明日世界が終わるとしても勤勉に種をまきましょう
[テサロニケ人への手紙 第二 3:11,12,13]
ところが、あなたがたの中には、怠惰な歩みをしている人たち、何も仕事をせずにおせっかいばかり焼いている人たちがいると聞いています。そのような人たちに、主イエス・キリストによって命じ、勧めます。落ち着いて仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。兄弟たち、あなたがたは、たゆまず良い働きをしなさい。
今日の聖書箇所
IIテサ3:6〜18
今日でテサロニケ人への手紙は最後です。
苦難の中で主の再臨を待ち望んで愛と忍耐をもって信仰を守っていたテサロニケの聖徒たちでしたが、その中には偽教師たちに惑わされてしまった者たちもいたようです。
惑わされてしまった者たちは再臨が近いからもう仕事をしている暇などない、もっと霊的なことに集中しなければならないと仕事もしないで教会から食べ物を得ながら、あれこれ余計なおせっかいばかりをしていたようです。
そのような者たちに使徒パウロはしっかりと自分で仕事をして自分で得たパンを食べるように命じます。
使徒パウロは誰よりも主イエスの再臨を待ち望んでいた人でしたが、自分で仕事をして教会にできるだけ負担をかけないようにしました。そのように生きることで聖徒たちに模範を示したのです。
[テサロニケ人への手紙 第二 3:6,7,8,9]
兄弟たち、私たちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な歩みをして、私たちから受け継いだ教えに従わない兄弟は、みな避けなさい。どのように私たちを見習うべきか、あなたがた自身が知っているのです。あなたがたの間で、私たちは怠惰に暮らすことはなく、人からただでもらったパンを食べることもしませんでした。むしろ、あなたがたのだれにも負担をかけないように、夜昼、労し苦しみながら働きました。私たちに権利がなかったからではなく、あなたがたが私たちを見習うように、身をもって模範を示すためでした。
再臨と主の裁きがあることを誰よりも強く信じていた使徒パウロは一人でも多くの魂が救われ、また聖徒たちが躓くことなくその信仰を守り通すことを願っていたのでそのように生活したのです。
怠惰な生活をしながら福音を語ってもそれには何の説得力もなく、それはただ未信者たちと聖徒たちを躓かせるものにしかならなかったからです。再臨が近ければ近いほど一人でも多くの魂が救われ、聖徒たちの信仰が成長するように最大限に努力したのです。
再臨が近いからと仕事をやめておせっかいばかりするような者たちはどんなにイエス様、イエス様を言っていても自分のことだけしか考えていない者であり、福音の拡大も教会のことも何も考えていない者だったのです。それでいてそのような者たちは自分たちが特別に霊的な者、信仰深い者だと自負し、自慢していたのでしょう。
霊的で信仰的であるとは常に自分のことではなく救われていない魂と教会と聖徒のことを考え、救われていない魂と教会に献身的であるということです。
どんなに再臨を語り、霊的で信仰的であるかのように見せかけても、平気で人々を躓かせ、教会を躓かせる人ははただの自己中心な肉の人であり、そのような人は教会を破壊することしかしないのです。それゆえ使徒パウロはそのような人たちとは交際しないようにとまで言うのです。
[テサロニケ人への手紙 第二 3:14,15]
もし、この手紙に書いた私たちのことばに従わない者がいれば、そのような人には注意を払い、交際しないようにしなさい。その人が恥じ入るようになるためです。しかし、敵とは見なさないで、兄弟として諭しなさい。
そのような肉的な人が教会にいるなら教会は必ず悪影響を受けるからです。そのような人たちを教会の交わりから排除して、悔い改める機会を与えなさいと言っているのです。
教会の交わり、教会の霊的な雰囲気がいかに大切か使徒パウロはよく理解していたのです。教会の交わりに肉的なものや偽りが侵入するならそれが全体を汚すことになってしまうからです。
それゆえそのような肉的なものや偽りは注意深く見分け、それを取り除いて教会と聖徒たちの霊性と信仰を守らなければならないのです。そして惑わされてしまった者たちにはそれを容認したり、黙認したりせず悔い改めを求めること、それがその人と教会を守る真の愛だということです。
終わりの時代にはますますあらゆる巧妙な惑わしが入り込んでくるのです。それゆえ私たちはますます目を覚まし、御言葉をしっかりと聞いて従う者となり、偽りを注意深く見分け、勤勉に働きながら主の再臨を待ち望んでいきたいと思います。