「ら抜き言葉」の次は「の抜き」だと思う

現代を生きる人々は、「食べれる」と「食べられる」を簡単に区別できる。「鳥は魚を食べれる」とか、「魚は鳥に食べられる」とか言う。要するに、食べれるは「食べることができる」、食べられるは「食べる対象にされる」という意味だ。
正しくは、両方とも「食べられる」というべきだが、「食べることができる」ことを「食べられる」と言う人はもはやかなり少数派であり、そちらに合わせてしまうと多数派とのコミュニケーションに支障をきたしてしまう。「食べられる」の「ら」は完全に駆逐されたのだ。
次に狙われるのは「なのだ」の「の」だろう。「なのだ」は「なんだ」に取って代わられる可能性が高い。もちろん、「何だ」と「なんだ」は同じ発音だが、イントネーションや前後にある単語から簡単に区別できる。今どき「○○なんだから」を「○○なのだから」と言う人はかなり少数派だろう。
時が経てば間違った日本語が主流になり、「正しい日本語」とされることもある。変化しない言語はない。言語は他人に何かを伝えるために存在していて、他人の言葉遣いや方言に合わせてしまう。そんな流動的なものなのだ。

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