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『龍の遺産』   No.18


第三章 『龍は死なず!!』


松崎の町役場を熊野権現の吉野が一人訪ねていた。
入り口を入るとほとんど全員が顔見知りなので
「ご無沙汰してます」と全員に向かって挨拶をした。 
奥の方で作業をしていた職員の一人が吉野の方に顔を上げた。
「これは吉野さん、今日は何の用事? 例祭の話はまだ早いですよね?」
「いやいや今日は、個人的な興味で調べていることがあって、役場に資料はないかなと思ってお邪魔しました。うちの神社の彫り物を作った石田半兵衛さんの資料は役場にはありませんか? まだ調べ始めたばかりなのでどこから手を付けていいのかわかないので、何でもいいんですが・・・・・・」
「石田半兵衛? ごめんなさい、私はその手は勉強不足なので別の詳しい人に聞いてみます。その人ここの人?松崎で生まれた人?」
「そうと聞いています。宮大工で幕末ごろの人だと思います」
「分かりました。助役はこの手の話は詳しいはずですので、ちょっとお待ちください。
しばらくして奥から助役が先ほど人と一緒に話しながら近づいてきた。
「これは吉野さん、半兵衛のこと、知りたいんですか? 珍しいことがあるもんですね。 同じ話を聞きたいと神奈川の方から少し前、若い方が訪ねて来ましたよ」
吉野は少し驚いた。あまりの偶然が最近2回もあったことに興味を抱いた。
「神奈川からわざわざ訪ねて来たんですか? 石田半兵衛の事で?」
「ええ、何だか神社やお寺の装飾彫り物(宮彫り)に興味があって、グループで調査研究をしているそうですよ。その代表の方からここの石田半兵衛の事を聞き、作品を観に来たそうです。」
「私も興味があって昔、仲間と一緒に調べたことがあって、まとめた小冊子があったと思うのででその方に一冊差し上げました。かなり前の資料ですよ。確か昭和50年ごろだったかな~?」
「ちょっとお待ちください。まだ少し残ってますので持ってきます」
助役は返事を待たずにまた奥を戻って行った。最初に対応してくれた職員が、
「助役、詳しいでしょう。そう云えば助役が、石田半兵衛一族は、松崎町の家宝だと以前言っていたことを思い出しましたよ。私にはよくわかりませんが・・・・・・」
助役が一冊の冊子を持って戻って来た。
「これなんですが・・・・・・」と言って、吉野に手渡した。
それのタイトルが「石田半兵衛一族とその作品」、松崎町の文化財をまとめた資料の一つだ。ざっとページをめくるだけで、石田半兵衛一族の事が詳しく書かれている
ことが分かった。そしてその作品がいつ作られて、どこにあるかも書かれていた。
これだけで今のところは十分すぎる。
「ところで助役、その神奈川から来たという若い人、他に何か話してませんでしたか?」 
助役は少し考え込んで・・・・・・、
「そうですね。私がここ松崎町の半兵衛の彫り物がある寺社を教えた後、確か湯河原にも半兵衛の作品があるので、この後、観に行くとか言ってましたね。とにかく熱心だったことを覚えています。吉野は手元の冊子を開いて、湯河原の半兵衛の作品のある寺社を探した。子之神社と醍醐院にあった。
「とにかくさわやかな若者だったですね。私と同じくこの半兵衛に興味を持ってもらってうれしいです・・・・・・多分、吉野さんの熊野権現にも行ったはずですよ」
吉野は別の事を考えていた。本当にその若者は石田半兵衛の作品だけ見に行ったのか? 偶然にしては出来過ぎだ。 神奈川の新聞には千葉の宮彫り師と北斎との関係が書いてあった。伊豆だとやはり石田半兵衛だ。このことを太田に伝えて、下田の半兵衛の作品を調べるように云おうと思った。
 
               ≪龍≫
 
神奈川中央新聞の好意により車を出してもらい青木の運転で箱根を向かった。神宮寺と風人はこの一週間作業を分担して、神奈川中央新聞からの戊辰箱根戦争の資料を読み、ある程度今日訪れる所を絞り込んで来た。
事前に林道や舗装されていない道を想定して、4駆の車を出してもらった。
「青木さん、メールで送りました場所、今日一日で回れますか?」
「風人さん、道が混んでなければ十分回れますよ。週末でないので多分、大丈夫です。最初は箱根町立郷土資料館でしたね。事前に連絡を入れてありますが、電話に出た方が、その手の資料はあまりないようなことを言っていました」
「まあとにかく箱根湯本にある資料館へ行ってみましょう!」
神宮寺たちを乗せた車は、三枚橋からの旧道を少しは入った所にある箱根町立資料館へ向かった。
やはり資料館にはあまり資料が無く詳しく知る担当者もいなかった。自分たちで調べた手元の資料を見ながらの調査となった。旧東海道に沿っているが道が狭いので数か所毎で車を降りての調査となった。最初は白山神社、早雲寺、正眼寺などを調査し須雲川に沿って車で途中まで登った。風人たちはその度に車を降りて車は青木さんに任せ、旧東海道に沿って歩き、その間、駒形神社、鎖雲寺などと経て、畑宿まで足を伸ばし、青木さんとそこで合流を予定した。畑宿手前には五十三次には含まれないが本陣跡(茗荷屋(みょうがや))あるが、難所だった箱根、要所要所にこのような集落が作られており、その中でこの本陣としての茗荷屋には当時、多くの旅人が足を止めた。そのような集落が元箱根まで続いている。景色を眺めながら歩いている風人の少し前を若い二人のハイカーが歩いているのが見えた。丁度畑宿を過ぎたあたりで、彼らは迷いもせずに旧東海道を右に折れ、林道へと入って行った。青木さんは既に着いており、着いた我々に周辺の状況を教えてくれた。
「この畑宿には別の駒形神社・守源寺がありますので、まずはそこへ行きましょう」
青木は二人を守源寺へ案内しようと歩き始めた。
風人は青木さんに声をかけて、20m先を指さし、
「青木さん、そこの先から右へ入る道がありますよね。さっきハイカーが入って行きました。その道に何かありますか?」
「ああ、あれは芦之湯へと続く道です。見どころは途中に夫婦桜や滝、確か飛龍の滝だったかな、県下一の雄大な滝がありますよ」
「飛龍の滝・・・・・・?」
風人は先ほど見た二人のハイカーの事が気になっていた。一見、普通のハイカーのようだが、二人の醸し出す雰囲気が物見遊山ではなかった。周りの景色に眼を奪われず目的を持ったしっかりとして足取りで歩いていた。飛龍の滝を見に行ったのか? 
芦之湯まで足を伸ばしたか? 観光客もあまり訪れない林道だ。
青木さんが怪訝な表情の風人に向かって、
「箱根湯本から少し東海道を上がった所に湯坂路と呼ばれるハイキングコースがありまして、そこからもその林道へ入れますよ。そちらのコースの方が一般的ですね」
神宮寺は手元の資料を見ているので、青木さんと風人の話はあまり聞いていなかった。
風人は地図を見ながら独り言のように・・・・・・
「元箱根の関所からこの道を通り、箱根湯本へ・・・・・・遊撃隊は箱根湯本で小田原藩を迎え撃つためとはいえ、想像を絶しますね。かなりの覚悟で小田原藩と新政府軍へ向かって行ったんですね。遊撃隊は箱根湯本で撃破され、本隊は熱海方面へ山伝いで逃げ、残りの少数はこの道を戻り、箱根の山の中を敗走したと聞きました」
「この先のお玉が池から下って元箱根に行けば、新政府軍が待っています。前後に挟まれて逃げ道がありませんね。ここらへんで何かその跡が残っているといいのですが? まずは日蓮宗の守源寺へ行って見ましょう」
 
※ 守源寺は日蓮宗で寛文元年(1661年)に建立され、度々の災害で
  本堂を失い、再建されている。

 
現在の守源寺にはそれらしき足跡は何も無かった。次に訪ねたのが駒形神社、近年再建されたようで向拝中備えには龍があり、社殿の造りも新しい。木鼻に特徴があり向かって正面は獅子の上半身、向拝頭貫の横には獅子の下半身が彫られている。 
ここも江戸時代の面影は残っていなかった。
「先生、一つ忘れていましたが、早雲寺に遊撃隊の碑があります」
「そうですね。最後にそこを見て行きましょう」
三人は車に戻り、今来た道を引き返した。
 
              ≪龍≫
 
二人はあまり会話もなく、足元をしっかりと見つめ歩いている。沢の音と鳥のさえずりだけが聞こえてくる。旧東海道の畑宿を少し過ぎた先を右に折れ、少し登ると夫婦桜がある。枝垂桜で春にはその枝垂桜を見に、ここまで登ってくる人がいると聞く。
「丁度いいハイクキングコースだな。千葉にはそんなに高い所がないから・・・・・・」
伊庭は人見が聞いていようがいまいが関係なくつぶやいている。
「昔の人はわらじで歩いていたんだよな。東海道の石畳やこんな山道を」
先を歩く人見は、考え事をしているようだ。ふいに人見が振り返って
「伊庭! ちょっと想像しながら推理しながら歩こう! 敗走した連中がここを歩いて登った。後ろを気にしながら、陽は落ちかけている。山の日没は早い。明日には追手の敗残兵の山狩りがすぐに始まる。のんびりしてはいられない状況だと思う。旧街道を箱根関所の方には逃げられない。やはりこの道は入ったんだな。他に脇道あったか? 二つの山(鷹巣山・二子山)に挟まれ、そのまま芦之湯から東海道を下った。どうだ、この推理、どう思う?」
「我々の先祖は、そこから真鶴か熱海へ逃げた。かなり的を得てると思う」
段々足場が悪くなり急になり人がやっと一人通れる道幅になってきた。徐々に沢の音が大きく聞こえるようになってきた。
「伊庭、もうすぐだ。下から滝を見上げるような場所行ける」
滝から落ちる水の流れを横切って、滝を見上げる場所へたどり着いた。二人は荷物を置いて、最先端まで行き、滝を見上げた。二段になっている滝の上の段は木々に遮られ、かすかにしか見えないが瀑布は十分に感じられる。
「人見、ここで写真を撮って待ってろ。俺が上へのルートを探してくる。俺の考えでは、ここから登るのではなく、さっきの道をもう少し芦之湯方面に昇り、そこから滝へ降りる道を探した方がいい。とにかくここで待ってろ。1時間程度で戻ってくる」
伊庭は背負ってきた荷物の中から必要な物を選び、道を戻って行った。人見たちのほか誰も来ない。人見は落ち着いて周りを見渡し、カメラで撮りだした。伊庭も上で写真を撮っているはずだ。千葉に戻ってから、ゆっくりと写真を照らし合わせて検討しようと考えた。
小一時間ほどして、伊庭が戻ってきた。靴がかなり汚れている。
「この滝に降りる道は無いというか、滝の音を頼りに木々の中を分け入ってきた。
上の段の滝のそばまで行けるが、その先は俺一人では無理だ。少なくとも2~3人必要だ」
「どうゆうことなんだ?」
「俺の頭の中では、100キロ近くの荷物を持って、滝のそばに行き、その荷物を下に下ろすのには一人では無理だと言うことだ。ましてやここ、下から持っていくのは不可能だ。これだけ分かっただけでも良しとしなくては・・・・・・」
「分かった。写真は撮ったな。戻ってから相談しよう」
二人は再び滝を見上げた。飛龍の滝の水はうねって雲を突き破って天にも昇る龍のように見えた。

            ≪龍≫
 
神宮寺先生と風人が箱根周辺調査を受け持ったので、圓●たちは西伊豆の松崎町を
目指した。すでに風人が一度訪れているがその時は、このような展開になるとは思ってもいなかったはず。ただ単に石田半兵衛の作品を見に来ただけだった。三人は車でまずは情報収集のため、町役場へ向かった。松崎町の役場へ三人で入り、圓●が受付の人に声をかけた。いみじくも熊野権現の吉野権禰宜に対応した人だった。
「すいませんが松崎町で生まれた木彫り師の石田半兵衛さんの作品に詳しい人はおいでになりますか?」
対応した男性が・・・唖然として
「あなた方も、石田半兵衛の作品を探しに来られたのですか?」
この担当者の反応に圓●がちょっと戸惑った。感が働いたというか、すぐに、
「いや、多分色々な方が訪ねていらっしゃったと思いますが、最近、誰かが同じことを聞きに来ました?」
「ええ、近頃というかここ一ヶ月に何人もの人が同じ質問をされるので、すいません」
圓●は、風人のほかに誰かがここに来たことを理解した。ここで自分たちの事を話すのはまだ早いと思い、興味本位の聞きかじりの観光客の装った。
「私、龍が好きで、偶然湯河原のお寺さんで半兵衛さんの龍を見まして、ここで沢山の半兵衛さんの龍が見られると言われ、友達を連れた来ました」
対応している男性がこのことを、助役に伝えようか迷っていたが、
「少し前に石田半兵衛さんの作品があります神社の方がお見えになりまして、同じような事をお聞きになりまして、たびたび同じことが起きるのだなあと驚いています」
「どちらの神社さんですか? これからお伺いしたと思っていますが・・・・・・」
「熊野権現という神社さんです。町には石田半兵衛の作品が数か所まだありますが、熊野権現の吉野権禰宜さんにお聞きになれば、教えてくれると思います」
場所を教えてもらい、早速車で向かった。 車内で三人三様、この展開を考えていた。
四■が運転しながら「圓●、どう思う? 偶然で終わらない話だよな~~。風人くんの話なら納得できるが、そのすぐ後に、地元の神社の関係者が来て、調べるなんてことある?」
圓●が「とにかくその熊野権現の権禰宜には、我々は単なる観光客だと思わせる、分かったな。俺が話す。その後の事は戻ってから考えよう」
二人は同時に「了解!!」
 
熊野権現の境内には人影が無く閑散としている。三人は参拝を終え、境内を見て回っている時、その静けさの中、社殿の裏側から音の聞こえてきた。社殿の裏から少し上がった所に手書きの看板が立っており「弓道場」と書かれていた。手作りの弓道場らしく人が二~三人しか立てないが、的までの距離は十分にある。
一人の男が、矢をつがえ射る動作を繰り返している。普段の弓道場で見るのと異なり、歩きながら射ったり、何本もの矢を素早くつがえて射ったりしている。
圓●たちが見守っているのも気づかずに無心に矢を射っている。かなりの腕だ。実践的な、狩りのための弓のようだ。
しばらくすると、圓●たちに気付いたようで振り向き軽く会釈して、
「気づかずに失礼をしました。何か御用ですか?」
「すいません、お稽古の邪魔をしたようで・・・・・・。ただ単に参拝に来ただけですが、音が聞こえましたので・・・・・・」
「吉野さんですか? 役場の方からここに石田半兵衛の彫り物があると聞きましたので伺いました。私ども、以前から宮彫り、寺社の装飾彫り物に興味を持っていまして、機会があるごとにこのように参拝して、社殿などの彫り物を見て回っています。 
今回は修善寺まで来る機会がありましたので、ここまで足を伸ばしてみました」
吉野は納得したように、弓の練習を終わりにして、
「それはそれはわざわざご苦労様です。私どもに伝わる石田半兵衛の彫り物はそれほど大きくもありませんが、本殿の向拝などに残っております。しばらくお待ちください。せっかくいらしていただいのですから、本殿をご案内します」
吉野は着替えるために、社殿内に戻った。
「彼が吉野権禰宜かな? 多分そうのようだ。このまま見させてもらおう」
吉野の案内で本殿に彫ってある石田半兵衛の作品を観させてもらった。
「ご存知のように石田半兵衛は松崎町で生まれで、この周辺、伊豆半島に作品を見ることが出来ますが、山梨にもあると聞いています。ぜひ他も見ていってください」
吉野は圓●を含め三人になんの疑いも抱かずただの興味本位の観光客だと思った。
「役場でお聞きしましたが・・・・・・吉野さん、吉野権禰宜さんでよろしいですよね?」
「はい、そうです」
「この神社はいつ頃に建立されたのですか? かなりの歴史を感じます」
「そうですね。私もまだこの道に入ってからあまり経ってはいませんので、
詳しいことは良く分かりませんが、創建はかなり古いと聞いております。
この社殿は、1800年代後半に建て直されたと聞いております。私どもはこの周辺の三つの神社を管理をしており、あまりここに来ることは少ないです」
「吉田さんの兼務されている他の神社さんにも、石田半兵衛の彫り物がある所、ありますか? 出来ればこの足で回りたいと思ってます」
「そうですね。ここから少しありますが、西伊豆の宇久須の宇久須神社、それと南伊豆の妻良の三島神社に行かれたらいかがですか? 半兵衛の作品がありますよ」
「ありがとうございます。早速見に来たいと思います」
圓●が改まって吉野権禰宜に聞いた。
「ところで先ほどの弓道ですが、一般的な弓道とは違いますね」
「ええ、私どもの家に伝わっています実践的な弓で、戦さや狩りのためのものです。あまり知られていませんが、伊豆の数か所で今もに残っています。的も固定ではなく、動いている的を射ったり、大きさの違う的を射ったり、走りながら射ったりします」
「先ほど、速射ですか? 何本もの矢をすばやく射ったりしていましてね・・・・・・」
「流鏑馬のように馬上からではありませんが、走りながら追いかけながらの速射は私どもに伝わっています。私の先祖が掛川藩の武士、下級武士だったからですかね馬も持てない。
すいません、余計な話をしていまいました。どうぞ旅行をお楽しみください」
 
「あれはいい腕だ。一朝一夕で出来ることではないな」
 菱◆が感心したようにつぶやく。圓●も「今どきでもいるんだな。彼のような人」
四■がPCにデータを入れながら一言 「俺たちも似たようなものだ。過去を引きずっている」
「ところでどう思う? 石田半兵衛をもう少し追いかける? ここまで来たんだからあと二つ、ついでに行ってみるか」
四■はすでに圓●の考えを読んだように車を西伊豆の宇久須に向けていた。
                      
             ≪龍≫
 
「なんか怪しい雲行きになってきたぞ、鮫島」
「どうした? なんかあったのか?」
吉野が鮫島の家に出向き、先日訪れた圓●たちの話を鮫島にした。
「たびたびこんなことがあると思うか、それもここ最近だぞ」
「その連中、石田半兵衛の彫り物を探しているということか? 偶然にしては出来過ぎだな。太田に連絡して善後策を練ろう」
「単なる興味本位の観光客かも知れないが、我々にとってみれば、もっと真剣に取り組めと言っているかも知れないな。吉野、その連中が役場で聞いたんだら、何か情報があるかもしれないから、聞いて来い。俺は太田に連絡を入れる。湯河原と箱根の方はどうなったか聞いてみる」
吉野も鮫島の思った以上に事が動き始めているのを感じている。何から手を付けていいのか・・・・・・三人集まってから次の手を考えよう。まずは情報収集だ。
 
鮫島から促され、吉野は翌日、は松崎町の役場へ出向いた。前回対応してくれた
担当が在席しており、早速問いかけた。
「先日はありがとうございました。それから昨日若い方がここの紹介だとおっしゃっていらっしゃいましたが、どちらの方かお聞きするのを忘れまして、何か聞いてますか? かなり興味をお持ちのようで、これからもご連絡が入るかも知れませんので」
「ああ~先日の三人の若い方たちですね。私がその時対応しまして吉野さんの熊野権現を紹介しました。え~と確か神奈川の方たちでお寺や神社の彫り物を調査している
グループと一緒に活動しているとかおっしゃってましたね。そのグループに所属しているわけではないようです。すいません、名前は伺っておりません」
「神奈川の方から来た方ですか? 」
「女性の方がかなり詳しくてびっくりしました。私では対応出来ないと思い、助役にお願いしようと思ったくらいです」
寺社の彫り物を調査している。神奈川で活動しているグループの関係者?
太田から聞いた中にあったな。神奈川の新聞記事の中にそんなことが書かれていたかもしれない。あとで調べれば分かるだろう。前回の一人で訪れた若者もしかり、何やら動き始めたようだ。鮫島が持って帰ってくる報告と一緒に三人で話し合おうと決めた。              
                 
             ≪龍≫
 
神宮寺先生と風人の箱根の調査、圓●たちの西伊豆での調査から一週間が経った。各自調査した資料とまとめた。すでに以前に同じような事柄があったので、今ある資料での推測、推理を含め、お互いの情報交換の場を設けた。場所はいつもの神奈川中央新聞の会議室。各自の資料は事前にデータで送ってある。神奈川新聞はそれを整理して要点をまとめ上げている。次の特集記事のためにすでに骨組みは出来上がっており、
神宮寺先生の報告資料と圓●たちの調査資料は要点が整理され分かり易くなっていた。
いつものように神奈川中央新聞のデスクのあいさつから始まった。
「皆さん、お疲れ様でした。またいろいろな実りある情報が集まりました。大変興味深く拝見しました。ここに要点をまとめてみましたので各自の報告は、これに沿って進めればと思っております。私の個人的な意見としましては、以前も大変驚いた展開でしたが、今回はそれにも増してスケールが大きくなっていると感じております。
この共同作業に加われたことに感謝するとともに、ご一緒にまとめ上げたいと思っております。あとは青木に進行を任せますので・・・・・・私はオブザーバーに徹します」
「神宮寺先生、皆さんから頂いた情報を我々が簡単にまとめた物がお手元にあると思います。これに沿って進めたいと思います。まずは先生、お願いします」
同じ報告が繰り返されないように既に報告済みの内容はまとめられており、検討しなければならない内容と分けられていた。さすが新聞社だ。
「青木さんから先ほど、これとは別に今後の私どもの今行っている調査研究を土曜日の特集として取り上げたいとのお話がありました。部長(デスク)からも要望があり、私としましたらここにいらっしゃる方々の承諾があればとお受けしました。私としましたら次への整理として非常に役に立つと思っております。調査し、資料をまとめ、検討し、発表することにより流れが生まれ、検証の機会がその度に出来ます。また、次への調査や研究の無駄の無い動きが出来ると思っています」
皆はすでにこの件は理解しており、お互いの立場も理解している。
「早速始めましょう! まずは私どもの箱根の調査からその後、圓●さんたちから伊豆の報告をしていただきましょう」
神宮寺は先日の箱根での調査報告を始めた。
「この調査のベースになっているのは、圓(まどか)●さんの祖父、お爺さんからの話です。皆さんの手元にある資料です。話が繰り返しになってしまいますので省いて、簡略してお話しします。
私どもはある推測の元に今回は箱根に向かいました。当時の幕府の守りの外側の防衛線として、山側は箱根周辺、海側は伊豆半島中心、特に西伊豆と考えました。山側の守り、これに沿って私と風人くんは箱根の湯本から旧街道に沿って調査をしました。この背景にあるのが新政府軍と幕府軍が戦ったいわゆる「戊辰箱根戦争」です。その内容は皆さんの手元の資料内にあります。私が調べた範囲では、江戸幕府は当初小田原藩へその防衛のため、軍用金供給を準備しておりましたが、小田原藩が新政府軍側になったり、また新政府軍に移ったりしましたことで信頼を欠きました。
この戊辰箱根戦争で戦ったのは千葉の木更津請西藩士(じょうざいはんし)を中心とした「遊撃隊」と称する幕府側の武士たちでした。かれら遊撃隊総勢約70名、は千葉から船で真鶴に上陸し、新政府軍を迎え撃つこととなりました。そのことは資料に詳しく書かれています。幕府が用意した軍用金は、当初は小田原藩用でしたが、その後多分、この遊撃隊に渡ったのではという解釈も成り立ちます。小田原藩が最初新政府軍側になり、その後寝返って幕府側になり、その後また、新政府軍の圧力(脅し)に負けて、新政府軍側になり、最終的に遊撃隊を敵と見なし小田原から追い出し、戦うことになります。場所は箱根湯本あたりの山崎と言う小田原寄りの場所です。遊撃隊は圧倒的な新政府軍の軍勢と最新軍備で、山崎の戦さに敗れ、本隊は山伝いに敗走し熱海から千葉へ戻りました。しかし一部の隊は、箱根山中に逃げたと言われております。ここまでは歴史に綴られております」
神宮寺は一息入れ、みんなを見渡して話を続けた。
「肝心の軍用金はどうなったのか? 千葉に戻った遊撃隊の資料にはそのことは書かれていません。千葉に戻った遊撃隊は、再び戦さへ行く準備をして、東北へ向かって行きました。この件に関して地元に行き、調査が必要だと考えております。
遊撃隊は追われて山の中を敗走しているのに余分な重たい荷物は持って行けるとは思いません。着の身着のままで逃げたと思います。すぐに新政府軍から敗残兵の山狩りが始まりますから・・・そんな猶予はありません」
「ここからが先日、私どもが旧東海道へ調査に行ったことに繋がります」
神宮寺は風人に頼んで、ボードに箱根周辺の地図を貼り出した。その地図を指差しながら・・・・・・
「遊撃隊の本隊は箱根湯本から道無き道を山伝いに熱海に逃げます。逸れたか意図的に別れたかは分かりませんが、数名か十数名が、本隊から離れて旧東海道を下ります。
しかし元箱根にあります関所までは行けません。沼津藩が待ち構えています。ご存じの通り、旧東海道の左右は山々(塔ノ峰、早雲山)などに阻まれており、軍備、大筒や鉄砲を担いで、また弾薬もありますし無理でしょう。それに加えて幕府の軍用金、圓●さんのお爺さん話ですと、少なくとも数万両とのこと。私と風人くんでこれらを考慮すると箱根湯本から芦ノ湖に向かう峠までの何処かに幕府と縁のある寺社かまたどこか、次の機会(再び新政府軍との戦い)のために取り出せる場所に隠したのではないかと考えました。ここまで風人くん、付け足すことありますか?」
今まで黙っていた風人は、静かに立ち上がりボードの前まで歩き、話始めた。
「先生と私は遊撃隊の当時の状況をイメージしました。小田原藩に裏切られ、城から放り出され、前後に敵に挟まれた状況だったと思います。後ろと言いますのは沼津藩、掛川藩はすでに新政府軍に寝返っております。遊撃隊としたらここは一旦退却し、再編成してからの戦いを選ぶと思います。その際に必要となる軍用金を信頼できる仲間に委ねて、敵を退却する本隊に引き付ける策を取るはずです。先生と旧東海道を調査しましたが残念ながら、まだその痕跡が見つかりません。わずかに分かることは、遊撃隊を指揮した請西藩の武士の中に隊長の人見勝太郎と伊庭八朗がいます。彼らは無事に千葉に戻りましたが、ふたたび奥州(東北)へ戦いに出かけ函館まで戦っております。彼らが何か知っているか何か残しているか、調べる必要があると思います」
圓●たちはボードの箱根の地図を食い入るように見ている。PCの画面を眺めていた四■が・・・・・・
「遊撃隊が箱根関所から箱根湯本に陣地を構える際、旧東海道を使うしかありませんが、湯本からは塔ノ峰や早雲山に尾根伝いに兵器を運んで大筒などを備えたようですよ。そうすると湯坂路もありますね。ここは家康が江戸に入る時に使用した道です」
「遊撃隊はその道を知っていたのでしょうかね。地元の道案内がいますよね」
今度は圓●がボードに近づき、湯坂路を探し始めた。箱根湯本から東海道を少し上がり湯坂路の入口を見つけた。指で辿ると芦之湯から旧東海道へと繋がる道、林道を見つけた。
「この道を使えば敵が待ち受けている箱根関所を迂回出来ますね。少し遠回りになりますが・・・・・・可能です」
風人は、あの調査に出向いた日、二人の若者が畑宿から右に折れてその林道に入っていったことを思い出した。これか! ず~と気になっていたのは。 畑宿のそばには陣屋がありそれなりの設備が整っている。遊撃隊はこの道を通っているのでその周辺には明るかったはずだ。風人は圓●の横に立ち、今度は畑宿からその道に入る所を探した。あった!!
指で道をなぞる。その先には目指していた場所があった! 「飛龍の滝」。やはりここにも龍がいた。箱根湯本から調査したが、それと思える寺社が無かった。寺社ではなかったかも知れない。風人の指が止まった場所、飛龍の滝に全員の眼が引き付けられた。
「そうかここかも知れない。私たちは寺社ばかり探していたが、龍という
目印は他にもあった」

神宮寺は前回の調査では意識していなかったその林道、風人はしっかりと目に焼き付けていた。
「先生、もう一度行って見ます。一人で大丈夫ですので、写真を撮ってきます。少し気になることもあるので・・・・・・」 風人はその時の二人の若者が気になっていた。
神奈川中央新聞の青木がデスクを見て、「もう一度、車を出しましょうか?」と言った。
しかし風人は「今回は歩いて行った方が良いかも知れません。周りを見ながら辿ってみます」
ある程度道筋が見えた所で神宮寺は、
箱根方面はもう一度、調査することにして、それは風人にお願いします。
また、千葉へ行く必要がありそうなので、これは私が行くことにします。
圓●さん、お待たせしました。西伊豆での話をお願いします」
風人が慌てて・・・・・・
「先生!私も千葉行き、同行させてください。いつものように・・・・・・」
風人は先生一人よりは何かあった時のための自分だと思っている。
青木はボードに西伊豆の地図を貼り出した。やはり手元の地図より皆の気持ちが集中できる。圓●がその地図を指でたどりながら・・・・・・
「私たちはここ修善寺から入って伊豆半島を下り、松崎町を目指しました。既に風人さんが訪ねていますが、私どもも最初は松崎町の役場で情報をと思い訪ねました。
ここで少し新しい情報が手に入りました。風人さんをはじめとして石田半兵衛の作品を訪ねてくる人が増えたそうです。
それもここ最近。私どものそうですが、これは何かあるのかと考えてしまいます。
私たちは分析、推理はあまり得意ではありませんので、それは神宮寺先生にお任せして、出来るだけ詳細な資料と情報集めに徹したいと思っています。四■はそれなりにその方面は好きなようですが。集めた資料は配布してありますので、確認してください。
私が気になったのは二つあります。石田半兵衛の作品が湯河原にあること、そこに初代伊八の龍などの作品があること。これは皆さんがご存じのことです。
もう一つは、石田半兵衛自身だけではなく、その子供たち、特に長男(馬次郎・一仙)、次男(冨次郎・小沢希道)、四男(徳蔵(俊秀)までの作品がある寺社の調査も必要ではないかと思いました。半兵衛だけの作品もありますが、子供たちと共同の作品もあります。年代的に長男:馬次郎と三男:冨次郎の製作した宮彫りも調べる必要があると思っています。風人さんも訪ねたと思いますが松崎町の熊野権現ですが、権禰宜の方とお会いしてお話をしました。ここは私どもの勘といいますか、感じたことですが、役場に石田半兵衛の資料を探しに来たのはこの方と聞きまして、注意深く観察しました。話の流れでご当人(吉野権禰宜)が自分の先祖は掛川藩の武士だったと話し、何かの縁あって熊野権現に入られたようです。」
「と言うことは、元は掛川藩の武士ということは、幕末当時の話は伝わっていると思っていいかも知れませんね。山側の守りともう一つの海の防衛線、これは外国船の脅威のためですね。今頃になってどこかで石田半兵衛の話を聞き、それを辿って行ったかも知れないですね」
神宮寺は神奈川中央新聞での連載記事がここまで広まった可能性を感じた。
「青木さん、最近、私どもの事の問い合わせ、ありましたか? 電話でもメールでもかまいませんが」
「ここでは分かりませんが、後で調べてご連絡します」
デスクもやはり気になっているようで、「あの記事から関連付けた可能性は無いとは言えませんね。確か最後の週に、箱根と伊豆の話を掲載しましたね」
「そうです。三浦半島の北斎と初代伊八との関係、厚木地区の宮大工・宮彫り師、
最後に箱根と伊豆に北斎と宮彫り師の出会いがあったのかもと文章に残しました」
今頃になって色々な人が同時に調べ始めることなどあまりない。何かの触発で気付いたはずだ。それが我々の記事なのかは分からない。
「戊辰戦争が始まる前には、多くの外国船が沿岸近くまで来て脅威だったはずで、その当時松崎町の沖合に外国船が度々来たと聞きました。当時の幕府はその防衛のために松崎町に陣屋を設け多くの役人を配し、港を整備し、見張り所を設け、造船所まで作ったと言われています。そのお金は、松崎町を飛領地としていた掛川藩では用意出来ません。藩財政は乏しく、やはり幕府からのお金が流れていたと考えた方が正解だと思います。どの位かは圓●さんのお爺さんも分からなかったようです。当時の松崎町は千人も満たない程度の漁師町に何十人もの役人が来て、港が整備されて環境が変わったはずです。
その当時、掛川藩から下級武士が派遣され、松崎町に着任した中に、圓●さんたちが出会った熊野権現の祖先の方が含まれていたかも知れません。縁は奇なりですね」
神宮寺先生が今までの話を聞いて
「一つあまり今まで話題にされていなかった人物がいると思います。圓●さんが思い出させてくれました。私は彼こそがこの出来事の中心人物ではないかと思っています。あくまでも想像の範ちゅうですが、石田半兵衛に接触したとしたら?葛飾北斎はその家族とも会っているはずです。長男:馬次郎(一仙)は稀有の天才と言われています。木彫り師としては父半兵衛の元で修業し、江戸に出て狩野派の絵師に教わり、宮大工として必要な絵図(デザイン)に秀でており、また、造園にもその才能を見せています。
風人くんが松崎町役場からいただいてきた小冊子には、馬次郎の事が書いてありまして、私は彼が今回の重要人物だと思っています。本には馬次郎は
沖合に外国船が度々現われたことに大変危惧しており、度々掛川藩にそのことを伝え、またその対策を進言しています。彼だからと思う発想で、外国船と対抗しようと当時の掛川藩主に新しい船の造船を提出し採用されました。それが軍艦にもなり輸送船にもなる「無難車船」です。

 
※  無難車船とは、大小の七隻の船を繋ぎ合わせ、1隻の船とみなして、両舷に水車を取り付け、この水車を回転させることによって進む方式。西伊豆の荒波にも七隻を繋げることにより耐えらるように工夫がされていた。最初の計画では動力で動かす予定だったが、それが出来上がるまで人力で動かすことにした。
 
松崎町に造船所を造り、無難車船の建造を始めた。そんなお金、掛川藩にはないはずです。この計画には当時の幕府が絡んでいるはずです。圓●さんのお爺さんの話の中には出てきませんでしたが、幕府が各地に用意した軍用金が使われたと思います。」
今まで黙っていたデスクが身を乗り出して、
「面白い話が出てきましたね。その無難車船の姿?形?は分かりますか?」
「残念ながら資料が残っていないようです。あればもっと興味が湧くはずです」
先を急ぐ青木が、「その船はどうなったんですか?」
松崎町で作った最初の試作船は木造船で失敗に終わったそうですが、その後江戸で鉄製で作り、成功したようです。このように江戸城のお膝元で造ったということは、幕府の許可が無いと出来ないことです」
「また無粋はお金の話になりますが、数百両ではこのような計画は出来ませんし、数千両も数万両程度はかかります。たった一人の思いつきに掛川藩がそれだけのお金を出すでしょうか?」
神宮寺は、少し考えて

「私はもう一度、風人が松崎町からいただいてきたの本(小冊子)を読み直し、もう一度西伊豆方面を調査したいと思っています。今までの流れでいくと龍の彫られている寺社、龍にまつわる場所などを探したいと思っています。風人くんの案内で・・・・・・」

箱根神社山門


※ 冒頭の写真:箱根神社社殿向拝の龍


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