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『龍の遺産』  No.13

第二章 『龍が覚醒(めざめ)る』


神宮寺たちは、茅ヶ崎、平塚、寒川地区の調査は圓●たちにお願いし、自分たちは先日、まわりきれなかった津久井湖、相模湖エリアとその周辺の調査を始めようと検討し始めた。
まずはこの周辺に半原大工が携わった寺社の調査だ。相模原市緑区日連の青(せい)蓮寺(れんじ)、長竹の来迎寺(らいこうじ)、太井の小網(こあみ)諏訪(すわ)神社(じんじゃ)などを調査する予定だ。
まだまだ分からないことばかりだ。それなのに勝手に周りが騒がしくなってきた。
これから調査する津久井湖、相模湖を挟んでの甲州街道はから宮ケ瀬までは、それほど道は無い。甲州街道の脇道を探して、そこからそれに沿ってある寺社をまずは調べようと決めた。
 
一週間後の神宮寺の事務所では・・・・・・
神宮寺たちが津久井湖、相模湖へ行く準備をしている間に、圓●たちが
平塚、茅ヶ崎周辺を調査したとの連絡が入った。

神宮寺は資料を調べる手を休めずに、風人に話しかけた。
「行動が早くね。かなりの寺社を回ったようだね。相模川沿い1キロの範囲で探したらしい。正解だね。陸路で運んでいたら目立つから、早く水路へと思うと1キロぐらいが妥当だな。二日かけて回ったそうで、30寺社ほど調べたと書いてあります。その内、龍の彫り物がある寺社が12ぐらい。建立した年代がやはり明治以降がほとんどだそうだ。」
「半原大工の作品は残っているが、新しく建てたものばかりだな。 少し考え方を変えなくてはいけないようだね」
「先生! やはり宮ケ瀬周辺でしょうか?」
「私の専門分野ではないので、調べなければならないのは、支流の中津川から相模川に入ってから、1時間そこらで河口まで行けるかね?これは青木さんに聞いてみましょう」
「もう一つ、伊勢原市の高部屋神社から相模川まで直線で約2キロ弱・・・・・・可能性はありますね。すでに高部屋神社はこの件と関係があることは分かっていますので、もう少し調べましょう」
風人は、思い出していた。高部屋神社が始まりだったことを・・・・・・
以前、高部屋神社を調査したとき、拝殿内には立ち入らなかったが、その後、神奈川中央新聞の青木さんにお願いをして、拝殿内の格天井に龍の絵があり、その龍が向いている方向が今の愛川町方面だった。その龍の絵には、宝珠を持って空を飛び、富士山を背にして海の方へ向かっている絵柄だった。
神宮寺先生が、机の上に地図を拡げ、高部屋神社から相模川までを調べ、そしてその相模川から河口までと江の島までの距離を考えている。
「確か数年前に大山から厚木まで歩いたことがあって、その時、高部屋神社に行き、その後厚木に向かって大山街道を歩きました。まだ途中に寺社が有るかも知れませんね。」
「これは私が時間がある時に、一人で出かけてみてきます」
風人もやはり高部屋神社が関係あると思い始めた。
「先生は、高部屋神社から厚木へ向かっての調査、私は逆に大山へ向かっての調査をしてみます。どうでしょう?」
「確かにそれは必要かも知れませんね。あまり相模川にこだわり過ぎてもいけませんね。
もう少し視野を広くした方がいいかも。確か近くに川とか沢がありましたね。多分、その川も相模川の繋がっている可能性がありますね。すいませんが、そちらの調査、風人くん、お願いします。」
二人は分担する地域を確認し、調査当日は伊勢原駅まで一緒に行き、帰りに時間を合わせて、神奈川中央新聞に立ち寄ることにした。これで当分の間、現地調査になりそうだ。
今後のためにも材料、資料はあればあるだけ助かる。この宮彫りというジャンルの研究はまだ始まったばかりというのが現状だ。建築学的に調査をしている関係者は多く存在するが、その建物の装飾彫り物だけを深く研究している人は少ない。また、仏像などから入って調査している人も多く見かける。しかし、宮彫りとは宮大工の一つの作業工程に含まれているため、仏師から宮彫り師になる人はまだ聞いたことがない。宮彫り師が仏像や仁王像などを彫ることは多々ある。頼まれれば七福人や動物(犬、猫、サルなど),や
人物(住職や一般の人)を彫っている。
当時は、多分今も自分たちは単なる職人だと考えている。
後の世の人たちが自分たちの彫り物に対して、どう評価するとかは、一切考えてもいない。その潔さが作品に出ているのだろう。
これから調査する相模原市緑区の津久井湖、相模湖周辺、それから伊勢原からの大山までの街道沿いと厚木までの大山街道沿いには、まだ知られていない宮彫りの龍が眠っているかもしれない。
神宮寺はまだ見ぬ龍の作品に思いを馳せながら、来週から調査するスケジュール作成に入った。
 
作業場へ足を踏み入れると鑿で木を削る音が聞こえてきた。一定のリズムで削る音だ。
ここはとある神奈川県愛川町の工務店。北島が入口で声をかけたが返事が無かったので、作業場まで足を踏み入れた。
「すいません! 」何回か声をかけた所で、一人で黙々と作業していた高年齢の人が気付き、顔を向けた。北島はそれなりに一般社会を経験しており、卒がない。笑顔で・・・・・・
「仕事中、お邪魔してすいません」
「ちょっとお伺いしたいことがありまして、厚木から来ました」
気付いた年配の人は作業を止め、立ち上がった。この工務店の社長の、鈴木氏。
「何でしょうか? 」前掛けに溜まった木くずをはらって、手に持っていた鑿を置いた。
北島は名刺を取り出し・・・・・・鈴木氏に渡す。
「私どもは本厚木の駅前に会社を構えております。長年、神社さんやお寺さんとは仕事の関係がありまして、本日、こちらにお伺いしましたのは、その神社さんやお寺さんの件で、教えていただきたいことがあります」
先ほどまで鑿で削る音と木槌で叩く音が聞こえてそれなりに生活感があったが、それが止まると静寂が訪れる。鈴木氏の足元には作業していた未完成の欄間と木の削りかすがあった。北島の目線が彫りかけの欄間に眼がいったので、「久しぶりにこれ、欄間を作ってくれと依頼されましてね」嬉しそうに木槌で欄間を指しながら、聞かれもしないのに話し出した。
「近頃、新しく欄間を作ろうなんて人は少なくなって、まあ欄間のある家を建てようとする人もいないげど。今年初めてだよ。久しぶりなので気合が入っている」 欄間はまだ荒彫り段階でだが、松に鶴が止まっている図柄が分かる。
また話が長くなりそうなのでさえぎって、北島が話し始めた。
「私どもこのような彫り物を代々彫っている宮大工さんを探していまして、ご存じないかな~と思ってお尋ねしております」
「うちもそうだよ。かれこれ200年ぐらい続いているかな~~。まあ俺の代で終わりだがな。そちらさんがご存じかどうか知らないが、ここら辺の宮大工は半原宮大工と呼ばれていて、俺で矢内家の14代目にあたるよ」
北島は見つかるのにかなりの時間がかかると思っていたので、三軒目で目的の所にたどり着けたのは幸運だと思った。
「私ども、調べ物をしていまして、宮ケ瀬ダムの底に沈んだ宮ケ瀬熊野神社はこちら建てられたのでしょうか? かなりの年数が経っているようで、周辺の鳥屋諏訪神社などにお聞きしても分からなくて」 
鈴木さん、少し考えていたが、首を横に振って
「湖の中にある熊野神社は知っているよ。私が覚えているかぎり、うちが建てたものではないな。ここ半原の大工が携わっていたなら分かるはずだがな、愛川町で大工といってもせいぜい4~5件ぐらいだったと思うけど、どれも建築に携わっていないな。まあ、せっかく訪ねてきたのだから、ちょっと仲間内に聞いたりして調べておくよ。名刺の電話番号に連絡を入れればいいの?」 話しは終わったと言うように、奥の作業場へ向かって歩き始めた時、ふいに振り返り北島に向かって・・・・・・
「うちの連中、半原の宮大工が係っていないとしたら、※大山大工、そう大山の宮大工だな。多分、その可能性が高いな。」
「当時はお互いに行き来はあったし。一緒に協力したりしてたし、人を融通したりしていたよ。その辺も含めて、聞いておくよ」 話は終わったと鈴木さんは返事も聞かずに作業にかかるので、奥へ入って行った。
 
※   大山宮大工とは、奈良時代の755年(天平勝宝)から続いていると言われていて、「大山寺」「阿夫利神社」の普請、修造を請け負っていた。棟梁は代々、手中明王太郎(てなかみょうおうたろう)と名乗り、90代まで昭和初期まで続いたが、残念ながら今は廃業となった。神奈川県内はもとより日光東照宮修理や江戸城の普請などにも参加している。
 
北島は、今日はそれなり成果があったし、自分で調べるより直接聞いた方が良いと判断した。初めて聞く「大山大工」、小野田さんがうるさいから少し下調べしようと考え、伊勢原の大山へ向かった。
 
神宮寺は、伊勢原での調査の前に相模原市緑区の調査が優先となり、青木さんも同行することになり、車も提供してくれた。この地区は、車がないとまったく調査がはかどらない。前回バスを使っての調査だったが、バスの本数が少なく、予定の半分も行けなかった。もっとしっかりと調べた方が良かったが、今日は車があるのではかどるだろう。
 
先日、神宮寺先生の事務所を出てからの出来事を伝えた後、圓●たちは湘南の平塚、茅ヶ崎などの寺社を訪ね歩き、その報告を神宮寺に伝えたが、依然として後を付けられた連中のことはまだ分かっていない。神奈川中央新聞からも情報が来ていない。
今回はいつもの横浜の居酒屋ではなく、菱◆が、本厚木の現場終わりなので、仕方なく集まりが、その本厚木駅近くの知らないもつ焼きが売りの居酒屋になった。いつもの集まり場所より遠いので、圓●は不満顔で四■に向かって話し始めた。
「また龍一たちの連中がちょっかい出し始めたのか?」
先日の神宮寺先生の事務所から出てからつけられた奴の話だ。
「しっかり見張っていたのか! 四■」
「圓●、最初からそれはないでしょ。いつもより機嫌が悪いな~」
「そんな動きは今日まで、まったくないですよ。これでも時々様子見に行ってますから」
「誰なんだ? あいつらは。菱◆、何か分からないか?」
店はそれなりに混んでいて、地元の常連客で賑わっていた。圓●たちは、いつものように目立たなく溶け込んでいる。声も出さずに静かに飲んでいた。それが逆にその店の中では浮いてしまっている。若いグループがそれも女連れで、何もしゃべらす黙々と飲んでいる姿に違和感が漂ってる。
あちこちの常連客から胡散臭い眼で時々見られていた。ご当人たちはそんな眼はまったく気にせずに飲んだり食べたりに没頭していた。 
菱◆が「神奈川中央新聞から情報を得たのは確実だな。それ以外考えられない。龍一たちが動いてなければ」
機嫌の悪い、酒癖が悪い? 圓●が食べたもつ焼きの串を三人から遠いテーブルの端に置いた空いた徳利を見ずに投げ入れた。四■も同じように、菱◆も同じように、すでに数本が徳利に刺さっている。四■たちにはいつもの事なので、気にしていない。時々、胡散臭い眼で見ていた客たちは、最初は何が起こっているのかを理解出来なかったが、4本、5本と同じ徳利に吸い込まれていくのを見ると、驚きより気味が悪くなり慌てて眼をそらし始めた。
それを見ていた常連客の中に、小野田興業の社員が一人いた。
翌日、その小野田興業の社員(金魚の糞程度のやつ)が会社で他の仲間に昨日の話をしていた。
「まったく気味の悪い連中なんだ。そいつら。店に入って注文した以外、
話をしないんだ。

黙って酒を飲んで、もつ焼きを食べたりしていて、時々声を出さずに笑って・・・・・・ その中に女もいるんだ」
「それだけじゃないんだ。食べ終わったもつ焼きの串を離れたところにある飲み終わった徳利に投げ入れるんだ。それもノールックでだぞ。一人じゃなくそいつらの全員、同じことをやるんだ。誰も失敗しない」
簡単そうに見えて出来ない。俺もそのあとで試したけど一本も入らない」
その話にあとから加わった原田がその社員に向かって
「そいつらの一人は女で、男は軟そうな男ともう一人は少しゴツイやつか?」
「女の背はこのぐらいで髪の毛はショート、男は170と180ぐらい?か」
話に加わった原田に向かって、彼らを見てたその社員が
「そうです。原田さん。知り合いですか?」
「馬鹿言うな、そんな知り合いいるわけない。で、そいつら何も話さずか? 同じだな」
「俺にはそう見えました。別に仲が悪いようには見えなかったですが・・・・・・」
「なんか話が聞こえなかったか? 支払いの時とか・・・・・・」
「そう云えば、支払いをした男が女に向かって、『まどか、たまには払えよ』とか言ってました。女の名前か苗字が分かりませんが・・・・・・」
こんな偶然あるのか? しかし、風貌や人数や得体の知れない感じ、似てる。
「女の名前? 苗字がまどかか。手がかりになるかな。そうだこの写真を見てくれ。こいつらか?」 原田がスマホの画面を差し出す。
「こいつら、こいつらですよ。誰なんです? こいつらは」
原田、返事をせずにじっと写真を眺めてる。
ここら辺でなにをやってるんだ、こいつら。前回の屈辱が蘇り、今度会ったら容赦しないと心に決めた。
 
 
神奈川中央新聞の青木氏からメールが入った。事務所で資料に埋もれている神宮寺は、「何々、青木さんからか。先日の圓●さんからの問い合わせの件ですが、関係あるかどうか分かりませんが、広告部から連絡が入り、地元(本厚木)の商店街の会長さんと一緒にこの人も地元の人ですが、訪ねてきて、例の記事の件を根掘り葉掘り聞いて来たそうです。
次号の予定なども聞かれ、今度はここ厚木を含む宮ケ瀬周辺の特集になると伝えたそうです。名刺を置いて行ったのでコピーして送ります。
追伸:同行してきた人は名刺は出さなかったそうです。ここで終わったら私の存在意味がないので、調べました。名前は北島、本厚木駅そばで開業している金融業の社員、会社名は小野田興業。表は金融業ですが、実態は地元の地回りです。祭りの仕切りや商店街のイベントにも首を突っ込んでいます。
私の推測ですが、私どもが調査して、新聞に載せている例の「江戸幕府の御用金」に興味を持ったんじゃないかと思っています。もう少し調べてみますか~」
神宮寺、片手間で読んでいたメールだったが、もう一度じっくりと読み直した。
「まったく砂糖に群がるアリだな~。またまた訳の分からない連中が出て来たな。圓●さんたちに知らせよう。」
今回のために作った情報共有のための連絡網で、神奈川中央新聞には今後の対処方法、望月さん、圓●さんには一連の報告と神奈川中央新聞への連絡内容をメールで発信した。風人はそのうちに来るだろうから、その時に伝えようと思った。
 
                 ≪龍≫
 
「ご無沙汰しています」四■がかしこまって挨拶したのは、圓●の家。
圓●の祖父の前で正座をしている。
圓●のが改めて見ている「お前が達治の倅か。小学校の時しか記憶にないが・・・・・」
「達治(四■の父)は元気にしとるか? 何をやってる?」
矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。圓●が慌てて・・・・・
「じっちゃん、そんなに質問ばかりしていると話せないって、後からゆっくりと聞いて」
「じっちゃんから何か話があると言ったから、久し振りと言うか十数年振りに会いたいと言うから、四■を連れてきた」
圓●の祖父は、思い出したように
「そうだったな、そうだ、ああ何だったか忘れた」
「私が頼んでいた、資料の件じゃないの? 何か別に見つかったの?」
圓●に頼まれていた昔の資料は渡してあり、神宮寺との打ち合わせでみんなで共有している。
突然、「そうだ、これをお前に渡そうと思ったんだ」
後ろの棚の上から、1通の手紙を、圓●に渡した。
手紙は和紙でかなり古い。圓●が手紙を見て
「じっちゃん、これ何? 」
「じっちゃんは直接会ったことはないが、海底(おぞこ)の長に宛てた手紙だ。じっちゃんの親父と海底の長とは交流があったみたいで、時々、訪ねて行ったようだ」
「海底(おぞこ)って愛川町の? この手紙がどうしたの?」
「圓●、お前がこれからそのなんとかと言う仲間と調査するんだろう? 
この長が前に話した通り、ずっと修験者たちをとりまとめをしていた。かれらは山を知り尽くしている。山だけでなく川、沢、滝、谷など、丹沢はもちろん箱根まで、いや伊豆まで知り尽くしている。何かの助けになると思う。手紙の人物にこれを見せれば、必ず協力してくれるよ」

圓●は、もう一度手紙に眼をやった。筆で書かれた文字を眺め、裏の住所を確認した。
圓の祖父は、圓●と手紙を交互に見ながらつぶやいた。
「多分、もう亡くなっていると思うが、そのせがれか孫がいるはずだ」
「四■、この住所を調べて、今度の調査予定に加えて、じっちゃん、ありがとう」
それから圓●の祖父は四■を相手に四■の父の昔話をして懐かしんだ。
 
今日は菱◆の車で出かけてきた。仕事の車を兼ねてアウトドア派の彼はSUV車を持っている。今日の調査に最適だ。運転を菱◆に任せ、圓●は先生からもらった資料を読んでいる。調査は少し後回しになるが、最初に圓●の祖父が紹介してくれた愛川町の海底(おぞこ)の長の家に向かった。
長閑な田園風景が拡がり中津川に沿って車を進めた。その長の家はすぐに見つかった。住所も昔のままのようだ。
突然の訪問なので、会えなければ次の機会にと思っていたが、圓●が玄関で声をかけると、年寄りの女性が出てきた。
「すいません、こちらは橘惣次郎さんのお宅でしょうか? 」
「はい、そうですが・・・・・どちら様ですか?」
「私は横浜から来ました圓(まどか)、落合圓(おちあいまどか)と言います。落合源一郎は私の祖父に当たります。もしお時間があれば惣次郎さんに少しお話を伺いたいのですが・・・・・」
玄関でのやり取りを聞いていたらしく背筋の伸びた元気なお年寄りが廊下を早足で来た。
「親父はとうに亡くなっておりますが・・・・・? 私は息子の耕一と言います。 横浜の落合さん?落合源一郎さん? もしかしたら親父を話していた方かな?」と圓●に向かって問いかけた。
「私は落合源一郎の孫に当たります圓(まどか)を言います」
驚い様子でもう一度圓を見て「あの落合のお姫様ですか?」
逆に圓●方が驚いて慌てて・・・・・・「ただの孫です」
「とにかくお上がり下さい。お前、奥の客間に案内して」
と最初に出てきた女性を急かした。
圓●たち三人は、客間に招かれ、祖父から預かった手紙を見せた。懐かしそうに手紙を読んで
「確かに親父が書いたものです。私も直接は圓(まどか)さんのお爺さんとはお会いしたことはありません。親父が亡くなってすでに20年ぐらいなりますので」
「しかし、事ある度に親父が懐かしげに落合さんの話をしておりました。当時から私どもは単なる農家をしながらの修験者でしたが、落合家は武家の出ですが、大変良くしてくれましたし、永く付き合いがあったそうです。話が長くなってしまいましたが、今日は?何か用事があるのしょうか?」
「突然お訪ねして申し訳ありません。少しお話を伺いたいと思いまして・・・・・」
圓●は、今までの経過を簡略して説明をした。橘惣次郎はすでに「幕府の御用金」の話は代々薄々伝わっていたので、特別な詳細説明が必要なかった。
橘惣次郎は話を聞きながらうなずき、
「まだあの話は繋がっていたのですね。落合家がそれを守る役目を仰せつかっているのは親父からうすうす聞いていました」
圓●がそのため、今日、宮ケ瀬湖周辺の調査に来たことを伝えた。
「私はこの歳ですから、あまりお力にはなれませんし、せがれの代ではすでにこの話は、過去のことで伝わっておりません。しかし、爺さん、私の父が残した資料があります。
多分お役に立つと思います。ここハ菅山周辺から日向薬師、大山周辺の修験者の修行の場とそこへ行く道(獣道)の地図です。すでに使われなくなった道もありますが、まだ通れると思います。谷や沢・渕などが書き込まれており、調査するのにお役に立つと思います。」
と橘さんは奥から四つ折りの古い手書きの地図を差し出した。
「私も若いころ修業で何十回か通った道ですが、一般の人は知りません。
多分、先祖もこの件(御用金)を隠すのに手を貸したと思っております。
多分、この地図のどこかに隠したのかも・・・・・」

圓●が地図を拡げて、四■と菱◆に近くに来るように目で合図した。
四■がタブレットをかざし、テーブルの上の地図を撮った。現在の地図と重ねて見るようだ。
「橘さんご自身、この宮ケ瀬湖周辺ですと、どこが当てはまると思いますか?ご意見をお聞かせください。それで大分絞れますので」
「私としたら、今、落合のお姫様が話した条件に当てはめるとしたら、先ずはハ菅山を中心とした沢・渕あたりでしょうね。取り出しやすく、隠し易い、中津川にもすぐに出れる場所だと思いますが・・・・」
「それと半原大工が係っているとしたらここ(海底)から少し行った所の勝楽寺(しょうらくじ)でしょうか? ここの山門は半原宮大工の柏木家の右兵衛安則が途中で亡くなり、矢内家に受け繋がれ棟梁の但馬藤原高光が完成させた山門などがあります。ここも徳川家に縁があるお寺なので、調べる必要が有るかも知れません」
「橘さん、そのお姫さまは勘弁してください。ただの孫ですから」
四■と菱◆が含み笑いしているのを見て、圓●が睨んだ。
それから30分ほどいろいろ話をしてから、突然の訪問の非礼を詫びて、橘の家を出た
車に乗り込むと普段あまり冗談を言わない菱◆が
「姫、どちらに向かいましょうか?」
圓●がすばやく菱◆の頭を平手で叩いた。後部座席の四■が
「菱沼、くるしゅうない、姫の御所望な所へお連れしろ」とこれもちゃかした。
「二人ともいいかげんにしろよ。今はとにかく橘さんが可能性があると言ってた場所へ、最初に向かおう、まずは塩川神社のある塩川の滝だ」
 
圓●たちは、中津川に合流する支流の一つ「南沢」「滝沢川」へ流れて落ちてくる「塩川の滝」を目指して、車が入れる所まで行き、その「塩川の滝」の上流には、底なしの淵があり、それが藤沢の江の島の洞窟に繋がっていると言われており、その淵は「江の島淵」を言われている。その「江の島の淵」は藤沢の江の島の洞窟に繋がっているので、「江の島淵」と言われている。今日は、神宮寺先生からのお願いと言うよりは、圓●が勝手に「やります!!」と言ったお蔭で、四■、菱◆が同行してきている。圓●には逆らえないし、一人で行かせるのは心配なので、やむなく二人は付いて来た。
そんな二人の気持ちも知らないで、圓●は、勝手に燃えている。しかし、ここが、今回の事前調査がみんなが探し求めていた、江戸幕府の隠していた「御用金」の手掛かりになるもっとも近い場所だとはまだだれも想像すらしなかった。
 
中津川沿いからその支流に折れて進んでいる。後部座席の四■がタブレットの地図を見ながら、「この先に駐車場があるらしい。そこからほんの少しだな」ここまで来るとすれ違う車も少なく、突き当りが塩川の滝だからかな」
「これだけ道が整備されていたらまったく心配ないな。車を降りた三人は、伸びをして、初夏の緑が美しい山々を眺めた。圓●が指差し、
「そこが塩川神社、そっちの橋を渡ると塩川の滝だな」
「まずは滝を見に行こう。その帰りに神社へ」
圓●は先頭に立って歩き始めた。いつも通りこの手の仕切りは、圓●に任せれば安心だと、二人は知っている。瀧神橋を渡ると滝の音が聞こえてきた。塩川の滝を見るために橋が架けられていた。三人の右手に滝が見えてきた。幅4m、高さ15m程度の小さな瀧だが、近くで観れるのでそれなりの迫力がある。ハ菅修験者の5番目の修行の場。雨乞いの霊験の滝でもあるし、塩川神社の御祭神でもある滝だ。
しばし三人は瀑布を眺めていた。三人は言葉を交わすことなく、自分の役目を始めた。
四■は写真と撮り始め、時々動画モードにして全体を撮っている。菱◆は、人がいないのを見計らって、滝の横の岩場から登り始め、上流を目指した。とび職の彼にとってまったく問題の無い高さだ。登り切った先にある、言い伝えられている「江の島淵」を探すためだ。圓●は、橋や道などを除いて、人が手を加えたような古い痕跡を探すため滝の周りを歩きだした。しばらくして、示し合わせたように三人駐車場の前に集まった。
圓●が滝を振り返りながら話始めた。
「滝の周りを見たが、特に気になる物は無かった。菱◆は?」
「上には話の通り淵があった。一般人があそこまで荷物を持って上がるのはかなり昇るのは厳しいぞ。やはり修験者の力を借りたかも知れないな。本当に江の島と繋がっているの?」菱◆は少しも信じていないような口ぶり。
「言い伝えによると4月の満月の時、潮が吹き上がるらしいよ。水がしょっぱくなるそうだ。四■、撮ったか? あとで先生に観てもらうように動画も大丈夫か?」
「まったく、誰に言ってるの。抜かりはないよ。360度滝の全体も撮った」
「やはり、後は専門家に任せよう。今日はロケハンだからな。撮影はOKだな。次は橘さんが話した勝楽寺だな。少し期待が持てるな」
 圓●が改まって・・・・・・、
「それにしてもすごい話だよな。江ノ島の洞窟とここが繋がっているなんて・・・・・誰が言い出したんだ? 神宮寺先生の資料によると海と繋がっているから、四月の巳の日に、江の島の潮がこんな山の中に吹き上がるなんて」
改めて三人は、この山の中にある滝、塩川の滝を考え深げに振り返って見た。
 
塩川の滝からの車での帰り道、圓●は、先日の神宮寺先生からのメールの話を持ち出した。
「横浜の居酒屋から後をつけて来たやつ、青木さんが調べてくれた。本厚木の小野田興業とか言うところの社員らしいな。やはり新聞社から情報を探っていたんだな」
四■がその後、その小野田興業を調べた。社員が十数名名程度。金融業を看板に上げているが地元密着の企業というか地回りらしい。地元のお寺や神社に出入りして、それを生業(なりわい)としているらしい。今回の件に首を突っ込んで来たのは、やはり金になりそうな話と地元だと言うことでなりふり構わず嗅ぎまわっているようだ。
「こいつら土地勘があるからちょっと面倒ですよ。圓●、どうする?」
「どうするこうするもないよ。相手の出方次第だ。まだ情報が少なすぎるよ。まあ単純に金の匂いがするので、一枚噛もうと思っている連中だ。そのうち焦って向こうからぼろを出すよ。このあいだのように」
圓●が以前の別の防人の龍一たちのことを想い出し、久しぶりに気合を入れるように二人に声をかけた。
「とにかく今日はもう一か所調査! ここから少し中津川を下ったところにある「角田(すみだ)八幡(はちまん)」に行く。ここにも江の島と繋がっているといわれる洞窟?塩川の滝にある江の島淵みたいなものがあるらしい。それを見に行く。神宮寺先生から送られてきた資料に、その角田八幡の中津川の対岸あたりの地名が「海底」(おぞこ)は、言い伝えによると頼朝が旗挙げした時に協力した人たちが住んでいたと伝えられてる。さっきの橘さんは多分、その末裔かも知れないな。また、修験者の関係で江の島との縁が出てきた。もっと面白いのは、この周辺の山には、「金山」やその山の上流にある沢を「金沢」という名前の沢が沢山ある。ここの角田(すみだ)と言う名前も「炭田(すみた)」の意味で、昔から、ここら辺は炭の生産地だったようだ。「金山」や「金沢」で金属(鉄)が取れ、炭が生産されれば必然的に金属の精錬が行われ、武器などが作られたらしい。これ全部、先生の受け売り」
「この話にはもっと続きがあり、続きの方が興味が湧く、先生に聞いて!!面白いから」
 
               ≪龍≫
 
「圓(まどか)●さんたち今頃、宮ケ瀬湖の反対側の愛川町を調べているんですよね」
風人たち、神奈川中央新聞の車で津久井湖、相模湖を目指している。
「風人くん、事前に資料を渡しましたので、無駄なく調査してくれるはずです。我々の今回調査する範囲は、私も以前、調査をおろそかにしていました地区なので、どんな発見があるか楽しみです。今までの私どもの調査は表側と言っていいのか分かりませんが、太平洋側の大山街道、東海道などを中心でしたが、今回は神奈川県のもっとも甲州街道近くを調査しようと思います。
裏側と言っても、半原大工が携わった寺社がまだ数多く残っています。今まで調べたものとの共通点や違いも見つけたいです。何回も説明したように、この調査が無駄で何も見つからなかったとしても、それも一つの成果です。やはり宮ケ瀬湖の東側が重要だと知ることが出来ます。圓●さんたちの今回の調査を踏まえて再度、その周辺を深く絞り込んで行けます」
車は圏央道の相模原ICで降りて、一般道を最初の目的地、根小屋諏訪(ねごやすわ)神社へ向かった。根小屋諏訪神社は建てられたのが昭和に入ってなので、向拝の龍も昭和の彫り師:直勝の作品だった。津久井湖沿いの国道413を次の目的地相模湖沿いの青蓮寺(しょうれんじ)へ。ここの本堂は大山大工の手中明王太郎が手がけ、脇にある妙見堂(みょうけんどう)は半原大工が1852年に手がけ、向拝の龍は、矢内但馬藤原高光の作である。妙見堂建設時期に前後して、多くの江戸城の増改築を度々請け負っている。年代的にも興味が湧く。やはりここら辺を調査して良かったと神宮寺は思った。
事務所に戻って、もう少し詳しく調べるために、ここで写真データなどを集め検討しようと考えた。その後、幕末時期に建立されたと言われる中尾八幡神社や石楯尾神社などを見て廻った。
 
今日は、久々に神奈川中央新聞の会議室に全員が集まった。報告会というのか今後のお互い動きの確認のために集まった。やはり一番心配な、小野田興業の話が最初に出た。青木さんからその後の調べた話が最初の話で、
「皆さんの協力のお蔭で、次の特集の準備がスムーズに進んでいます。ありがとうございます。まずはご心配をかけています本厚木の小野田興業のことが少しづつ分かってきました。今までに分かったことは、共有されていると思いますのでその後新しく分かったたことをお伝えします。小野田興業の社長は小野田勇といい、圓●さんたちの後をつけまわしたのは、小野田の指示で動いていると思われるのが北島と言い、俗に言いますと小野田の番頭役です。その手足となっているのが原田。地元ではちょっとした悪がきだったのを小野田が拾ってきて社員にしています。小野田の指示で現在のところこの三人が動いています。本当に申し訳ないのですが、彼らが今回の件を知ったのは、我が社からです。直接担当ではありませんが、広告部から仕入れたようです。その北島が商店街の会長と同行し、上手く情報を広告部から得たようです。今後は、注意して対応します。この小野田興業は代々、ここ厚木市で商店街の催しや神社仏閣の祭りに関与して、現在は金融業の看板を出していますが、あまりパッとしていないのが現状です。その意味に於いて、今回の件に首を突っ込んで来たようです。自分たちの得意分野(寺社との結びつき)、地元なので土地勘もありますし、いい材料が揃ったと思っているようですが、なにせ知識と情報がないので、圓●さんたちから取ろうと思って近づいてきたようです。今は紳士的な対応ですが、一皮むけば本性が出てきます。暴力に訴えることも考慮に入れて置いてください」
「これからは決して一人での行動は極力慎んでください」
話をしていた青木さんからデスクが引き継いで・・・・・・
「青木の言うように今のところは大人しいですが、なにせ元はテキヤですし、まだ二人しかこの件で動き回っていませんが、本気になったら残りの社員、3~4人が加わってきます。私がこの新聞社に入ってから、小野田興業が新聞沙汰になるような目立つ動きはしていませんが、新聞記事にならないような小さな事件は起こしています。私どもも今後、細心の注意を払いますし、情報を集めます」
神宮寺先生が、話題を本筋に戻そうと、一息入れて全員の顔を見て・・・・・・
「今回、圓●さんたちに動いていただき、私としましたら今後、やはり愛川町周辺に調査を集約しても良いと考えています。先々週、圓●さんたちが調査をしていただいた中に、やはり中津川沿いとそれに関係のある重要な事柄がありました」
 
今回の集まりのために、最近の調査した報告書を作成し、皆さんの手元に配布してある。
「今回も幾つかの推測があり、それを一つづつ調査し、関係なさそうな事項は除いていき、まだ最終的に結論は出ていませんが、かなり絞り込めたようです」
「手元の報告書にありますように、いろいろ皆さんに協力していただき、
結果的に「これは物理的に無理」とか「時代が異なる」とかが分かりました。今のところ絞り込まれたのは、やはり半原宮大工が関与していることです。そして相模川、中津川、その支流の周辺に謎解きのヒントが隠されていると私は思っています。これもそれもここにいらっしゃる圓●さんのお爺さんからの得難い資料提供により、新しい発見がありました」

「まずは宮ケ瀬の九龍ですが、これは寺社の龍の彫り物ではなく、宮ケ瀬へ続く川、沢の数だと考えると一つの推論が出ます。その九つの川?沢?淵?が全部関係している訳ではは無く、その中のいくつかが関係している。それを指し示しているのが、宮ケ瀬湖に沈んでいる旧熊野神社の龍だと考えます。また、その熊野神社だけでなく、伊勢原の高部屋神社の龍、もう一つの龍を見つけて、その三つの龍が意味する場所が、何らかの証があること示している可能性が高いと今は考えています」
「候補として、相模原市の青蓮寺、愛川町の勝楽寺、龍福寺など、もしかしたら大山寺かも? まだ分かりません」
その時はまだ、もう一つの龍が鳥屋の諏訪神社の向拝柱の昇り龍だとはだれも知らなかった。各々の神社の龍にそのヒントが隠されていて、各神社からあまり離れていない場所を示した証があった。
「圓●さんたちが調べていただいた中津川の支流の滝沢川からの塩川の滝にある「江の島淵」と中津川沿いにある角田八幡の同じような言い伝え。ハ菅山の修験者の協力。龍福寺、勝楽寺などを手掛けた半原宮大工・・・・・・
この半原大工が手がけた寺社が中津川周辺にもあり、またその周辺に伝わっている江の島に関係する伝説など、すべて整理出来れば、おのずと答えに導かれると確信しています」
今まで聞き役に回っていた風人が、青木さんに質問を投げかけた。
「青木さん、先生は調査結果の皆さんに報告をしていますが、私としましたら今後、やはり、その小野田興業の動向が気になります。前回も同じようにお金を目的として、手段を選ばない連中のため、圓●さんがあぶない思いをしています。あのような事態にならないように、事前に打つ手はありませんか?」
「今後、必ずどこかで出会い、こちらが望んでいない状況に陥ることに成るかもしれません。先生を含め私たちは既に新聞に載ってその活動やらで名前は知られているので、仕方がありませんが、圓●さんたちは表に出れません。江戸時代からずっと表に出ず、密かに守ってきたことがもしかしたら、彼らのお蔭で、明るみに出る事に成るかも知れません。それだけは避けたいです」
風人の言葉を全員が納得しているが、その解決策が見つからない。皆の会話が途絶えた所で、圓●が・・・・・・、
「先生、先日、いただいた資料にある、愛川町付近の「金山」や「金沢」の内容を私が、四■と菱◆に話をしたところ、興味を持って、その続きを聞きたいと言ってます。多分、皆さんにも聞いていただいた方が、今後の役に立つと思います」
圓●が四■と菱◆に話した愛川町付近には「金山」や「金沢」が多くあり金属(鉱物)が取れ、地名の角田(すみだ)は、もともと炭田(すみだ)で炭焼きが盛んであったことを青木さんらの出席した
人に話した。
「付近の山や沢(金山、金沢)などで金属(鉱物)、砂鉄が取れ、炭があれば必然的に製錬が行われ、鉄などの武器が出来ます」
「ここまでは二人に話したんですが・・・・・・その続きを先生からお願い出来ますか?」
「そうですね、関連性はかなりあると思いますが、まだあまり調査していないので、はっきりとはお答えできませんし、まだ不確かな要素が多いです。しかし、私なりの仮説はあります。どのようにしてその武器を運んだのか?ですが・・・・・・、
今まで推論の通り、私は中津川から相模川を経て、相模湾と思っています。
ここからが圓●さんの一族との関係があった愛川町海底の修験者が出てきます。圓●さんたちが修験者の長から資料と情報をいただきました。まだこの資料での調査はまだですが、やはり中津川に近くのハ菅山の修験者が深く係っていると考えています。大山とハ菅山の間の山々を修験の場としていたようで、言い伝えの江の島と愛川町の角田八幡宮の洞窟、淵が繋がっているとか、塩川の滝の上流にある「江の島淵」も同様に繋がっていると言われています。その塩川の滝もハ菅修験場所です。この修験者集団が何らかの役割を果たしていたのではないか、と思っています。例えば、幕府の伝令や報告など武器輸送などに」
デスクがおもむろに・・・・・・
「またまた面白い展開になってきましたね。私も知りませんでした。愛川町付近の「金山」と「金沢」の事は、炭がその地域で生産されていることは知っていましたが、確かに金属が取れ、炭があれば、鉄の武器も作れますね。それに加えてそこに幕府の潤沢な資金を注ぎ込めば・・・・・・」
「修験者は鬼と思われる事もあるほど、強靭で健脚ですし、愛川町から江の島程度なら重い荷物を持ってあっと言う間に走破してしまうのではないですか?」
「また、もしかして洞窟を通って出入りも出来ますね。私はこの繋がっていると言うのはあまり信用していませんが・・・・・・」とデスクが言葉を濁した。
神宮寺は続きを話始めた。
「武器などを輸送するための台車や舟? もしくは筏作り? は半原大工仕事。連絡などは圓●たちのような「龍の防人」運搬の仕事はハ菅の修験者。それらの拠点、中心はやはり半原大工集団の居る愛川町になりますね。そのための潤沢な資金がどこにあるのか? どこに隠したのか?」
「私はやはり当初の旧熊野神社がカギになると思っています」
その熊野神社は、すでに湖の水が普段通りの水嵩になり、旧熊野神社は湖の中に、沈んでいる。神宮寺は自分の推測を皆に話した。
「やはり宮ケ瀬湖に沈んでいる熊野神社、本殿自体は多分移されていると思われます。どのようにしてその件を隠ぺいしたのか分かりませんが、どこかに合祀され、表に出ていないようです。鳥屋の諏訪神社の本殿より一回り小さいと聞きました。推測するに旧熊野神社の本殿は一旦、どこかに保管して、落ち着いてからどこかに収めようとしたのではないですか? しかし、それを管理している宮司さんが亡くなってしまい、分からなくなってしまったのではないでしょうか。それほど大きい物ではないので」
 
しかし、神宮寺の推測通りではなかった。熊野神社の本殿は宮司によって、動かされずそのままの場所で、湖の中に沈んでいる旧熊野神社の社殿内に戻されていた。亡くなった当時の宮司が決断したことだった。代々宮司だけに受け継がれた書き物に書かれている命で、そのようにしたようだ。しかし、本殿内に幕府から預かった物は、宮司が取り出し密かに別の場所に移した。湖に沈めれば、有事の時に間に合わない。そこで本殿だけ元通りにし社殿と一緒に沈ずめた。当時の騒ぎが過ぎれば、またしばらくは忘れ去られ、静かに時が過ぎてゆくのだろうと判断したのかも知れない。
やはり江戸幕府の御用金は、宮ケ瀬周辺にも隠されていた。しかし、それが今、どこにあるのか? 
                       龍
 
圓●と四■は朝早くハ菅山のハ菅神社の境内にいた。海底の橘さんから頂いた地図を参考にして昔、修験者が歩いた道、今は獣道になっており、その道を探しながらこれから歩く。
子供の頃、山々を駆け回っていた二人、ちょっとした冒険心と童心が蘇ったみたいで今日の調査を楽しんでいる。
「四■、デスクワークばかりで足腰弱っているんじゃない? 久しぶりに練習になるな」
少し運動不足気味だが、今日の調査を楽しんでいる四■は、
「菱◆から、ずっと前から言われてた。もっと鍛えろと」
「まあ、そのうち昔の感覚を思い出すよ。俺たちはこんな環境で育ったんだから」
二人は苦も無く道を見つけ、山深く入って行った。ハ菅神社から裏山に入り、出だしはハイキングコースだったが、地図にある脇道を入ると少し先からは道が無くなっていた。
地図にハ菅山から大山までの修験者ルートがなん本か描かれていたが、二人は相談した結果、一般的なコースではない、飯山(白山)から、そして三峰山を経て大山を目指した。
帰りは大山から日向薬師を通り、車の置いてあるハ菅神社までのルートだ。
この片道でも一般人には到底無理だが、修験者やこの二人には可能だ。
飯山の白山まで山伝いで歩いた。国道に出て煤ケ谷から登る三峰山はかなり険しい。
四■が息を整えながら
「圓●、このルートは人にめったに会わずに、秘密の伝令にはいいが、物を運ぶには厳しいな」
「やはり、中津川や沢の近くからの川を利用した方が、理にかなってる」
前を歩く圓●が「別の日に地図を見て、川沿いのコースを歩いて見よう」
二人は昼過ぎに難所が続く三峰山から大山を難なくたどり着き、一息ついて
景色を楽しむことなく帰り道を歩き出した。
夕暮れ近く、ハ菅神社境内に着いた二人は、さすがに疲れを浮かべ、口数も
少なくなっていた。帰りは大山から日向薬師まで山道を歩き、日向薬師からは一般道とバスを使い、戻って来た。
「久しぶりに本気で歩いたな。四■、大丈夫か? 明日仕事だろう?」
「さすがにへばった。明日は会社には出ず、自宅で仕事をするよ」
日が落ちたハ菅神社は、さすがに修験者の場だ。静けさの中に凛とした空気が漂っている。
二人は社殿に向かってお辞儀をし、境内を見渡し、静かにそこを去った。
 

ハ菅神社向拝龍三態

※ 冒頭の写真・愛川町ハ菅神社


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