人は心に満ちているものを語ります
[エペソ人への手紙 4:29,30]
悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
今日の聖書箇所
エペソ4:25〜32
今日もエペソ書から恵みをいただいていきましょう。
パウロは古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着ていく生き方について具体的に教えていきます。
それを一言で言うなら神の聖霊を悲しませないように生きると言えるかも知れません。逆に言うならば神の聖霊を喜ばせるように生きると言うことです。
そのためには第一に怒りをコントロールしなければなりません。
[エペソ人への手紙 4:26,27]
怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。
たとえイエス・キリストを信じて救われ、新しくされたとしても怒りがなくなるわけではありません。クリスチャンであってもなくても怒りは湧き上がることはあるのです。
しかしパウロはそれを持続するな、怒りを持続するなら悪魔に機会を与えることになると言うのです。怒りを持続するとそれは恨みになり、怨念となり、苦々しさとなり、それは悪魔の大好物となってしまうからです。
恨みや苦々しさを持ち続けるなら、そこに悪霊どもが引き寄せられてきてそこに巣を作り住み着くようになってしまうのです😱そうなると誰よりもその人自身の人生が破壊され、滅ぼされてしまうことになってしまいます。
日々聖霊の助けを受けて怒りを捨て、主にあって赦していくこと、それが私たちの心身を守り、私たちの人生を守るのです。
第二に怠惰にならず労苦して働くことです。
[エペソ人への手紙 4:28]
盗みをしている者は、もう盗んではいけません。むしろ、困っている人に分け与えるため、自分の手で正しい仕事をし、労苦して働きなさい。
エペソの聖徒たちの中には仕事もしないで人から不正に財物を得て生活するような人がいたようです。そこには怠惰という罪がありました。怠惰になるなら霊的にも実際的にも貧しくなるのですが、しっかりと働くなら霊的にも実際的にも私たちは豊かになり、人々を潤すことができるようになるのです。
第三に悪い言葉を一切語らず、恵みを与える言葉を語ることです。
[エペソ人への手紙 4:29]
悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。
言葉の大切さは聖書ではなくても多くのところで教えられています。また多くの人は悪い言葉を語りたいとは思っていないのですが、実際には悪い言葉を語ってしまいます。
言葉の問題というのは実は言葉の問題ではなく、心の問題であり、思いの問題であり、中身の問題なのです。人は心に満ちているものを語るからです。
[マタイの福音書 12:34,35,36,37]
まむしの子孫たち、おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えますか。心に満ちていることを口が話すのです。良い人は良い倉から良い物を取り出し、悪い者は悪い倉から悪い物を取り出します。わたしはあなたがたに言います。人は、口にするあらゆる無益なことばについて、さばきの日に申し開きをしなければなりません。あなたは自分のことばによって義とされ、また、自分のことばによって不義に定められるのです。
私たちの心に神の言葉が満ちているなら自然に神の言葉を語り、私たちの心に信仰が満ちているなら自然に信仰の言葉を語り、私たちの心に肉の思いが満ちているなら自然に肉の言葉を語り、私たちの心に怒りや苦々しさ、妬みなどの悪魔の思いが満ちているなら自然にそれを語るのです。
私たちの心の倉をどんな言葉で満たしているか、それはその人の語る言葉に必ず現れてくるということです。
それゆえ言葉を変えたければ思いを変えなければならず、思いを変えたければ神の言葉で私たちの心を満たさなければならないのです。
私たちはただの言葉だと考えてしまいやすいのですが、パウロは、そして聖書は決してそうは言いません。パウロは贖いの日があるのだから悪い言葉で聖霊を悲しませるなと言っています。贖いの日とはイエス・キリストの再臨の日であり、神の裁きがなされる日であり、聖霊によって新しい復活の体を与えられる日のことです。
その日に備えて言葉を慎めと言っているのです。その日には私たちが語った全ての言葉について神の御前に申し開きをすることになるとイエス様は言っているのです。
私たちが忘れたとしても神の御前には全てが記録されているということです。それを信じている者はいつも贖いの日を意識して言葉を語るようになり、聖霊が喜ばれるような言葉を語ることができるように絶えず神のいのちの言葉で心を満たしていくでしょう。
そのような人が贖いの日に聖霊によって栄光の体に変えられていくことになるのです。神の聖霊を思いと言葉で悲しませ続ける人の中に聖霊がとどまり続けてくださるでしょうか?パウロは神とその裁きを恐れなさいと言っているのです。
私たちの思いを神の言葉で満たし、人々の成長に役立つ恵みの言葉を語り、贖いの日に備える者となりたいものです。
今日の祈り
主よ、贖いの日があることを忘れず、思い、言葉、行いの全てで神の聖霊を喜ばせる者へと成長させてください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?