『龍の遺産』 No.15
第三章 『龍は死なず!!』
『葛飾北斎と伊豆の名工:石田半兵衛一族』
最初に、この物語を語る上に、その時代の背景とその時の出来事を説明しなくてはなりません。
歴史の表舞台に華々しく登場し、書かれている史実とは別に、誰にも知られずに埋もれて行く小さな陰の出来事があります。
幕末時の掛川藩(現在の静岡県掛川市)の場所は当時、遠江(とうとうみ)と呼ばれていた。江戸に幕府が置かれてから長い間、目まぐるしく藩主が
交代し、1746年、藩主が太田資俊(すけとし)になってから、藩政が
やっと安定し、その後、七代にわたり幕末まで続きその後明治に入り廃藩置県で廃藩となった。当時の藩領は現在の掛川地方や駿河の一部、伊豆にも
飛領地を持っていたが、藩財政に於いては、米作中心としてお茶、木材、椎茸などがあるが、生産量が少なく、藩財政も農民も常に苦しかった。
その中で、名工:石田半兵衛(邦秀)は、宮大工の子として掛川藩領の伊豆松崎町江奈に生まれた。生年ははっきりしないが、享和元年(1801年)と言われている。
石田半兵衛は宮大工の家に生まれ、その才能を宮彫り師として開花させた。しかし、世情は刻々と変化しており、その当時から外国船が沖合に出没し、不安を煽っており、掛川藩もこれに悩まされて、この地、松崎町に役所と
見張所設け、対応に当たっていた。
天保元年(1830)、石田半兵衛の長男として馬次郎(信秀、後に
一仙、)が生まれた。この馬次郎は木彫りの技は名工名高い、父半兵衛に
学び、江戸で狩野派の絵画を学び、また、造園の才能もあり、多彩な才能を持っていた。
馬次郎は長男でありながら、彫刻師としてだけでは満足は出来ず、その勉学意欲のため、諸国を彫刻の仕事をしながら色々な学問、特に軍事学問を学んだ。
嘉永(1848~1854)に入ってから、ペリーが来航し、安政元年
(1854)にはロシア軍艦が松崎町江奈村に立ち寄って一泊していった。
度々訪れる諸外国の船の脅威から、一仙の志(こころざし)は、外国から国を守る、国防、勤王へと向かっていった。一介の木彫り師の馬次郎(一仙)が、当時の掛川藩主太田道醇に、安政4年(1857年)「無難車船建造の建白書」を提出した。
※無難車船:一仙が考案した輸送船と軍艦を兼ねた船。時化の時も沈まな
い船として設計された。どのような船なのか資料や図面が現在は残って
いない。
太田道醇(みちあつ)に、この奇抜なアイディアに驚愕し、採用された。
奇才馬次郎は世に出た。単なる宮大工出の馬次郎は、百石のお抱え侍となり、江戸と松崎町を行き来することとなった。
しかし、長年掛川藩に仕えた武士、特に下級武士には、疎まれ恨まれた。
財政乏しい掛川藩にとってその計画(無難車船建造)には莫大な費用がかかり無謀な計画にしか思えなかった。その後、松崎町で実験走行では、この
無難車は失敗し、その後、藩主太田道醇が江戸老中に起用され、掛川の地を離れたため馬次郎(一仙)の計画は頓挫した。
財政が苦しい掛川藩において、この計画「無難車船建造」とそれに付随する施設、造船所、港などの整備費用は・・・・・・ どこから捻出したのか?
そして時代は急激に変化し、その中に宮彫り師に委ねられた使命が確実に全うできたのか?
【第三章・主な登場人物】
神宮寺先生(宮彫り研究家)
「探龍倶楽部)代表。退職後、宮彫り調査研究のため、寺社を歩いて訪ねている。
以前は神奈川県を中心に調査していたが、現在は、千葉・東京・静岡など、関東一円まで足を伸ばして調査している。
特に現在は、彫り師の系図や龍の作品を探すことに没頭している。
皆から親しみを込めて「龍の先生」と呼ばれている。
風人(ふうと):本名は「かずと」
定職につかず、アルバイトをしながら生活している。ある一つの目的を持っている。
神宮寺先生と出会い、宮彫りに興味をいだき、意気投合した「龍の先生」の手伝いしている。まだ二十代半ばだが、IT社会、デジタル世界が氾濫する現代の中で、日本人が忘れかけている慎み深さやたしなみなどの「日本の美学」を持っている。
外見はひ弱な優しい青年。しかし、子供のころから風のように野山を駆け巡り、合気道、古武道で「龍」のようなしなやかで強靭な肉体を作り上げた、そして、独自の技を習得。生き方も自然体を崩さない。
いつしか皆が「風のような人」「風の申し子」・・・風人(ふうと)と呼ぶようになった。
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圓(まどか)●
「龍の防人」のリーダー。代々受け継がれた家訓・家命を、複雑な思いを持ちながら、守り抜く覚悟がある。現在はスポーツジムのインストラクターとして働いている。女性。
菱沼(ひしぬま)◆
圓と同じく「龍の防人」の一族の家系の一人。圓とは主従関係。 現在は、鳶職。
四方(しかた)■
圓と同じ「龍の防人」の一族の家系の一人。現在はIT関係の会社のプログラマー。
情報収集と解析の専門家。
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【西伊豆松崎町の関係者】
鮫島
家系は、掛川藩下級武士の家。明治以降は漁師になり、現在は松崎で漁師民宿やっている。
吉野
松崎町の熊野権現の次男。鮫島と同じく、掛川藩の下級武士の家系で、明治以降、熊野権現の宮司の家に曾祖父が婿養子で入った。現在は権禰宜(ごんねぎ)。
太田
鮫島、吉野と同じく、掛川藩の下級武士の家柄。現在は下田市で体育の教師をしている。彼が江戸幕府の軍資金の話を拾ってきた。
太田 茜
太田の妹。数年前までは父親の武道の道場を手伝っていた。薙刀の師範。全国に教に出かけている。
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【千葉県木更津市の関係者】
人見雄一(ひとみゆういち)
千葉県木更津在住。江戸末期の木更津請西藩(じょうざいはん)士人見勝太郎の末裔。
伊庭勝(いなばすぐる)
千葉県木更津在住。江戸末期の木更津請西藩(じょうざいはん)士伊庭八朗の末裔。
ある昼下がりの神宮寺先生の事務所。アルバイトの仕事が休みで手伝いに来ていた風人と机を挟んで向かい合った二人は黙々と別々の資料をまとめていた。
しばらくして神宮寺が資料から目を離し顔を上げた。
「そう云えば風人くん、この間の休みに伊豆へ行ったんだよね。確か西伊豆方面へ」
風人に向かって神宮寺は身体を起こし、仕事の手を止めて話し始めた。風人も顔を上げて神宮寺の方を見た。
「ええ、休みが2~3日取れたので、先生が以前話していました石田半兵衛の作品を見に西伊豆へ行って来ました。天気にも恵まれ久しぶりに最高の休日を過ごしました」
「先生が以前から仰っていました初代伊八と半兵衛の出会い?接点? 西伊豆に出掛けたお蔭で何かしらあると感じました。生意気なようですが、時代背景や当時の世情を考えますと、二人の出会いがあったかどうか?かなり難しい判断ですが、半兵衛の木彫りの龍をじっくりと見ると彫り師が龍に対するイメージやリスペクトが初代伊八に似ているとこの頃、感じられます。二人の龍を見比べると二人とももう一人の名工、後藤利兵衛の龍のように、威厳満ちた?威圧する? 俺は龍だ!・・・・・・
がありません。利兵衛の龍は「龍の利兵衛」と呼ばれるように、確かに一つの究極のイメージする龍です」
「しかし、初代伊八の龍は、私が感じたのは、龍の神秘的な面、神の使い的な雰囲気を出しているように思えます。うまく表現出来ませんが、それを感じます。石田半兵衛はそれを受け継いだか参考にしたように思えてなりません」
神宮寺は風人の言葉に同意するかのようにうなずき
「風人くん、感性が鋭いですね。龍は人それぞれ感じ方、フォルムが違います。私と風人くんが思い描く龍に対する考え方が違うようにすべての龍が違うのは当然です」
「ましてや宮彫り師は、自分の頭の中でイメージした龍を彫る訳ですから・・・・・・」
旅の思い出話をしようと始めた話が、いつの間にか「宮彫りの龍」の話になっていた。
「地元松崎町では石田半兵衛やその子供たちの作品が数多く残っています。次男富次郎や四男徳蔵の作品もありますね」風人は行ったその時のことを思い出しながら・・・・・・
「家族が仲が良かったのか師匠と弟子の関係か分かりませんが一緒に作った作品もありますね。私は西伊豆のあと、少しだけその周辺をまわり、それから下田へ立ち寄り、親子合作と言われる宮彫りを見てきました」
風人は後ろの棚にある地図を取り出して、机の上に地図を拡げ、石田半兵衛の作品が残る寺社と初代伊八の作品が残る寺社をその地図に落とし込んでいった。
「やはり初代伊八の作品の最西端は熱海市の伊豆山神社ですね。松崎町までかなり距離がありますが・・・・・・
石田半兵衛の作品と伊八の作品が重なっているのは、湯河原ですね。この湯河原の素鵞(そが)神社の社殿の向拝には伊八の龍があり、飾り屋台にも作品があります。その屋台に後藤利兵衛義光の師匠である江戸後藤家の後藤三治朗恒俊と一緒に彫っています。また本堂内の欄間にも初代伊八の龍があります」
「石田半兵衛はこの素鵞神社の近くの子之(ねの)神社(じんじゃ)と川堀の熊野神社、真鶴町の貴船神社にも作品を見ることが出来ます。また、次男の富次郎(小沢希道斎)も子之神社横の
醍醐院(だいごいん)に作品があります。偶然とは思えません」
風人は、地図を見ながら・・・・・・
「ここに葛飾北斎が訪れたという足跡があれば、まったく申し分ないのですが・・・・・・」
「風人くん、北斎は晩年まで旅をして、名古屋、伊勢はもとより大阪、吉野などへ行ったという記録が残っています。出会っていた可能性は十分ありますし、初代伊八の方は伊豆山神社へ作品を納めに出かけたかもしれません。また、弟子の久八の故郷名古屋へ同行したことも記録に残っています。これから何が出て来るが楽しみです」
「先生、これから湯河原へ行くような雰囲気ですね? 近々出かける予定があるのですか? 出掛けるなら一緒に行かせてください」
「まあまあ焦らないで・・・・・・ 資料を整理して効率良く調査したいですから」
「やっぱり行くんですね。ダメですよ、一人で行っては」
「分かっていますよ。風人くんが同行してくれるといつも助かっておりますから」
二人は机の上の地図を見ながら、小田原・湯河原行きの計画を練った。
≪龍≫
静岡県掛川市の掛川公園(城跡)。三人の男が日差しのまぶしさに目を細めながら、掛川城を眺めている。
「これが東海の名城と謳われた掛川城、何回観てもいい城だ。確か最初は山内一豊が城主だったんだよな」
郷土の歴史に詳しい吉野が、静かにつぶやいた。
「そうだ、だけど居たのは最初の10年ぐらい、それ以後、度々城主が交代して、やっと太田なにがしが城主になって落ち着いたが、ずっと貧乏な藩は変わらなかったようだな」
「我々の先祖は、その貧乏な藩の城主にも御目通りが叶わなかったほどの下級武士だったんだ」
三人はボヤキながら、公園内を歩いた。
「親父も爺ちゃんもその前の爺ちゃんも、いつもこの話をしてたんだ。そんな話が代々続いているのかな~~こんな愚痴話。それも明治からずっと・・・・・・今の俺たちの環境もその当時と多少様変わりしているが、あまり変わりはないか、貧乏は」
「まだこの掛川市内ならいいが、俺たちの住んでいる松崎町、掛川藩の飛領(とびりょう)だから、昔はもっと悲惨だったらしいぞ」
会話が途切れた。三人は左手に掛川城を見ながら、一人一人が自分の今の境遇を憂いていた。リーダー格の鮫島は漁師を親から引き継いでいる。今は両親と一緒に松崎町で漁師をしながら漁師民宿も経営して糊口を凌いでいるが・・・・・・。
二人目は、松崎町の貧乏な神社の家の次男として生まれた吉野。この三人の中でもっとも寡黙で、自分の意見をあまり言わないが、この三人は同じ町で生まれで、お互いの性格や考えていることが話さなくてもお互いが手に取るように分かる。
最後の一人、太田は今は下田市の高校で体育を教えている。実家は古くから武士の家系を守るように武道教室を開いていたが、数年前に師範である父親が亡くなって、道場を閉めた。
三人三様の人生を送っているが、このように時々会って、近況を話し合っていた。
まだ誰も結婚はしていない。太田には妹(茜)が一人いて、子供たちに剣道を教えている。
また、当人は薙刀の師範でもあり、地方に招かれたりして指導をしている。
太田が突然思い出したように、
「おい吉野! お前の神社に有名な彫り師の木彫りがあるんだよな。この間の西伊豆新聞に載っていたぞ」
「まだ俺の神社の名前も憶えてないのかよ。熊野(くまの)権現(ごんげん)だよ。ああ、社殿に彫り物が、確かあったな。俺はあまりその方面は詳しくは知らない」
「俺の知り合いが面白い話を仕入れてきた。聞きたいか?」太田が二人顔を交互に見て言った。
「何でもいいから話せよ。もったいぶって」鮫島が急かした。
「おれも最初は聞き流していて、うろ覚えだが、俺の友人が小田原に行った時、市役所で申請していた書類受け取りの順番待ちをしていて、その時、
そこに置いてあった神奈川県の新聞を読んだ。俺の友人はその記事内容に
興味に持ち、読んでいるうちに、お前の神社、もとい、熊野権現の彫り物を彫った有名な職人が小田原にもその作品があると書いてあったらしい。話はこれからだ。その記事はその新聞の月一の土曜日の特集記事で連載になっていて、半年続いて、その内容は、幕末時、江戸幕府が諸外国からの国防のために防衛網作りをするために、海岸沿いや街道沿いに御用金を投入したという話しで、まだ未だにその御用金が使われた形跡がない箇所があるとのことだ。何ヶ所かは不明だが、三浦半島の防衛網作りの資金は既に発見され使われ、大山街道沿い(厚木、相模川、宮ケ瀬あたりなど)は、いまだに見つかっていないようだ。近々、その記事の予定ではその他の防衛線、ここ伊豆半島から箱根あたりを特集するらしい。
当時、外国船が沖合に度々来ていて、幕府がそれに慌てて、掛川藩に何某らの資金を提供して、掛川藩の飛領地の松崎町に役所や見張り場を設けていたと書いてあった。」
三人は同時に掛川城を振り返って見た。鮫島が最初に・・・・・・
「こんな貧乏藩に余分な金のかかる厄介ごとの仕事が当時、舞い込んで来たわけか」
「続きをはなしてもいいか?」
「幕府が力を入れて守らなければならなかったのは、海側もあるが街道沿いの防衛(東海道など)も必要。天然の要塞の箱根があるから、ここを死守すれば西からの敵に対処できる。そして・・・・・・」
「話はいつまで続く? 結論を早く言えよ。」
太田は鮫島から急かされて、少しへそを曲げた。
「早く言えば、その軍備増強のための当時の幕府軍の御用金がまだここら辺、伊豆に有るかも知れないと言うことだ。終わり!!」
「何だその終わり方は。はしょりすぎだろう」
「お前があまり興味が無さそうだし、急かすからだ」太田は鮫島に向かって言った。
横で話を聞いていた吉野が小さい声でぼそっと言った。
「その話、聞いたことかあるよ。曾爺さんが言ってた。 そうだったと思う」
「曾爺さんが養子で熊野権現の宮司の家に入った時、当時の宮司から聞いたらしい。」
「確かお前の先祖は、熊野権現に婿養子に入ったんだよな。下級武士では食えずに」
「お前の家もそうだろう。武士といってもそれだけでは食っていけなくて、漁師やら民宿を始めたんだろう」ちょっと鮫島は、自分も同じ境遇だということを忘れていた。
「ごめん、ちょっと悪い。太田、話を続けてくれ」
「海側は松崎町で、街道沿いは箱根・小田原か? 何でそこに宮彫り師が
絡んで来るんだ?」
「お前が結論を急げと言ったから、途中の説明を省いた。聞きたいか?」
「悪かった。最後まで言葉を挟まない。聞くから、機嫌を直してくれ」
「分かった。その新聞には、推理として、例の葛飾北斎が絡んでいるらしいと書いてある。知っての通り、北斎は絵を書くため諸国を旅していた。それは隠れ蓑で、幕府のために諸国の諸事情を集めて幕府に伝える役目を負っていて、また、例の防衛線を築くために、その協力者を探していた。それの白羽の矢が当たったのが神社仏閣を建てる宮大工だ。
神社やお寺を建てるために大量の木材や道具などの物資を運び入れても目立たないし、旅をしても怪しまれないからだそうだ。房総・三浦半島方面で
北斎が協力を得たのが初代伊八と言う名工の「宮彫り師」、その方面では有名な木彫り師で、湯河原にもその作品があると書いてある。そうそう、伊豆山神社にもあるみたいだ」
「その伊八とお前の所にある彫り物を彫った人とどうゆう関係があるんだ?」
「俺にはまだ分からない。とにかくそんな話があるんだと。少しは興味が湧いたか?」
吉野が突然「いいか? 俺が知っている話をしても・・・・・・」
「おう、お前がこの話について一番詳しそうな情報を持っていそうだな」
「松崎町は漁業以外あまり産業はないけど、二人の名人を出したと言われている。
一人は「伊豆の長八」と言われる左官工。左官の技もすごかったらしいがその上を行く鏝絵(こてえ)を世に芸術として認めさせた人だ。今もその弟子が各地に散って、その技を今も継承している。もう一人はうちの神社の彫り物を彫った名工といわれる石田半兵衛。半兵衛も腕のいい木彫り師だったそうだが、その息子たちもまた腕が良かったようだ。松崎町に石田半兵衛一族の作品がうち以外に残っているよ。太田のいる下田にもある」
「で、その石田半兵衛の宮彫り師と葛飾北斎が何らかの繋がりがあるということなんだな」
「まあ、簡単に言うとそうゆうことになるかな~~。だけどいつ何処で出会ったとかはまだ分からない。資料が残って無い。直接会ったのか、誰かを介して会ったのかかも知れないし・・・・・・」
鮫島が現実的な話に戻してた。
「その御用金は一か所にどの位の金額があると言われているんだ?」
「曾爺さんから伝えられているのは、とにかく外国船と対抗するために、
用意するわけだから、船を造らなければならないし、港を整備し、大砲や弾薬、食料などのほか、船乗りも要る。当時の一両が今の6万円だと言われているから、数万両はないな、 やはり数十万両になると思うよ。」
「当時の一両がたったの6万円! 今の金額にするとか!」
「幕末のころ、江戸幕府は資金繰りが厳しくなり、金の含有量を減らしたので、幕末時の一両の価値はそんなもんだ。本来ならば1両/10万円から15万円以上だが。だけど当時、10両で一般人なら半年から一年ぐらいは食べていけると聞いた」
「それでも相当な金だな。その数万両だと、20億以上か? もっとか? まだ見つかった情報は無いんだな?」
「ああ、曾爺さんの時代までは、そんな噂も史実もないそうだから、それ以後も新聞ネタにはなっていないよ」
「あ~あ~、話としては面白いが、漠然として現実的ではないよな。ロマンじゃ ロマンじゃ」ふてくされて太田がため息をもらした。そこに鮫島が口を開いた。
「三浦半島あたりでは実際にその軍資金があったことが証明されたんだよな。その後神奈川の厚木・伊勢原あたりの街道沿いか山里か分からないけれど、大山街道沿いにも何らかの証があったと言っている。そのまま辿れば沼津までたどり着くぞ。あながち眉唾でもなさそうだな」
三人がめいめい考えだししばらく間があいた。そしてその中で太田が、「もうちょっとその友人から詳しく聞いてみる。それと学校関係からその関係の記事が載っている神奈川のその新聞を取り寄せて見る。まだ興味があるか?」
「俺の手元に来たら、連絡を入れる。お前たち、まだ興味はあるよな?
さっきみたいな気のない返事するよな」と念押しした。
二人(吉野と鮫島)はお互いを見合わせ頷いた。どうせ暇なんだと・・・・・・。
≪龍≫
「仕事はどうだ? 」圓●が二人に向かって唐突に聞いた。
「久しぶりに会ったんだから、元気でしたか?とか、お変わりありませんでしたか?言えないの? まあ無理か」
「なにそれ、社交辞令が欲しいの? 分かった、沢山言ってあげるよ、無駄な時間を上げる」
四■がすぐに降参した。「悪かった。いつも通りでいいよ。何かあったのか? あまり機嫌が良くない見たいだが・・・・・・」
菱沼◆に向かって圓●が一言。
「退屈なんだよ。ちょっと半年ぐらい例の一件から手を引いたから。この一年近く、えらく忙しかったが、あの時は充実していて楽しかった」
その後の圓●は、今見たこの状態だ。
「無口になったかと思ったら、突然不機嫌になる」菱◆が四■に向かって、
「少し面白い話をしてやれよ。持って来たんだろう? それで今日集まっただろ?」
いつもの居酒屋、性懲りもなく全員、同じ焼酎の梅割りを飲んでいる。三人の誰かがいつごろから言い出したのか分からないが、昔から梅を干して、
非常食、携帯食にしたので・・・・・・とその訳の分からない慣習が理由で、三人がいつも飲んでいる」
「あの先生たち、10年以上も調査研究をしているので、この程度の突発的な出来事(江戸幕府の隠し金事件)が起きても動じないで、調査研究をづっと続けているよ。神奈川中央新聞は特集記事は先月で一旦終了し、その後、次の辰年用の資料として新しい資料集めのために調査し、まとめているようだ」
圓●は、焼酎の梅割りの梅干を箸で突っつきながら、気のない顔で・・・・・・
「神宮寺先生と風人くんは・・・・・・? 今何を調べているの? 四■、お前が時々会ってるんだろ。知っているよ」
今日は、いつもの人には聞こえないような会話ではなく、静かな一般の飲み会程度の会話だ。
「この間のメールでは、風人と一緒に湯河原、小田原へ調査しに行くって言ってた。千葉の初代伊八の作品があるとかで。あと気になる宮彫り師がいて、その作品も見に行くらしい」
圓●が興味があるのに生返事した。
「ふ~ん、遠くまで行ってるんだ。頑張ってるんだ。絶対また例の件に絡んだ話を必ず拾って持ってくるよ。二度あることは三度あるっていうから。」
「我が一族、お前らも含めて先祖代々、この地域に縁があり、それに携わってきたからな」
菱◆がその話に食いついてきた。
「以前に神宮寺先生が、幕府の防衛網について話してたよな。三浦半島中心としての海側の防衛、街道沿いや川でも防衛線、これは神奈川の厚木方面やら愛川町も絡んでたよな。最後に一番外側の海と陸地の防衛線。箱根と伊豆半島が出てくる。」
「確かそんな話をしてた。それと小田原、湯河原が関係あるのか?」と圓●が口を挟む。
「先生たちのこれからの調査でまた何か出てきそうな気がするよ。宮彫り師の千葉の初代伊八も出て来たし、またそこら辺の宮彫り師との絡みがある気がする」
四■がダメ押しの「それに北斎が出てきたら完璧なんだが~」
「四■、先生から湯河原、小田原へ行った後でも前でもいいが、もう少し情報をもらって来いよ。まだ俺たちの仕事(龍の防人)は終わってないんだからからな。これからもずっと続くのだから」
「分かった。風人が調査から戻ったら少し話を聞いてくる」
納得したようにうなずいた。
しばらくすると唐突に思い込んだように圓●が話し出した。
「俺、風人に会ってから思うんだけど、俺たち小さいころから修業をさせられて。毎日懸命にやっていて・・・多少身についていると思っていたが、あいつと会ってから、考え方が変わった」
「何だ、どう変わったんだ? 決して絡んでいるんじゃないよ。俺もちょっとそう思うようになった」圓●が風人の動きの一挙手一投足を思い浮かべながら・・・・・・
「もう一度、稽古、修行をやり直そうと考えている。やらされるのでは無く、自分からやるような気持ちになっている。彼のお蔭で」
三人が納得したようにうなずいた。
同時に三人は愛川町のハ菅神社境内での風人の動きを思い出している。彼らもそれなりに修業を積んでいるが、攻撃ばかりの繰り返しの修行だったことを思い返している。あの時の風人は息一つ切れていない。相手の三人にあれだけ激しく攻められていたのに・・・・・・
菱◆も思い出したように付け加えた。
「覚えているか! 龍一たちと風人のアパートの裏山で襲われた時、その時は、俺は遠くから風人の動きを見ていただけだけど・・・・・・・
一つだけぼんやりと分かったことがある。そのことが再確認できたのは、
ハ菅神社の境内での彼の動きだ。いいか、思い出してくれ。風人はいつも
自然を味方にしていると思わないか? 早く言えば自然を利用している? 一体化している? 風、太陽、草木、地形などを。ハ菅神社の時を思い出してくれ三人を相手した時、彼は夕方の太陽を背にして立ち、三人には自分を見えにくくしている。
攻められても、常に元に場所に戻って夕日を背にしていた。
また、三人の内一人を背中から落とした時の彼のいた場所は、少し下がった所、傾斜していた所だ。仕掛けたやつは、少し前のめりになり、風人はそれを利用して、下から少し持ち上げただけだ」
「菱◆、お前、よく観察していたな。確かに風人は自分の力はあまり使ってないな。その時その時の素早い状況判断で自然に動いている。なるほどなあ~~」
「洞察力?の差? 天性? 修行で身に付くものなのか? 」
「彼は子供の頃、野山で遊んでいたと言っていたよな。走ったり登ったり。それが自然に身に付いたんじゃないか?」
「俺たちも同じようなことは、やっていたよな。風人とどう違う?」
「どう違うと言われても困るが、彼は自然を味方にしていると言った方が正しいかもしれないな。俺たちは自然を敵に見立てて修行していたように思える」
例の出来事(愛川町のハ菅神社)の後、一度、風人に教えを乞いたいと三人を代表して菱◆が連絡を入れた。
三人は「龍の防人」として、それなりに辛い修業を積んで来たと自負しているが、風人の動きを自分たちに少しでも取り入れたと思った。
それから数週間後、風人が青春時代を過ごし、修行をした山里へ行くことになり、三人は仕事を調整し、風人をアパートで拾って出かけた。車で1時間半、ここは神奈川県と山梨県との県境に近い山里だ。
あまり高くはないが山々に連なって囲まれている山里だ。風人は久しぶりに里帰りのようで周りの景色を、運転している四■以外の二人と一緒に懐かしげに眺めている。
「そこの先の信号を左に入ってください。曲がったら道は一本道だけですので道なりに行けば、あと20分で着きますよ。
風人の話の通り突き当りになり、そこから先は山があるのでこれ以上行けない場所に集落?村?があった。風人は冗談ぽく懐かしげに、
「以前ここに私が迷い込んで、しばらく落ち着いた場所です」
風人の言葉に誰も答えず、誰も車から降りず、しばし車のガラス越しに周りを眺めている。木々が生い茂り、緑深い山々を眺めている。
もう午前の十時過ぎなのに誰も外にはいない。聞こえるのは沢のせせらぎと鳥の声。
「正面の脇に細い道がありますので、車では入れませんのでここに車を置いて歩いて行きましょう」
と言って、風人がドアを開けて降り歩き出した。それに続いて三人も降りたがその場に立ち止まり、再び周りの山々を見回した。
「俺たちの育った所とあまり違わないな。懐かしい感じがする。そう思わないか?圓●!」
「山を背にして少しだけ開けた土地があり、川が流れていて畑があって、車の音が聞こえない。東京都と神奈川だけの差だけだな。あとは一緒だ。とにかく風人くんの後を行こう」
30mぐらい歩くと村の集会場のような建物が見えてきた。その玄関前で
風人が老人が笑顔で話してる。風人がこちらを見て・・・・・・
「先生、今話をしていました友人です。」 その老人は顔を三人に向けて、笑顔で挨拶をした。「よくいらっしゃいましたね。こんな遠くまで、風人がお世話になっています。自宅兼道場みたいな所ですが、お入りください」
玄関を入ると10m四方ほどの磨き上げられた板の間があり、その奥が自宅のようだ。
「ここが風人くんが言っていた場所? へえ~~、ここで修業してたんだ」
風人の横にいた先生が笑顔で、顔の目の前で手を左右に振って
「いやいや、風人の道場はここではなく、周りの山の中だ。あとで案内してくれるだろう。ここは近所の子供たちを教えたり村人の集会場として使っています。」
「初めの頃は、二人で練習したもんですが、半年もしないうちに私などは彼について行けなくなってしまった。風人の修行場所はあそこですよ。」
老人が指差した先は、さっき見上げた山々だった。それほど高い山ではないが連なっている。
風人が懐かしげに山を見上げて
「あの山の中腹辺りに神社があって、めったに人も来ないので勝手に境内を使わせてもらっていました」
先生は、思い出を振り返るように
「風人はここから毎日駆け上がって行き、半日も帰ってこない。最初の頃は心配したけど、その内、村人も山の中で駈け回っている風人に出会っても
当たり前の風景になってしまった」先生が当時を懐かしそうに思い出し話した。
「かれこれ5年ほどここに居たかな。風人?」
「ええ、5年間お世話になりました。懐かしい充実した日々を過ごしました。圓●さんたち、それではよければ、中腹の神社まで行ってみますか? 先生! あとでまたお伺いします」
四人は、今来た道を戻り、山へと向かった。山への登り口まで長い階段が続いている。
圓●と仲間たちは風人に遅れず、その山を駆け上っていく。かれこれ小一時間ほどで、風人が言っていた神社が見えてきた。少し息が上がっていたのは圓●たちだ。
風人はまったく普段を同じ息使いで、先に着き、久しぶりに訪れた神社の拝殿らしき祠に向かって拝んでいる。風はそよぐ程度。遠くにかすかに鳥の鳴声が聞こえる。
境内と呼べるほどの広さの場所ではない。テニスコート一面程度の空き地があり、木々が周りを取り囲んでいる。
風人が参りを終わり、周りを懐かしげに見ながら
「ここを中心に一人で練習をしていました。向こうの山へ走ったりこっちの山に登ったり、あちこちの木に登ったり、崖を登ったり降りたりして、2~3時間はすぐに経ってしまいます。多分、貴方がたも同じようなことをしていたんじゃないですか? 躰を見るとわかりますよ」
圓●が代表して「そう、この二人とは小学校から一緒で、小さいうちは野山を一緒駆け回っていた。中学の頃から銘々の親にしごかれた。どの親父も自分の子のように手加減しなかった。今では信じられないほど」
「躰を鍛えるだけで、その頃はなんでこんなことをしなきゃならないのと思っていたものまでやらされた」
「今思えば、今頃役に立っていることも事実で、それなりに感謝はしています」
風人は三人を見渡し、
「お参りしてから始めましょうか」
四人は境内の中央に一対三の扇形の形で立ち、風人の次の言葉を待った。
「私はここで特別な練習は何もやってはいません。ここに立った時、すでに自分はここが一番良い場所だと分かっています。あなた方の言う自然体の立ち位置ですね。
風の向き、太陽の位置、周りの木々などを頭に入れてます。それから地面の傾斜や凹凸なども含まれます。」
「それから鳥たちの鳴声や虫の声も聞きます。それで他に隠れている人が居るかどうかがわかります」
三人は改めて自分の周りを見渡した。風がかすかに吹いて、木々の葉が揺れている。
彼らが来たので、鳥たちの鳴声が止み、かすかに遠くで鳴いているのが聞こえる。
「今日は道具を使わないで練習しましょう。その前に愛川町の八菅神社で見せてくれた三人の技、見せていただけますか?」
夕暮れ時の愛川町、八菅神社の境内でボクサー崩れに三人が同時に仕掛けた技、技の名前はないが自分たちだからこそ出来る技だと思っている息の合った動きだ。
突然三人は目線も会わさず、掛け声もかけず、同時に突然に風人に向かって飛び出した。
三人は風人の言葉が終わるか終らないほどの一瞬で、同時に反応した。
圓●は相手の首に向かって巻き込んで押さえつけるように左前に飛び出した。菱◆は正面から相手の攻撃を避けるように低くして胴に向かってタックル。四■はもっと低く飛び出し、相手の右側から両足を押さえつけるために抱えに行った。
彼ら三人は、この技を誰も避けられた人はいないと自負していた。
圓●は風人の首を絡めれると思っていたのが、そこには風人がいない。消えた。
菱◆の正面攻撃のタックルにそこにも誰もいない、四■の両足を抱えたと思っていた飛び込み、そこにも風人の影すら見つからなかった。三人が自分たちが勝手に前方に一回転して慌てて立ち上がった。
風人はすでに元いた場所静かに佇んでいた。圓●たちには何が起こったのか分かっていない。三人はお互いを見つめ合い唖然とし、その場に立ち尽くした。
「風人くん、今まで誰も避けきれなかったのよ。私たちしか出来ない技なのに。」
「親から教わった仲間同士しか聞こえない合図で、三人同時に飛び出したのよ」
風人は三人に近づき、「私が愛川町のハ菅神社で見たのと同じ技でしたね。本当に三人でしか出来ない技だと思います。相手は倒され、動きを完全に奪われて何も出来ません。しかも相手を傷つけずに動けなくして戦意を喪失させます」
「本当に素晴らしい技です。三位一体の技、誰も真似は出来ないでしょう。あなた方三人だから習得出来た技です」
風人は微笑んで「私が最初に言った話、覚えていますか? 立ち位置です。人が瞬時に動こうとするとすれば呼吸が乱れる。誰かが動けば空気が乱れ風を感じる、誰かが動けば陽を遮ぎられる。今日はこの二つで動きが分かりました。
それから今日は三人の息遣いで多少のずれが感じられました。私は三人を自分の視野の範囲に置かなければなりません。遠見(とおみ)ですね。集中して一点を見るのでなく、漠然と全体をぼんやりと見るようにしています。背景まで含めて全体を見ることです。そこに右から風が起き、左から陽が遮られました。そして地面から落ち葉を踏む音がかすかにしました。私の逃げ場は二つしかありません。下がるか上に行くかです。下がればあなた方の思うつぼになります。以前にこの技を見ていたからでしょう。
この野山を駆け巡って鍛えた跳躍力です。斜めに下がりながら避けて飛び上がって元に所に降り元居た場所に戻っただけです。それを一連の動きで行わなければいけません。二つ動作に分けてはだめです。
タイミングさえあえば、私は自分の跳躍力を信じ、相手を攻撃するのではなく攻撃を躱します。」
三人はゆっくりと立ち上がり、自分たちがいた場所を見た。
「それと三人が社殿を背にしたので、神様が多少怒ったのかも知れませんね」。と風人が冗談ぽく言ってほほ笑んだ。
その後、基本的な動きが確認し合い、風人の動きをまねて三人は繰り返し稽古をした。
「さすがに飲み込みが早いですね。これに関しては私が伝えることはもうありません。皆さんがこれから独自の工夫をされれば、今までとは格段の違いを感じると思いますよ。だいぶ時間が経ちました。先生が首を長くして待っていると思いますので、降りましょう」
※ 冒頭の写真:湯河原町素鵞神社の飾り屋台の龍(初代伊八)
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