ファッションへの考え方が覆り続けた挙句人生をいい意味で破壊されそうな話
「服がないでしょ?」
「買わないといけないんじゃないの?」
クローゼットの前で母に催促された私はこう思った。
……あるやん、目の前に。
それも同じようなものが沢山。
おしゃれとは? ファッションとは?
中学・高校と、校則で縛られた人々は大抵、
高校卒業(または大学入学)と同時にメイク及びファッションの試行錯誤を始める。
人によっては高校の時から、学校が休みの日におしゃれを楽しんでいた人が居たかもしれない。
私が初めて身だしなみを真剣に考え始めたのは「就活」と「アカペラサークル活動再開」がきっかけである。
つまるところ、大学3年生まで、身だしなみというものを気にした事が無かった。
私はどういう訳だか、
「ファッション・メイクをガッツリやる人 = 男に媚を売りたい人がやる行為」
だと思っていた。
モテたい中学生は大抵、スカートを短くしていたからかもしれない。
モテたい高校生はとにかく可愛く見えるファッションを探求していたからかもしれない。
当時の私は、過去のアレやコレやのせいで
「もう男とは関わりたくねぇ。」
という気分だった。
(当時、男性に対してかなり酷い偏見があった。男性の皆様ごめんなさい)
そして、ファッションやメイクを避ける日々を送っていた。
就活とサークルと
就活を始めると、特に面接対策とかでほぼ必ず言われることがある。
「身だしなみを整えよう! フォーマルメイクをしよう!」
私はこの時衝撃を受けた。
「相手(極端に書くと老若男女問わず、狭義での面接官)への印象を良くする為に、服装やメイクを意識することもあるのか!!!」
更に、アカペラサークルの活動も始まり
(※コロナ禍だったので2年間活動停止状態だった)
「ライブ等をやる時、ライブの演出として、メイクやファッションに気を遣う必要がありそうだ」
という発見もあった。
さらに、就活とサークルで男性と関わる機会が多々あった為、
「暴言や嫌がらせをしてきたり、変態を晒したりする男性って、レアな生き物だったのか。男性をそーいう奴らだと思ってた私、とてつもなく失礼な奴ではないか!」
と、男性への意識も改めた。
あきやさんという革命
2023年6月頃、私はこの記事にそれはそれは大きな衝撃を受けた。
タイトルにも衝撃を受けたが、
一番最初の見出しから衝撃を受けた。(はやい)
え!?!? (今までそんな風に考えたことなかった!)
就活という個人的ファッション革命もぶった斬られた気分になった。就活ってワード、一言も出てないけど。
(就活をファッション革命呼ばわりしてる時点でなんか変だが)
※後に「自分の意思で『相手に合わせる』のは素晴らしいこと」とあきやさんは語る。
自分のために服を着ていいのか!!!
ファッションって楽しむものだったのか!!
そこが私にとって最大の衝撃だった。
そして、自問自答の旅に出て、
その先の進路が狂い始める。
自問自答をしていたら、
それに関連する発信者達の投稿を漁ったら、
人生について色々考え始めてしまった。
遂には
大学院推薦入試のその先の進路に疑問を持ち始め、就活を再開し就活のその果てに、研究をやってみようと決意して元の専攻とは別の大学院を受験するという
訳の分からない遍歴に至った。
(自問自答ファッションだけのせいではないとは思うけど一枚噛んでる。確実に。最初はファッションについて考えていた筈なのだが……)
その辺ついては就活・院試体験記にいつか纏めようと思う。
さらに、どういう訳だかこんな本を読む機会があって
メイクって楽しむものだったのか!!
と、衝撃を受けるのはまた別の話。
こうして、
私のファッション(及び人生?)の探求は始まった。
中身と外面の差があるのはわかるけど……
同じような服がいっぱいあった。
白いトップスと淡い色のスカートの数が特に多かった。
自分の服って感覚は薄かった。
そこに私が選んだ服は無かった。
なぜなら、
私が服屋やショッピングモールに行くと1時間程で気分が悪くなり長居出来ない為に、それっぽい服をとりあえず、母が買ってくる為である。
そんなある日、「自分のコンセプトを定めないと」と、切実に思った。
私はどうやら
「クラッシックでも聞いてそうな文学少女」に見えるらしい。
これは過去に、嫌がらせを回避する為に、最も効率的な人格として自分で作っていた設定である。
かつて、好きを表明することは命懸けだった。
毎日暴言や嫌がらせを受けてる人と同じ趣味だと判明したらどうするだろうか?
大抵の人は渦中に巻き込まれたくないので、その人がそれを好きであることをやめさせるか、好きであることをやめるかのいずれかの行動にでる。
何かを好きになる機能をかつての私は捨てた。
クラッシックや文学が好きな人間って一周回ってあまり居ない。
故に当時は、その人格を演じれば安全は担保された。
でも、「私ってそんな人間じゃねぇ」ってどこかでずっと思っていた。
大学生になっても
「クラッシックでも聞いてそうな文学少女」
こんな風に言われたことにショックを受けていた。
アカペラサークルに入って活動してた際、「昭和・平成の歌謡曲」と「宗教音楽」をやる機会が多かった。
何でこんなのばかりやる羽目になってるんだろうって、悲しくなっていた。
私はどんな音楽ジャンルであろうと、名曲は名曲だと思っているし、
正直、クラッシックも昭和歌謡曲も宗教音楽もたまに聞くことがあるし、ある程度は素晴らしさを語れる気はするが、
私の曲の趣味はポップロック及びアニソン系の軽音部の人が演奏してそうな、元気な曲だった。
(これに気づくまでの過程は割と長く、この結論に至ったのはサークル引退後だったけど)
母に私の印象を問うた。
「クラッシックでも聞いてそうな文学少女」と返ってきた。
泣きそうになった。
それでも私が何を望むのか、見えそうで見えぬまま、今に至る。
就活時に苦しんだ問いを
自分のコンパスを見出す問いを
今も問い続けながら
私は月の暦の書かれた薄紫色の手帳に、ワクワクできそうなことを書けるだけ書いてみた。
そして、将来の希望を見出そうとしていたとさ。