人とうまく付き合へない―メンヘラの場合
わたしは友人が一人もゐない。
「友人」と呼べるなら、その人は、わたしにいくばくかでも好意を持つ人のことに違ひない。
わたしは、人から好意を示されて、自分もその相手に好意を持ってしまふのが恐ろしい。好意にこころを許して自分のありのままを見せてしまひさうで怖い。
怖くなるのは、それほどまでに見せたくてたまらないからだ。
心的な露出症者なのだと思ふ。
わたしは家の外では完全に自分を演じてゐる。誰もわたしのほんたうの姿を知らない。
そんなわたしに誰かが好意を示してくれると、演じてゐない自分を見せたくなる。たちまち、最後の一枚まで脱ぎ捨てて、こころのすべてをわかって欲しくなる。
たいていの人が街中では服を着て歩くのは見せて喜ばれるほどの裸ではないと思ふからで、それは己を知った人の身だしなみである。
精神においても告白をしたがる人は、程度の差はあれ、ふしだらだ。noteは自分を露出できる場所でもあるから紳士淑女に混じって、何かきっかけをつかんで裸になりたがる人もゐるやうだ。
家の外では自分を演じてゐるとわたしが書いたのを読んで、「誰だってさうだよ」と誰もが思ってふふんと鼻をならしたはずだ。だから、太宰の『人間失格』が夏目の『こころ』と並んで日本人が一番読んでる文学作品なのだらう。
わたしが自分のありのままの姿を見せると相手に嫌はれると怖れるのは、誰にとっても事実であることと重なってゐる。つまり、人は他人のありのままには耐えられない。完全にあるがままの自分を見せ合へば、もうその後は口もききたくなくなるだらう。
それでも、自分のありのままを見せたい、受け入れてほしいと願ふ人々がゐる。
乳幼児のときに母親から、ありのままを見てもらひ、それを無条件で受け入れてもらったといふ実感が身体に無い人々が、さうなってしまふ。
かういふ人は、ふだんは用心深く神経質に、人間関係で余計な距離を取りまくってるくせに、
自分に好意を持つ人を見ると気が狂ってしまって( ´艸`)
人間関係において誰に対しても(親友、恋人、配偶者などに対してでも)保つべき距離を突破して相手に迫り、まるで母親を見つけた乳幼児のやうに抱っこを迫る。
いはゆるメンヘラ。つきまとふ人。すぐに「全然、わかってくれない。もう死ぬ」と泣きだして手首を切るといった人。いきなり絶交して二度と口をきかなくなる人。
一昔前なら、境界性人格障害と呼ばれた人々。
おまけ。
メンヘラとは、もっぱら女性のことらしいですね。
わたしが若い頃に、或る精神科医に、
「境界性人格障害は女性の病気」
と言はれたことがあります。
noteのハッシュタグにも
#境界性人格障害は七割が女性
といふのがあって、ちょっと笑へました( ´艸`)
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