愛の神は義なる神
[サムエル記 第一 15:24,25,26]
サウルはサムエルに言った。「私は罪を犯しました。兵たちを恐れて、彼らの声に聞き従い、主の命令と、あなたのことばに背いたからです。どうか今、私の罪を見逃してください。そして、私が主を礼拝することができるように、一緒に帰ってください。」サムエルはサウルに言った。「私はあなたと一緒に帰りません。あなたは主のことばを退け、主があなたをイスラエルの王位から退けられたからです。」
今日の聖書箇所
Iサム15:24〜35
今日もサムエル記から恵みをいただいていきましょう。
サムエルに明確に罪と不従順を明らかにされてサウルは追い詰められました。このままではサムエルに見捨てられ、王としての体面を保つことができなくなると思ったサウルはようやく自分の罪を認めます。
しかしこれは主に対する真実な悔い改めではなく、どこまでも自分の体面を保つためにサムエルを引き留めておくための方便に過ぎませんでした。
サムエルはそのような姑息なサウルに騙されることはありませんでした。サウルを突き放し、サウルに神の裁きを宣告します。
[サムエル記 第一 15:27,28,29]
サムエルが引き返して行こうとしたとき、サウルが彼の上着の裾をつかんだので、上着は裂けた。サムエルは彼に言った。「主は、今日、あなたからイスラエル王国を引き裂いて、これをあなたよりすぐれた隣人に与えられました。実に、イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔やむこともない。この方は人間ではないので、悔やむことがない。」
サムエルの上着が裂けたことはサウルに対する神の裁きのしるしでした。そしてサムエルはサウルに対する神の裁きはもうくつがえることはなく決定されてしまったと宣告するのです。
サウルは真実ではないにしても一応形の上では悔い改めたのですが、それはもう何の意味もなかったのです。サウルの悔い改めは遅すぎたのです。
主はサウルに何度も悔い改めるチャンスを与えてきたのですが、サウルはそれを無視してきました。そして遂に時間聞れになってしまったのです。恵みの時は終わり、裁きの時に入ってしまい、救いの日は終わり、審判の日となってしまったのです。
サウルは主に選ばれ、特別な恵みを受けた者でしたが、その主を畏れる心がなく、主とその御言葉を侮っていました。主は悔い改めを待っていましたが、サウルはその主の憐れみをも踏みにじってしまったのです。
それゆえに遂にサウルはイスラエルの王位から外され、サウルだけではなく一族全体が厳しい裁きを受けることになっていくのです。
私たちの神は愛の神であると同時に義なる神です。私たちはこの御方を決して侮ってはなりません。神の愛と恵みを無駄に受けてはなりません。神の恵みが注がれているこの時に、真実に悔い改め、主に従い始めることがどれほど大切でしょう。
なぜなら恵みの時はいつか終わるからです。それが終わってから後悔してももう遅いのです。恵みの時である今こそ悔い改め、主の御言葉に従い始めていきましょう。救いの日である今日という日を最大限に生かして主の御心を行っていきましょう。私たちにもまた明日があることは確実ではないからです。それゆえ悔い改めることを先延ばしにし、主の御言葉に従うことを先延ばしにしないようにしましょう。神の愛に基づく警告を決して侮らないようにしましょう。
次の御言葉を心に刻み、今日という恵みの時を生かして用いていきたいものです。
[へブル人への手紙 3:12,13,14,15]
兄弟たち。あなたがたのうちに、不信仰な悪い心になって、生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。「今日」と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。私たちはキリストにあずかる者となっているのです。もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、です。「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。神に逆らったときのように」と言われているとおりです。
[へブル人への手紙 12:15,16,17]
だれも神の恵みから落ちないように、また、苦い根が生え出て悩ませたり、これによって多くの人が汚されたりしないように、気をつけなさい。また、だれも、一杯の食物と引き替えに自分の長子の権利を売ったエサウのように、淫らな者、俗悪な者にならないようにしなさい。あなたがたが知っているとおり、彼は後になって祝福を受け継ぎたいと思ったのですが、退けられました。涙を流して求めても、彼には悔い改めの機会が残っていませんでした。
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