさが滑稽でもあり個性にもなって、タレントのオカマの持ち味にもなってゐます。
さういふオカマは、
女性になりたかった男
なのかもしれません。
わたしも、女になりたかったオカマとして、女体の追求よりさらにやっかいな欲望に捉へられてゐます。
それは、
女性とは何か、人間を男でなく女にしてゐるものは何かを知りたいといふ欲望です。
わたしはこれを考へ続けてゐます。
女性にしかなれないものに、お姫様とかプリンセスといふ存在があります。
わたしは、そこに人間を男でなく女にしてゐるものがあるやうにずっと感じて来ました。
お姫様やプリンセスと言はれるとわけがわからないかもしれませんが、一般論として、
人間を男でなく女にしてゐるもののわかりやすい要素は、子供っぽさです。
女子供、と一括りにする言葉がありますが、女である人間には必ず子供の持つ要素が入ってゐます。
そもそも人間はチンパンジーなどに比べると幼形成熟、つまり子供みたいな外見のまま成人になる動物だと言はれてゐます。
女性は、その幼形、可愛らしさ、いたいけさの残り方が大きく、それが男性との違ひになってゐます。
動物の、たとへば子犬や子猫の持つ
幼形の、可愛らしさ、いたいけさ
は、攻撃性を低下させるものとして進化したやうです。
女性にはこの幼形が、身体や容貌そして声などにしっかりと備はってゐます。
逆に言ふと、女性において、幼形の要素が少ないほど、その女性は、男っぽい、女に見えない、といふことになります。
人間を含めて哺乳類の動物は、幼形、つまり子供もしくは子供に見える存在に対しては、守りたい、大切にしたいといふ本能を持つ、とされてゐます。
本能なので、どうしようもないのです。
子供の泣き声を聞くと、成人男女は居ても立っても居られない気持ちになるやうに脳が作られてゐるさうです。
守りたい、大切にしたい
といふ気持ちが、男性にとって最も高まるのが、お姫様やプリンセスといった存在です。
西洋の騎士は、自分が姫と崇める女性を持ったとき、死をも恐れず戦ふ騎士になれます。
『俺は、君のためにこそ死ににいく』
といふ特攻隊の映画の題名は、
君、つまりは、その男性にとっての、姫君を持った時に、
男性の守りたい、大切にしたいといふ本能
が、溢れ出して、死ぬことさへ厭はなくなることを示してゐます。
①たまに、個人的に物凄く攻撃してくる人が必ず出てくるけど、大抵はみんなから大切にされてきた。
②「何かしてあげたくなるね」と言われることがある。内気だから頼りなく見えるんだろう(実際頼りない)
②は、姫だからで、内気といったことも幼形とつながって、さうした人の、恥じらひやためらひや淑やかさや控へめさなどは、すべて、男女問はず、守りたい、大切にしたいといふ本能を激しく起動させる要素となります。
①の、「たまに個人的に物凄く攻撃してくる人」は、そんな存在に対して羨望や不公平を感じて苛立ちや悲しみをぶつけたのだと思ひます。
姫やプリンセスになれる女性はめったにゐません。
そして、姫やプリンセスはならうとしてなれるものではありません。生まれつきの容姿や体質や性格が、その人をプリンセスにするのです。
生まれ持ったその体質や性格は、本人には辛いものだったりもしますが、姫やプリンセスに生まれついてない人には、実感できないため、なかなか、推察出来ないことだと思ひます。
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