見出し画像

幼児社会にもまれる

物心ついたときから、強運と言われる「ますかけ線」を持つ、私が生まれたのは、1975年。田舎の公民館となりにある診療所だった。
未熟児で仮死状態で生まれた私は、アレルギーに喘息にと、病弱だったので、生まれた後も中学生くらいまではその診療所にお世話になった。
元気よく笑顔で話しかけてくれて、聴診器が最も似合うお医者さんだった。
そして、病院帰りなどに公民館内にある図書館で母親は絵本を借りてくれた。

第一子だった私は、2年後に生まれた弟よりも痩せていたし、泣き虫だったので、母親は手厚く育ててくれた。母のことを10~20代は特に、心配性で実にうざいと思っていたが、その理由は、弱々しかった乳幼児期の私が、母の母性をしっかり引き出してしまったからである。幼児期にあっては、母に慈しみ深く愛されている感があって、幸せだった。

3歳から保育園に預けられたが、アレルギー鼻炎の鼻たれで、痩せ気味、走るのが遅い、そうなるといじめられるというか、いじられるというか、そのようなキャラになった。
私は、給食でゆでたまごがでたときに、「あーたまごだ!」と言って準備中にも関わらず、パクっとかじりついて食べてしまった。確か初給食の日だった。そのときに、何人かが私を指さして「あーいただきますしてないのにたべてるー」といって、騒ぎ立てられ、それが関係のない子にも連鎖し、寄ってたかって訴えられ、私は何が起こったかわからずに泣いた。
幼児の世界は可愛いくも残酷な世界だった。初めて指さされること、いじられること、おもちゃを奪われること、嘘をつかれること等、他愛のないことばかりだが、社会の中で味わった初めての悲しかったや辛かったは、当時の私には大きなインパクトだった。
また、私は常に給食を食べ終えるのが遅くて、母より大柄で大声だった先生に、「早く食べようね!」と言われながら、食べ物の好き嫌いに関わらず、口に掻き入れられたことも幾度もあって、特に給食時間は恐怖だった。
今では思い出の1ページだが、当時は幼児ながらに保育園が本当に嫌いだった。

このように振り返ると、幼児期にあって人間関係等で悩んでいた。
強運「ますかけ」幼児は、涙が多いの社会デビューとなる。

挿入ソング:


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?