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ちいさな「ますかけ」相

私は、小学5年まで団地で育った。
8畳間×2部屋、物心ついたときにはそこで生活していたので、狭くて不自由と思わなかった。

また、物心ついたときには私の手相には「ますかけ線」があった。

その手がまだ小さかった頃、母親に手を引かれて、サンピアというショッピングセンターによく行った。今で言えばアピタのような感じだが、もっと小さな建物で、店の数も少なかった。
そこが団地から最も近かったショッピングセンターだったため、母の第一買い物場所だった。
母は食材や洗剤などを買うのが目的だが、私の目的はおもちゃ屋さんだった。そのお店に行く度に、夢中になって見て触っていたので、店員に顔と名前を覚えられていた。毎回、母に「これ買って!」と訴えるも、大概は「また今度ね、もう行くよ」といわれ後にするのだが、今を生きている子供にとって、今度なんていうのはピンとこなかった。渾身のわがままを表現し、根負けさせ、大きなものは買えないとして、トミカのミニカーをよく買ってもらったりした。片手にミニカーを握りしめ、もう片手を母に引かれて団地に帰った。

団地からサンピアまでの途中に野原があった。天気が良い清々しい日に、母は私の手を引き散歩に連れ出してくれた。その当時の私にとって手を引かれるというのは後ろから前にではなく、どちらかと言えば下から上にだった。引かれる手は頭くらいの位置にあり、母を見上げた向こうに青空が広がっていた。母親の声よりも目の前の野原に咲くたんぽぽや石ころやバッタの方が私の心を惹きつけた。当時の私よりも小さな世界だった野原はとても刺激的な大きな世界だった。また、今となっては当たり前の太陽や青空、どこからともなく優しく吹いてくる風など、何もかもが私も迎え、包んでくれているような感じだったということを思う。
それはちょうど、魔女の宅急便でもお馴染みの「やさしさに包まれたなら」という松任谷由美の歌詞のようだった。

少しずつ大きくなっていく手は小学生になるにつれて母をはなれ、サンピアのおもちゃ屋さんに行きつけるも、その手には、キン消しやファミコンソフトを持つようになり、おもちゃ屋さんには売っていない野球グローブなどを手にするようになっていくのである。

挿入ソング:


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