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導きと占い

[サムエル記 第一 14:41,42,43,44]

サウルはイスラエルの神、主に「みこころをお示しください」と言った。すると、ヨナタンとサウルが取り分けられ、民は外れた。サウルは言った。「私か、私の息子ヨナタンかを決めてください。」するとヨナタンが取り分けられた。サウルはヨナタンに言った。「何をしたのか、私に話しなさい。」ヨナタンは彼に話した。「確かに、手にあった杖の先で、少しばかりの蜜を口にしました。この私が死ななければなりません。」サウルは言った。「神が幾重にも罰してくださるように。ヨナタン、おまえは必ず死ななければならない。」

今日の聖書箇所
Iサム14:36〜52

今日もサムエル記から恵みをいただいていきましょう。

サウルはヨナタンの奇襲攻撃による勝利から戦いを始めましたが,無謀な断食命令を出し,王としての権威を見せつけようとしました。またここでさらにペリシテ軍を追撃することを提案し,戦いの主導権を自分が握っていることを示そうとするのです。

サウルは人々がヨナタンに注目することを恐れていたのでしょう。戦いの勝利を自分の手柄にしたかったのです。そんな時に祭司が主の御心を求めることを提案します。サウルはこの時もまた神を利用して,自分の決定を権威づけようとしたのでしょう。祭司が持つウリムとトンミムという占い盤のようなものを用いて主の御心を求めました。しかし主は沈黙され,何もお答えになりませんでした。

[サムエル記 第一 14:37]

サウルは神に伺った。「私はペリシテ人を追って下って行くべきでしょうか。彼らをイスラエルの手に渡してくださるのでしょうか。」しかしその日、神は彼にお答えにならなかった。

これが主の御心でした。元々サウルは主を利用はしても主の御心に従うつもりなどなかったのです。それゆえサムエルが来る前に自分で生贄を捧げることまでしたのです。サウルはそれについて悔い改めることもなく,また主を利用しようとするのです。

そのような高慢で不信仰なサウルと神との関係は既に断絶していたのです。主に従うつもりもないサウルに主が答えられることはなかったのです。沈黙が主の答えでした。

サウルはそれを見て悔い改めるべきでした。自分が一番の問題だったからです。しかしサウルは自分を正当化するために犯人探しを始めます。

犯人探しのためにウリムとトンミムという占い盤を用いるのですが,その結果,罪は民ではなく,サウルとヨナタンにあることになり,さらに占うと罪はヨナタンにあることになってしまうのです。

これは主が示した御心なのでしょうか?そうではありません。どうして信仰による大勝利をもたらしたヨナタンが主によって罪ある者とされなければならないのでしょう?誰が見てもおかしいことです。

これはまずサウルの陰謀によるものという可能性があります。ヨナタンに罪をなすりつけて,独断で動いたヨナタンに制裁を加え,その名誉を奪う意図があった可能性があります。サウルは自作自演の占いをした可能性があります。

もう一つは罪を悔い改めることもなく,主に従うつもりもないサウルが主の御心を求めていることから,それが本当の占いとなって,占いの霊が働いてこのような結果が出た可能性もあります。こちらの可能性の方が高いのではないでしょうか?

占いの霊という悪霊がウリムとトンミムという占い盤を通して働いて,ヨナタンを殺そうとしたということも十分にあり得ることではないでしょうか?主は最初から沈黙されているのですから,この時だけ語るというのはおかしいことです。

サウルはもうこの時点から占いの霊や魔術の霊という悪霊の支配下に入っていたのかもしれません😨

自分のために主を利用しようとすることを続けていくなら,それは占いや魔術という悪霊の世界にどんどんと近づいていくことになるのです。

主は私たちに語ってくださいますが,それは私たちの都合に合わせて語ってくれるわけではありません。また何でも語ってくださるわけでもありません。主がもし私たちの都合に合わせて,どんなことでも語ってくれるなら,それはもう私たちのご主人ではなく,私たちのしもべになってしまいます。

主は私たちの占い師ではないのです。このお方は主権者であり,全能者であり,万物の主であり王であるお方なのです。私たちに必要なことは既に聖書を通して語って下さっているのです。私たちにまず求められるのはその御言葉に示されている主の御心に従うことです。

もちろんこのお方は私たちを導いてくださいますが,それを受け取るためには私たちがその導きを信頼し,待ち望むことです。主が沈黙されてもなお信頼し続けること,それが私たちに求められていることなのです。

しかし私たちが自分の肉の欲を満たすために主の御声,主の御心を求めるなら,どんなに主の御名を使っていても,そこにはすぐに占いや魔術が入り込んで来ることを忘れてはなりません。

御言葉を心に刻み,しるしや不思議,現象に頼る魔術ではなく主とその御言葉に単純に信頼していきたいものです。

[ガラテヤ人への手紙 5:19,20,21]

肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。

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