からだの裸について

欧米には、ヌーディストのコミュニティがまだあるのだらうか。
日本人なら一度訪れてしばらく暮らしてみるべきだとわたしは思ふ。

人間の肉体が老いと病ひによってどんなに醜くなるかは、他のコミュニティでは直視できない。さうすると、若さと肉体の美しさが切り離せないことまでわかってしまふからだ。
そして、肉体にも顔と同じではっきりと美醜があることも認めざるを得なくなる。若い女にも、老女と優るとも劣らず醜い人がざらにゐることがわかる。

人間のからだには、やはり衣服が必要だ。白昼、裸で歩くなどはもってのほかだ。ジャイナ教の空衣派、裸行派が抹殺されたのは当然だ。

人間には衣服が必要で、それが邪魔でなんとかからだを覆ふ割合を少なくしようと工夫するのは、若く美しいからだの女だけだといふことが、裸の自分の身に染みてわかる。
まったくそのとほり、こんないかれたコミュニティで、それでも裸をさらして暮らし続けるには、それを可能にするカルト宗教的な信念が必要だ。

だから、キリスト教のある欧米にしかヌーディスト村は生まれなかった。日本でもそろそろ誰か、一神教を信じてゐる敬虔な宗教家がやってみるべきだ。

そこは何かを信じることで現実を見ないやうにする人たちが集まる場所だ。

だから、若くて美しいからだをした女はよほどの理由がないかぎり、そんなコミュニティには長居をしない。せっかく作った御馳走を豚にやるやうなもので、一文にもならないからだ。

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