性別違和感とパス度
男性の持つ、性別の違和感。
男性と生まれたけれど、「男性であるのは嫌だ」「女性になりたい」といふ思ひの、深層にあるのは何なのだらうか?
ってずっと考へてます。
さういふ理屈より、
男→女
の場合、そのトランスレートのための本質的な要素は、
パス度
ですね。
男でなく女だなとわかる、思へるのは、
美しい 可愛い
といふ要素があること。
この要素が無くなれば、もう、男でも女でも性別なんてどうでもいい話になります。
元も子もない、ぶっちゃけたことを言へば、
性別といふのは、
±女
なのです。
だから、男性に性別に関する違和感が無いわけがない。
自分には固有の性別が無い、と気づくことが男性であることの自覚なのだから。
生まれつき、女の子に間違へられる容姿をしてゐる男性がいっそホルモン剤も使って女性になってしまはうと決意するのは、喧嘩で負け知らずだからプロの格闘技の選手を目指するやうになった人と同じことなのかもしれません。
人に笑はれる顔に生まれた人がコメディアンみたいなおどけた性格になり、ハンサムな顔の人がたいていドラマの主人公みたいなクールなキャラになってるやうに、人間は外見に自分の精神を合はせる生き物だと思ひます。
ひどく可愛らしく、とても美しく生まれた女性にも性別違和感で苦しむ人はゐるのでせうか?
女の子みたいに可愛い男性が、俺は男でいいのか?と性別違和感を持つのは当然だらうと思ひます。
外見的に女の子や女性らしさが無いのに、性別違和感を持つ、といふのは、どういふことなのでせうか?
外見的に女性らしさが無いのに、精神的に女性。
かういふ人の典型例は、保毛尾田保毛男、だらうと思ひます。
パス度0。
可愛らしさ美しさが皆無。保毛男さんの顔には髭剃り後として青いドーランが塗ってある。美しくないこと、つまり外見上はまったく男であることを強調するメークです。
完全な男顔でありながら、喋り方が女の人だと、最初、とても驚きます。立ち居振る舞ひのすべてが女性的なら、違和感はとめどがなくなり、さうした違和感を笑ひにしようとするのが、オネエのホモを演じる芸人です。
ボケ老人の真似をして笑ひを取るのと同じでお笑ひ芸人と呼ばれる人たちが蔑まれる一因です。
同じ種類の違和感を笑ひではなく、自分の見解を特別なものと感じさせるのに利用する人もゐました。今の人なら、マツコさん。あの人がすっぴんでダボシャツを着た、髭剃り跡のある太ってイカついとして語ってゐたら、さすがだとか鋭いとかズバリ核心を突くとかいふ印象は生めない。
怖いだけで笑ひの要素が無くなってるからです。
普段の生活で、会社の部長がいきなり化粧して女装して、わざとらしい女言葉で話し出したら、やっぱりびっくりする。
驚くのは、自分の価値観を揺るがされたからで、なんのつまりだ?なにをどうしたいんだ?と疑惑が湧きあがる。
あまりに揺れが激しいと、怖いと感じる。
怖いと思ったら、それは、意識としては嫌悪感になったり、言動としては侮蔑となったりするでせう。
他人の、自分に対する反応として、さういふ嫌悪や侮蔑を見た時、性別違和感を持つのかもしれません。
他人の嫌悪や侮蔑を引き出さない外見が、
パス度
として測られます。
性別違和感を持つ男性は、精神的に内面的に女性であるところの自分が自分らしく生きるためには、パス度を満たすことが必要となる。
けれども、おそらく、それを満たせるのは、性別違和感を持つ男性の中でも多くないと思ひます。
だから、自分たちを見ても嫌悪や侮蔑を向けないやうな社会、つまり、
①可愛いらしさや美しさが無いのに
②女性であるかのやうに振る舞ふ男性に
③違和感を持たないやうに老若男女が国家から教育される社会、もしくは
④違和感を持つことを不当な差別として国家権力が許さない社会
を作る必要が出て来るでせう。
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