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巡礼者として生きる

[ペテロの手紙 第一 2:11,12]

愛する者たち、私は勧めます。あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けなさい。異邦人の中にあって立派にふるまいなさい。そうすれば、彼らがあなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの立派な行いを目にして、神の訪れの日に神をあがめるようになります。

今日の聖書箇所
Iペテ2:11〜25

今日もペテロの手紙から恵みをいただいていきたいと思います。

使徒ペテロは救われた聖徒の生き方について教え、生き方を通して福音を証するようにと勧めるのです。

人の生き方、行動、言葉、思考、人生観、世界観というのは全て自分はどのような者なのかというアイデンティティから生まれてきます。

自分には何の価値もなく、自分の人生には何の意味もないと思っている者は何の価値も意味もない行き当たりばったりの生き方をしてしまうのです。

しかし自分の価値を知り、自分の人生の意味を知っている者はそれにふさわしい価値ある生き方をするようになっていくのです。私たちの人生は自分をどう思っているかという自己認識に基づいて形成されていくのです。人は自己認識に反する行動を取り続けることはできないからです。

イエス・キリストによって罪から死から呪いから救われて天の御国を相続することを約束されている聖徒にとってこの世は仮の宿に過ぎません。使徒ペテロはそれを寄留者であり旅人であると表現しています。

聖徒たちの故郷、本国は天の御国であり、この地上の人生は天の御国に帰るための巡礼の旅なのです。それゆえこの地上でいろいろな不便なことや困難なことがあってもそれはそれほど大きな問題とはならないのです。なぜならそれらの不便や困難もやがて必ず終わり、永遠の喜びと幸せが始まることを知っているからです。

それゆえ聖徒は常に永遠の世界での幸せ、報い、冠、価値を追い求めるようになっていくのです。天の御国で価値ある者となりたいので、この地上の人生では誰に何と言われようと善き行いと従順の生活に励むようになっていくのです。

目に見えるものが全てのこの世の人から見るならば理解不能なのですが、聖徒は誰が見ていてもいなくても、誰に評価されてもされなくても関係なく神に喜ばれることを追い求めるようになるのです。

[ペテロの手紙 第一 2:17,18,19]

すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を敬いなさい。しもべたちよ、敬意を込めて主人に従いなさい。善良で優しい主人だけでなく、意地悪な主人にも従いなさい。もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。

悪魔が支配するこの罪の世の中で報われないと思うことは数多くあります。正しいことをしているのにかえって苦しめられる理不尽なことも多くあります。もしこの世が全てなら、私たちは怒りと恨みと不平不満によって死ぬほど苦しむしかなくなるのではないでしょうか?

しかし感謝なことにこの世が全てではないのです。この世はやがて消え去る一時的なものであり、この世で全てが決着するのではなく、永遠の天の御国で全てが正しく決着するのです。それを信じ、確信し、そこに希望を置いている者たちこそイエス・キリストによって救われた聖徒なのです。

それゆえこの世の旅での矛盾や不条理にも振り回されず、負けることはないのです。それで終わりではないからです。やがて天に御国に帰った時に報いと冠が用意されているのでどんなことがあっても神に喜ばれることを追い求め、永遠において価値あることを追い求めていくのです。

しかしそうは言われても弱い私たちはそんな生き方が本当にできるのでしょうか?そのために主イエス・キリストの打ち傷、その血潮があるのです。聖徒も肉の弱さがある人間です。罪と肉とこの世の力に倒されてしまうことがあるのです。天の御国への旅から外れてしまうことがあるのです。

そのような時に悔い改めてキリストの打たれた打ち傷を仰ぐ時に罪と肉の欲は癒されて、この世の力から解放されて、本来の神の子の姿へと回復され、再び天の御国へと向かう巡礼の旅を始めることができるようになるのです。

[ペテロの手紙 第一 2:21,22,23,24]

このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。

今日も主の打たれた打傷によって罪と肉の欲という霊的な病を癒していただいて天の御国への巡礼の旅を続けていきたいと思います。

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