
[短編小説]ただ南の海の夕陽を見てるだけ #百人百色
#百人百色
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつつ(新勅撰集 恋 849)権中納言定家
[短編小説]ただ南の海の夕陽を見てるだけ #百人百色
あの人が横浜の総合病院の救急外来に運ばれてきたのは、雪のふる日のことだった。
「ごめん、さっきの患者さんCT終わったっていうからさ…私がそっちを迎えに行ってくる。さとみ、今来た急患の採血頼むわ」
(ああ…押し付けられた…)
ヤクザの抗争で運ばれてきた男の採血なんて、避けられたら避けたいわ…
でも、やるしかないし…
血圧測定からか。
マンシェットを巻こうとした腕に、タトゥー。怖くないってフリをして血圧を測り、ケガの手当てをした。
(何か言わなきゃ…)平静を装って声をかけた。
「…痛かったでしょ?」
「別に…」と言いながら、その人は、目元に中学生みたいな笑顔を見せた。
いよいよ採血だ。
「怖がっていないという体で患者には接するの…どんな患者さんにもね」
新人の頃、そう師長に教わった。
怖がられていると感じた時に逆に強がってくるらしい。
「採血しますね」
丁寧に、慎重に針を刺した。心では「しくじったらヤバい」とドキドキしながら。
看護師になって7年。このくらいのレベルの血管ではしくじらない。
針を刺そうとすると、その人はビクッと腕に力を入れた。
入院はしなかったものの、Aさんは、それからもたびたび通院することになった。同僚みんなは私を担当扱いして、彼がくるたび採血や検査を押し付けた。
遅い雪が降る頃。
夜勤帰りの道にうずくまる人がいた。
「あっ、Aさんじゃない?わかる?そこの病院の看護師の…」
「あ…さとみさん?」
「え?!いつのまに名前知ってたの?
…で、大丈夫?」
彼と私は、何故か(何故だ?)…
桜の咲く頃、一緒に暮らすようになった。
二人でいる時の彼は優しかった。
故郷とか、生い立ちとか、そんなことは明かさない事以外は、普通の穏やかな暮らしが始まった。
阪東橋の川の辺りにも花が咲く。
伊勢崎町からちょっと離れた病院近くには危なげな場所とは違い、病院職員も通う定食の店が並んでいる。その辺りには子どもの声も楽しげな住宅街もある。病院に徒歩圏内のそこに私の住まいはあった。
川辺に座ってコンビニのコーヒーを飲みながら、その辺の草で彼は草笛を吹いてくれた。
いつからか、私が夜勤の日はレシピ動画を観て料理を作ってくれるようになった。
「マジで美味しい!」
「そうか…」
口数の少ない彼だけど歯に噛む笑顔が魅力的だった。
「根は悪い人なんかじゃない」
彼の料理の腕前は、どんどん上がっていった。
ある日、彼が言った。
「オレさ、調理師になろうかな」
「え?!いいじゃない!」
「いつか沖縄で小さな店を持ちたくなった。お前といたら、そんな事が俺にもやれるかなって気がしてきた」
いつもは無口な彼が饒舌に語り出した。
「うん…」それだけ言って、涙目になった私は言葉を挟まず聴いていた。
「居酒屋…いや、もっと小洒落たやつ。ソウサ…?」
「ソウサ…?創作料理の店?」
「それな。ソウサク料理の店をやりたい」
「いいじゃん!アンタの腕前なら流行ると思う。私、手伝うから…やろうよ!」
彼は遠くを見るような目で夢を語った。
「早起きして浜を犬の散歩して、仕込みの買い出しに行ってよ。ランチのあと遅い昼飯食って。調理場からも夕陽眺めて。沖縄…行きてえな」
「うわー、素敵だろうなぁ。いつか、夕陽の綺麗な浜辺に店をだそうね」
嵐が近いある日のこと。台風はまだ沖縄付近だと言うのに海に近い横浜の風は、すでに強くなっていた。
あの日、彼は抗争事件に巻き込まれた…
その日から、彼は帰らない。どんなに探しても消息はわからなかった。
あれから数年。何度目かの夏が来た。私はいつも病棟から見える横浜の夕焼けをぼんやり眺めていた。
「ねえ、さとみ?アイツのこと、いつまで待ってるの?考えてもみて?あんなことあったんだよ?ここには帰らないよ。もう待つのやめな」
「それもそうだ…ここじゃない!」
しばらくして辞表を出した。
荷物を引き払い羽田に向かった。
今、海辺に近い病院で働いている。
「沖縄で食堂をやりたい」って、あの日、言ってたから…ただ、それだけの理由で。
あれから十回目の夏が来た。
今日も夕陽は沖縄の空をオレンジ色に染めだした。
やがて東シナ海を真っ赤に燃やしていく。
あんなヤツに恋焦がれる私の心みたいに。
海と陸の風が止まった。
その瞬間は、今日こそ来るような気がする…そう思えた。
でもそんな予感はいつもハズレた。
「待ってなんかない…ただ南の海を見てるだけだから…」
夕凪の浜で呟いた。
三羽烏さん、いつもありがとうございます♪
企画に参加し書いてみました(97番)
百人一首の97番の恋心に見合う話にまではなってないかもしれませんが…
よろしくお願い申し上げます🙇♀️