内面化している言葉が変われば人生が変わります
[コロサイ人への手紙 3:16]
キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。
今日の御言葉
コロサイ3:12〜17
今日もコロサイ書から恵みをいただいていきましょう。
使徒パウロは救われた者はどのように歩むべきかを教えていきます。
第一に救われた者は互いに忍耐し,互いに赦しあって生きるべきです。
[コロサイ人への手紙 3:13]
互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
第二に救われた者は互いに愛しあうべきです。
[コロサイ人への手紙 3:14]
そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。
第三に救われた者は平和と感謝の心を持つべきです。
[コロサイ人への手紙 3:15]
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
キリストの平和とは平穏な心のことではなくキリストの十字架の血の贖いによって与えられた神との和解,神との平和のことであり,それを思う時にどんな時にも感謝の心を持てるということです。
赦し,愛,平和,感謝の内に歩みなさいということです。誰もがそのような生き方を否定しないと思いますし,できればそのような生き方がしたいと思うのではないでしょうか?
またいろいろな宗教も倫理道徳もそのように教えるでしょう。問題はそうは言っても実際にはそのような生き方ができないということです。
使徒パウロはただ倫理道徳で頑張ってそうしなさいと言っているのではないのです。そうではなくそのような生き方をするためにはキリストの言葉,神の言葉を心に住まわせる時にできると言っているのです。
[コロサイ人への手紙 3:16]
キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。
人は内面化している思い,言葉によって支配されるからです。自分は価値がないという思いに支配されている人はそのような無価値な生き方をしてしまうのです。
キリストのことば,神のことば,福音のことばがただの知識ではそれは何の力も持たないのです。しかしそれらのいのちのことばが心に入り,霊に入り,内面化する時,私たちはそのいのちのことばによって動かされていくことになるのです。
神のことばが内面化すればするほど私たちは神の愛を体験として知り,キリストのことばが内面化すればするほどキリストによる赦しを体験として知り,福音のことばが内面化すればするほど福音の恵みを体験として知ることになるのです。
その時,自分はキリストによって神に愛され,選ばれ,赦され,聖められ,恵まれた者であるという新しい自己認識,アイデンティティが確立し,それにふさわしい生き方を自然にするようになるのです。
自分は神に限りなく愛されている者であると思っている者は,その愛にふさわしく生きるようになるのです。反対に自分は誰にも愛されていないと思っている者は無価値でめちゃくちゃな生き方をしてしまうのです。
私たちは悪魔が支配するこの罪の世の中でどれほど偽りのことば,邪悪なことば,死のことばによって支配されてしまうことでしょう。
イエス・キリストを信じて救われても私たちに内面化されたそれらの悪魔のことば,偽りのことば,死のことばはなお私たちを縛っているのです。それらを全てキリストのことば,神のことばによって入れ替えていかなければならないのです。
それゆえキリストのことば,神のことばを聞くこと,読むこと,声に出すこと,霊に刻むことが本当に必要で重要なのです。食べ物を咀嚼するようにキリストの言葉を咀嚼して自分の霊に刻まなければなりません。その時,キリストのことばが私たちを掌握し,キリストのことばが私たちを動かし始めるようになります。
そのために礼拝があり,キリストの体である教会があるのです。詩と賛美と霊の歌による礼拝で主に心が開かれる時にキリストのことばが臨むようになり,キリストの体である教会での交わりの中で心が開かれる時にキリストのことばが臨むようになるからです。
キリストのことばが豊かに住まうように,ますます礼拝し,ますます教会にしっかりとつながっていき,キリストのことばを内面化させ,神に愛されている者らしい人生を歩んでいきたいものです。
今日の祈り
主よ,私の内面にどんなことばがあるか光を照らし,偽りと死のことばを取り除き,キリストのことばが住まい,宿るように導いてください。