・とにかく時間が長く感じる。長い。こんなに長く感じるのはいつぶりだろう
・電車に乗ると、自分以外のほとんどの人がスマホを見つめてて異様な光景に見えみえる
・周りが違うことをしているので逆に自分だけ異次元にいるような気分
・自分が特別な存在になったような気分。タフティ本でいうの「気づきの中心点」に立ちやすい
・思考がいつもよりも暴走する
・五感が研ぎ澄まされる
・突然外に放たれて、どうしたら良いかわからないチワワの気持ち
・店員が冷たい、そっけないと感じている時、大抵自分も表情が固い
・ネットを断ち、知らない道を歩いてみると、サバイバル感がすごい。病みつきになる。
・本屋に寄るも、本を探すのにもネットが必要だった
・思ったよりも右脳が働かない、左脳が混乱して暴走している。しかしなれると静まっていく気もする。
・1日の余白と向き合う必要がある。普段ここをネットに触れることで回避している気がする
・何故ネットに触れたくなるのか?を考えたところ、「自分の輪郭を知るのに、ネットで得られる情報・評価を頼っている」という言葉が浮かんだ
・ネットが無いと、情報のお預けを食らう状況はあたりまえ。例えば好きな作家の次回作はいつ発売されるのか?とかその「お預け」も「余白」で、ネットがあまり普及していない頃は、それは「楽しみ」という感情で保っていたような気がする。楽しみにしている時、無いものに対する想像力が働くので、今よりも昔は右脳が働きやすい環境だったのかなと思う。
・叶った自分がいる映画をみた時に、大体はスマホを片手にSNSは見ていない。燦々と輝く太陽の下の笑顔とか、美味しい食べ物、素敵な景色を目にしている。ネットを断つと、叶った自分がいる映画のワンシーンとリンクがしやすくなる。映画の登場人物として絵になる自分になれる気がする。形だけではなく、その空気感、オーラを纏えるような。
・鍼灸院の先生とお話しして「大したものだ」と褒められた。しかし、次に取ろうとした行動はSNSへ「褒められた」と上げることだった。褒められたことの嬉しさを自分がしっかり受け取る時間がかなり短いなと感じた。
・自分の嬉しさだったり、楽しみな感情にじっくりひたれる余白を、ネットの情報で塗りつぶしている感覚がある。
・自分のありのままの思考。他者へ向けたものではなく、自分に対する感情や思考から目を背けるためにネットを開きたがるのか?と思った。
・美味しいものを食べている時や、紙に触れて何かを書く、読む、その土地の空気を吸いながら歩く、人と会話とする。この時すごい「豊かだな〜」と思った。というより、これらを通して自分の中で湧き出る感情や思考をじっくりと味わう時間があることが「豊か」なのかもしれない。
・じっくりと味わうことは手間ではない。豊かなこと。ネットに触れることで、じっくり味わうことができる余白を塗りつぶしている。余白は1日のうちにたくさんあるのにも関わらず、ネットを使ってぞんざいに扱っているような気がした。感情や思考と向き合う余白の多さ=時間の長さなのかな。
・ネットデトックスは定期的に継続して行う。