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アトピー地獄からの生還

この記事をご覧のあなたは、アトピーに苦しみ、不安や絶望に押しつぶされそうになっているかもしれません。
かつての私も、同じように不安と絶望を抱えて暗闇の中にいました。
昔の私は、浸出液で腫れた顔を帽子で隠し、うつむいて街を歩く日々。
すれ違う人が私を見て笑っているんじゃないか、そんなことばかり考えていました。
お会計の時、私の手を見た瞬間、思わず『ギョッと』された表情をされたことがあります。その瞬間、まるで自分自身を否定されたように感じ、心が張り裂けそうなほどつらく、息が詰まる思いでした。
アトピーは見た目で病気だと分かってしまう、それが本当につらかったんです。
何度も「どうして私だけ?」「生まれてきた意味は何?」と問い続け、生きることすらあきらめかけたこともありました。

しかし、そんな私がある治療法に出会い、嘘のようにアトピーが改善したんです。
今では、あの頃の痒みもなく、朝までぐっすり眠れる日々を取り戻しました。
見た目もすっかり変わり、アトピーだと気づかれることもありません。
そして、夢だったウエディングドレスも着ることができ、今では2人の子どもに恵まれ、幸せな生活を送っています。
この体験記は、私がアトピーと闘い、改善までたどり着いた道のりをまとめたものです。


生まれつきアトピーでした


1歳頃 古い写真で分かりづらいのですが両頬にびっしり湿疹が

私は、生まれてすぐに、アトピーと診断されました。
全身が赤くただれ、常に不機嫌で泣いていたと母から聞いています。幼い頃から皮膚科でステロイドを処方され、毎日のように塗っていました。
ものごころがついた頃には、夜も眠れず、かゆみと闘い続けた記憶ばかりです。朝起きると下着に血がついていて、あの気持ち悪さは今でも覚えています。保育園では見た目でからかわれ、「ぶつぶつせいじん!」と呼ばれて泣きながら帰ってくる日々。
母はそんな私を見て、不憫に思ったのでしょう、何度も遠い皮膚科に連れて行ってくれましたが、どこに行っても治ることはありませんでした。
「だけど治らなかったのよ…」と今でも涙を浮かべて話します。
当時は、ステロイドの副作用なんて知らず、毎日それに頼り続けていました。手や体がかゆくて掻きむしる日々。
小学生になると、遠くの皮膚科から近くの病院に変わり(どこの皮膚科でもステロイドを処方されるだけなので)そこで筋肉注射やステロイドを塗る生活を繰り返しました。
ステロイドを塗れば良くなる、塗らなければ悪化する。その繰り返しでした。

中学3年生の夏、衝撃のできごとが…

中学3年生の夏、私にとって衝撃的なできごとがおこりました。
皮膚科の先生から「ステロイドを長期間使ってきたので、ここでやめましょう」と突然言われました。母も私もその言葉の意味を理解できず、「先生が言うのだから大丈夫だろう」と信じ、その夜、初めてステロイドを塗らずに寝ました。
しかし、翌日から顔の状態は急激に悪化していき、3日目の朝には顔がひどく腫れて目がほとんど開かなくなっていました。浸出液が固まり、ボコボコとした感触が顔中に広がっていました。
鏡に映った自分の姿に、涙が止まらず、ついには鏡をたたき割ってしまったほどです。
あの時の絶望は言葉にできません…。

すぐに皮膚科へ戻りましたが、先生は「これはステロイドの副作用だ」と言うだけで、それ以上の治療法は示してくれませんでした。私はその時初めて、ステロイドの副作用の恐ろしさを知りました。

ステロイドによるムーンフェイスとリバウンド現象

後になって知ったことですが、私の顔は「ムーンフェイス」というステロイドの副作用によるものだったんです。
そして、急にステロイドをやめたために「リバウンド現象」が起こり、症状が悪化していたことも知りました。
本来なら少しずつステロイドを減らしていくべきだったのですが、なぜ先生が急にやめるよう指示したのかは分かりません。
多感な中学生の女の子にとって、この外見の変化はつら過ぎました…。

終わりの見えないアトピー地獄

そして、ここから、私とアトピーの副作用との闘いが始まったのです。
どうしていいか分からず、私たちは車で1時間かかる大学病院に行きました。
「大学病院ならなんとかなるはず…」これもまた、今思えば、典型的な考えですが、当時は、親も私も信じていましたし、他の方法も知らず、信じざるを得ませんでした。
その大学病院で、やたら広い診察室に入った途端、複数の白衣を着た人たちが目に入り、その彼らが驚きのまなざしで私を見ました。
「どうしたんですか、その顔!?」と言わんばかりの表情です。
 研修医でしょうか、合わせて3~4人の医者風の人がいました。
不本意な見た目に苦しんでいる女の子にカメラを向け、何枚も写真を撮られました。
診察結果よりも、見せ物になった恥ずかしさと怒りから、そのようなものしか記憶にありません。
「大学病院ってこのレベルなの?」泣きながら帰宅しました。
どんなに病院を変えても、大学病院に行っても、誰も効果的な治療法を教えてくれません。
アトピーに対して効果のある対処法をどこかのお医者様が教えてくれることもなく、皮膚の状態は悪くなる一方でした。
全身がほてって真っ赤に腫れあがり、浸出液でじゅくじゅくと膿んでいます。
大学病院でも何も変わらない現実を目の当たりにし、絶望感は募るばかりでした。

病院は信用できない

私にとって、体は我慢できても、顔の症状がいちばんひどかった点が、そのつらさを過酷なものにしました。
家族の中でも「病院は信用できない」そんな認識が広がりつつありました。

アトピービジネス...さらなる地獄へのはじまり

ここに至り、私は、さまざまな民間療法を試すことになるのです。
すでにおわかりかと思いますが、藁をもすがる思いで信じたさまざまな民間療法、これもまた、新たな地獄のような生活の始まりに過ぎなかったのです。

水治療を信じて

民間療法の中で、私が最初に試したのは「水治療」というものでした。
ある日、母が近所のスーパーで手に取ったチラシに、私と同じように浸出液で赤くただれた肌の人が、水治療によってきれいな肌に戻ったという写真が載っていたんです。「ステロイドを使わずにアトピーが改善した」と書かれていて、その言葉にすがるような思いで、私は水治療を始めることにしました。

水治療とは、水と塩を器械に入れてアルカリ水と酸性水を作る方法です。アルカリ水は飲むことでアレルギー体質を改善し、酸性水は肌に付着した黄色ブドウ球菌を殺菌するというものでした。
私は「飲めば飲むほど効果がある」と書いてある言葉を信じ、1日に3~6リットルのアルカリ水を飲み、全身には酸性水をかけ続けました。顔には浸出液が溢れていましたが、泣きながら洗面器の中の酸性水に顔を浸す日々でした。

「いつか必ず治る」と信じて、1日に何度もその治療を繰り返しました。しかし、半年が経っても、まったく効果はありませんでした。

ダニを除去にすべてをかけて

水治療と同時に、私たちは徹底的にダニを排除することに取り組みました。アトピーの原因がダニであるという話はよく知られており、私もダニアレルギーと診断されていたためです。そこで、まずはダニを吸い取る特殊な掃除機用のアタッチメントを購入し、毎日念入りに掃除機をかけました。

さらに、布団や寝具をすべて防ダニ仕様のものに変え、天気が良い日は天日干しをし、表面のダニをその掃除機で吸い取りました。布団カバーも毎日洗濯して、清潔を保つために交換しました。
母も私のために全力を尽くしてくれましたが、どれだけ掃除しても、かゆみは一向に収まらず、私たちは途方に暮れていました。

手かざし(宗教!?)という選択

アトピーの苦しみの中、知り合いから「手かざしで難病も治る」という話を聞かされ、勧められるままに手かざし療法を試すことになりました。手かざしとは、手を患部にかざしたり当てたりすることで、体の不調を治そうとする方法です。日曜日の朝、道場のような場所へ通い、そこで手をかざしてもらいました。1年ほど通いましたが、残念ながら全く効果は感じられませんでした。

それでも、どこかで信じたくなる気持ちがあったのです。何しろ、藁にもすがる思いで、目に見えない力にでも頼りたい、そんな状況でした。お布施もかなりしたと思いますが、それでも結果は出ませんでした。

漢方、どくだみ、鍼治療、ヨーグルトきのこ、クロレラ…果てしない試み

私は、雑誌などに載っている「アトピーに効果がある」と言われるものを、ありとあらゆる方法で試してきました。漢方、どくだみ、鍼治療、ヨーグルトきのこ、クロレラ…その数は数え切れません。
例えば、どくだみは葉っぱをすりつぶし、そのまま浸出液でただれた顔に塗りましたが、しみるし、においも強烈で、本当につらいものでした。
鍼治療も試しましたが、保険適用外のため高額で、長続きさせることができませんでした。
父が心配して、1本2万円もする漢方のドリンクを何十本も買ってくれた時は、驚きと申し訳なさで胸がいっぱいになりました。

効果を期待していろいろな民間療法を試しましたが、残念ながらどれも改善には至りませんでした。これまでにかかった費用は100万円以上にもなったと思います。両親には感謝の気持ちと同時に、申し訳なさでいっぱいでした。

ここでは伝えきれないアトピービジネスの真実を、こちらで詳しくまとめました。

再びステロイドへ…15歳の夏、焦りと葛藤

「夏休みが終わってしまう」という焦りから、私は新しい皮膚科を受診しました。先生は私の顔を見て、驚き…。

脱ステロイドによる危険性!?膠原病や網膜剥離の可能性まで…

「脱ステロイドをしているの?顔がこんなに腫れているのは、膠原病かもしれないし、目を掻きすぎて網膜剥離になっているかもしれない。すぐに検査しましょう!」と言われた瞬間、私は心臓の鼓動が止まらないほどの恐怖に襲われました。
検査結果は幸いにもどちらも異常なしでしたが、その時初めて、脱ステロイドには失明のリスクさえあることを知りました。

ステロイド内服薬を使用…

顔の腫れがひどく、このままでは学校に行けない状況だったため、先生は内服ステロイドを処方してくれました。「この薬は強いので、治まったらすぐにやめるように」と言われましたが、飲むことに対して恐怖が拭えませんでした。

16歳から再びステロイドの道へ

脱ステロイドの恐ろしさを身をもって感じた私は、ステロイドを使うことに対する恐怖が消えませんでした。
しかし、新学期が始まるというプレッシャーの中で、再びステロイドに頼らざるを得ませんでした。ステロイドの使用と同時に、これまで試してきた数々の民間療法も並行して続けていました。

20歳から25歳、多忙とストレスで悪化したアトピー

高校・大学を経て進学した私は、アトピーと一進一退の戦いを続けながら過ごしていました。
その頃もステロイドを使用していましたが、社会人になってから一気に状況は悪化しました。
就職と同時に実家を出て一人暮らしを始め、仕事が忙しくなると、毎晩23時頃に帰宅する日々が続きました。
疲れ切って家に帰ると、コンビニのお弁当で済ませる生活。睡眠不足も重なり、アトピーはどんどん悪化していきました。

顔は化粧どころか触ることすらできない状態になり、ステロイドと保湿剤を塗って何とか出勤する毎日。
カバンには常にステロイドを持ち歩いていましたが、だんだんと効果のあるステロイドが強くなり、ついには一番強いステロイドでも効かなくなりました。
頭皮には「アンテベートローション」を使用していましたが、このvery strong(とても強い)ステロイドですら、効果はありません。風が吹けば頭の浸出液にしみ、ヒリヒリと痛みを感じるほどでした。

仕事が休みの日は皮膚科通いが続きました。皮膚科での診察が終われば、本屋に行って情報収集。インターネットのなかった時代だったので、いい病院の情報を探し続け、良いと聞けば診察を受けに行きましたが、期待したような結果は得られませんでした。

25歳で会社を退職、アトピー治療に専念する決意

あらゆる方法を試しても、アトピーは改善しませんでした。そんな時、会社から人手不足を理由に、遠方の現場に異動して欲しいと頼まれました。
そこでは寮生活が必要で、見知らぬ人たちと一緒に暮らすことになります。そんな環境で毎晩ステロイドを塗ることができるのか?アトピーの治療をどう続ければいいのか?不安が募りました。

私は「アトピーの治療のために皮膚科に通っているので、寮生活は無理です」と伝えましたが、返ってきた言葉は、「薬をたくさんもらっておけばいいんじゃない?」というものでした。
この言葉を聞いた瞬間、私の苦労や悩みが理解されていないことに愕然としました。悔しさが込み上げてきて、トイレでこらえきれず一人で泣きました。

今までも、時間やお金がなくてアトピー治療を諦めかけていました。それでも、治療費を稼ぐために働いているような生活を続け、結局、働くことでアトピーが悪化するという悪循環に陥っていました。
「このままではダメだ、一度きちんとアトピーを治さないといけない」と強く決意し、私は仕事を辞めることを選びました。

脱ステロイド2回目そして断食道場へ

「なぜ私だけがアトピーなんだろう?」その疑問は、幼い頃からずっと私の心に重くのしかかっていました。
2歳年上の姉は、同じ両親から生まれ、同じものを食べて育ったのに、肌は驚くほどきれい。
その違いに、子どもながらに悩み続けていました。医者に聞いても「体質だから」とだけ言われましたが、「体質って何?」と納得できないまま、どうすればアトピーを治せるのか分からず、悩む日々でした。

断食道場で30日間の断食

そんな時、「断食で体質改善ができる」という一冊の本に出会いました。
体質改善…その言葉に衝撃を受けた私は、すぐに本に載っていた断食道場に電話をし、1か月間の断食を決意しました。
私が向かったのは、老夫婦が経営するペンションのような道場。山の中にあり、近くにはお店もなく、自然に囲まれた静かな場所でした。

断食は「生物が本来持つ自然治癒力を最大限に引き出すためのもの」だと説明されました。私が行った道場では、温冷浴で自律神経を整え、整体調心療法で体の歪みを解消し、全身の血液循環を活性化させて病気を治すという方法も取り入れられていました。

断食のやり方

断食は、準備食、本断食、回復食の順番で食事の内容を段階的に調整していきます。まず、準備食として「おかゆとおかず」を少しずつ減らしながら体を慣らし、本断食に入ると「すまし汁」だけで12日間を過ごします。
そして、回復食では「おかゆ」から徐々に食事を再開し、最終的に「おかゆとおかず」を食べられるように戻していきます。

  • 準備食8日間(おかゆとおかず少々)

  • 本断食12日間(すまし汁だけ)

  • 回復食10日間(おかゆとおかず少々)

本断食の期間は、本当につらかったです。食べ物のことばかり考えてしまい、空腹と戦いながらの日々でした。
しかし、本断食が終わると、回復食として10分がゆの上澄みからスタートし、少しずつ固形物が食べられるようになりました。その時の喜びは言葉にできないほどでした。

断食でもアトピーは良くならない?

30日間の断食を終えた頃、私は7㎏ほど体重が減り、皮膚の腫れが少し引いたように感じました。
しかし、断食中は皮膚がボロボロと剥がれ落ち、自分の歩いた後ろには剥がれた皮が散らばっていました。それを見た断食道場の経営者から「自分でほうきで掃除しなさい」と言われた時、なんとも言えない虚しさが込み上げてきました。
さらに、断食を始めたことで、ステロイドを使用しなかったので、脱ステロイドの症状が再発し、全身が赤くなり、浸出液でジュクジュクした状態が続きました。
30日間の断食を経ても、アトピーは思うように改善しませんでした。「30日間では足りないのだろうか…?」そんな思いが頭をよぎりましたが、断食道場は保険が効かず、1日あたり1万円の費用がかかります。結局、30日間で30万円を費やしましたが、続けることは経済的にも限界でした。

道場から帰宅し、どうすればいいのか途方に暮れていた時、両親が「病院でも断食ができるところがある」と教えてくれました。
病院なら先生もいるし、保険も適用されるので、今度こそ改善するかもしれないと期待を寄せていました。
両親は、私のために心配しながら、いろいろ調べてくれていたのです。

入院して30日間の断食

両親が見つけてくれた病院では、前回の断食道場と同様に準備食からスタートし、少しずつ食事の量を減らしていきました。
準備食では「おかゆとおかず」から始まり、本断食では寒天断食を10日間行いました。その後は、玄米を粉にしたものと青汁が出てきました。
断食中、私の味覚が研ぎ澄まされたのか、玄米の粉が驚くほど美味しく感じました。噛めば噛むほど甘みが増し、その味は今でもはっきりと思い出すことができます。

病院でも、断食道場と同じように温冷浴を行い、軽い運動を取り入れて過ごしました。
私以外にも、末期がんや脱毛症など、病院で治療が難しいとされた病気を抱えた方が、最後の希望として断食に挑んでいました。それは「こんなに多くの人が病気と戦っているんだ…」と感じる時間でもありました。

1か月の断食を終え、私は退院しましたが、残念ながらアトピーが劇的に改善することはありませんでした。顔はまだ赤く、浸出液でただれた状態でした。もちろんステロイドは一切使っていませんでしたが、体重はさらに減り、身長163㎝で体重は40㎏まで落ち、生理も止まっていました。

断食で体力が落ちて

退院後すぐに、私は自分の体力の低下に驚かされました。
横断歩道を渡る力さえなく、信号が青に変わって渡り始めたのに、途中で力尽きて渡り切れず、信号が赤に変わってしまうこともありました。
その時の恐怖は忘れられません。断食中の栄養不足の影響か、髪も抜け始めました。

「断食で体質改善してアトピーを治す」という希望の光は、完全に消えてしまいました。
何度も信じてきた方法が、またもや期待を裏切ったように感じられました。

断食後も玄米菜食を続けたが…期待とは違った結果に

退院後も、私のアトピーは一向に良くならず、皮膚は痒くて剥がれ、浸出液が常に出ている状態でした。
肌はジュクジュクとして、下着にまで浸出液が染み込むため、包帯を巻いてその上から下着を着るしかありませんでした。包帯を外す時には、皮膚が剥がれる痛みに耐えられず、包帯をつけたままお風呂に入り、ふやかしてからようやく外していました。
治療方法がわからないまま、とりあえず先生から「退院後も玄米菜食を続けるように」と言われていたので、玄米菜食を続けていました。

玄米菜食についての本を何冊も取り寄せ、外出できない代わりに必死に読んでいました。「玄米菜食でアトピーが改善した」という内容の本を頼りに、私もいつか良くなると信じていました。
しかし、ステロイドを使わなくなって1年が経過しても、アトピーは一向に改善されませんでした。「玄米菜食でもダメなのか…」そう思い始めた私は、再び新しい治療法を探し始めました。

その時期に試したのは、漢方医が処方する高額な漢方の煎じ薬(月3万円以上)、高価なオーダーメイドの乳酸菌、アロマテラピーなど、数々の民間療法。しかし、何を試しても、アトピーは良くなりませんでした。治療にかかる費用もどんどん増え、もうお金も、気力もなくなりました…。

そして…私はついに、生きること自体をあきらめかけました。
「もう、生きていても仕方がない…」そんな思いに支配されるようになりました。

しかし、生きることをあきらめかけたその時、ついに最後の治療法に出会うことになるのです。

あるお医者さまとの出会い

私は今でもアトピーで苦しんでいるの?答えは「NO!」です。
今まで長く苦しんできた私にとっては、これはまさに奇跡でした。
まず、何より感動したのは、皮膚が掻けるということ。
あの赤みも消え、痒みもなくなり、朝までぐっすりと眠れるようになったのです!
アトピーで恋愛も諦めていましたが、アトピーだったころには想像もできないような、真っ当な恋愛もできるようになりました。
かつて毎日血と浸出液でボロボロだった私は、想像もできなかった「普通の生活」ができるようになったのです。
そして、数年後には結婚もできました。
夫は、私がアトピーだったことに気づかなかったそうです。
その後、幸運にも子どもたちにも恵まれました。
幸い子どもたちは綺麗な肌をしていました。

この時、生まれてきて良かった!
生きていて良かったと思いました。
こんなに可愛い子ども達に出会えたのが、私にとって最大の幸せだからです。

では、どうして私はアトピーを克服できたのでしょうか?
それは、あるお医者さまとの出会いがきっかけでした。このお医者さまの治療法が、私にとって転機となったのです。

アトピーを克服するために私が行った具体的な方法については、こちらにまとめています。

ぜひ、あなたも試してみてください。
あなたにも、きっと希望の光が見えてくるはずです。

アトピーで生きることがつらいあなたへ

今、あなたも私と同じようにアトピーに苦しみ、どうにかして未来を切り開こうと、毎日を懸命に生きておられるのではないでしょうか。

私もかつて同じ道を歩んでいました。

そして、私のアトピーには終わりがありました。だからこそ、あなたのアトピーにも必ず終わりが来ることを心から願っています。

アトピーは、見た目に現れるため、とてもつらい病気です。周囲の視線や、心の中に抱える不安や絶望感、何度も感じました。
でも、私はアトピーを克服しました。
そして、その道のりは、決して楽なものではなかったけれど、道は必ず開けることを知りました。

あなたが、1日でも早くアトピーから解放され、心から笑える日が来ることを、祈っています。

最後までこの文章を読んでくださり、本当にありがとうございました。

あなたは一人じゃありません。











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