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恵みによる救い・裁きによる救い

[列王記 第一 20:13,14]

ちょうどそのころ、一人の預言者がイスラエルの王アハブに近づいて言った。「主はこう言われる。『あなたは、この大いなる軍勢を見たか。見よ、わたしは今日、これをあなたの手に引き渡す。こうしてあなたは、わたしこそ主であることを知る。』」アハブが「それは、だれによってでしょうか」と尋ねると、その預言者は言った。「主はこう言われる。『諸州の首長に属する若い者たちによって。』」アハブが「だれが戦いを仕掛けるのでしょうか」と尋ねると、「あなたです」と答えた。

今日の聖書箇所
I列王20:13〜25

今日も列王記から恵みをいただいていきたいと思います。

アハブとイスラエルはベン・ハダドが率いるアラムの大軍に取り囲まれ、窮地に追い込まれていました。全面降伏するか、悲惨な敗北を覚悟して戦うかしかない状況でした。

そんな時にアハブのもとに一人の預言者が遣わされます。主はその預言者を通してアハブとイスラエルの民に救いと勝利の約束を与えられるのです。これは驚くべきことでした。

アハブはイスラエルで史上最悪の王であり、主なる神に対する信仰を捨て、国全体を偶像崇拝によって汚した王です。しかしそのアハブが窮地に立った時に主なる神は救いを与えようとされるのです。

これは主なる神の恵み深いご性質を現しています。主はどんなに罪深い者も罪の中で滅びてしまうことを望んではいないのです。その者が主に立ち返り、悔い改めて救われることを願っておられるのです。

そのためにご自身の方から罪深い者、悪しき者にも近づかれ、一方的な恵みによる救いを与えてご自身を現してくださるのです。それを通してその者が主を知り、悔い改めて生きるようになることを願っておられるからです。

その恵みによる救いの御業はどのように始まるのでしょうか?

それは神の言葉から始まるのです。アハブに預言者を通して神の言葉、救いの約束が語られたところから救いの御業、危機からの救いが始まっていきます。

そして次にその救いの約束が実現していくために主は具体的な戦い方についても指示を与えられます。

アハブは圧倒的に不利な戦いをどのように戦っていけば良いかを預言者に聞くと預言者は具体的な戦略を教えてくださいました。それは諸州の首長に属する若い者たち、戦いの経験もない次世代によって勝利を与えると主はご自身の戦略を示されるのです。

このように主は救いの約束だけではなく、具体的な戦い方についてまで導きを与えてくださるのです。

そして最後にこれからの危険を示し、それに対して備えるようにと語ってくださいます。

[列王記 第一 20:19,20,21,22]

町から出て来たのは、諸州の首長に属する若い者たちと、これに続く軍勢であった。彼らはそれぞれ相手に打ち勝ったので、アラム人は逃げ、イスラエル人は追った。アラムの王ベン・ハダドは馬に乗り、騎兵たちと一緒に逃れた。イスラエルの王も出陣し、馬と戦車を討ち、アラム人を討って大損害を与えた。その後、あの預言者がイスラエルの王に近寄って言った。「さあ、奮い立って、これからなすべきことをよく考えなさい。来年の今ごろ、アラムの王があなたを攻めに上って来るからです。」

悪しき王アハブに対する主の恵みの大きさ、憐れみの深さに驚かされます😭ここまで恵みを注いで、アハブとイスラエルの民が主なる神こそ真の神であることを知り、悔い改めてご自身に従い、癒しと回復を受け取っていくチャンスを与えてくださったのです。

主なる神が私たちにご自身を現す方法には主に二つの方法があります。一つは無条件の愛と恵みを注いでご自身を現してくださいます。その最大のものがイエス・キリストの十字架の血のよる贖いと復活による救いの恵みです。これはどんな人も信じ受け入れる人に無条件に与えられていきます。

もう一つはご自身の義と聖なる裁きを通してご自身を現してくださいます。エリヤがカルメル山で偶像の預言者たちを滅ぼしたことはその典型です。主は人々が悔い改めることを忍耐をもって待たれますが、最終的には必ず義と聖なる裁きを下されます。

主がご自身をこの二つの方法によって現される目的はそれを通して人々がご自身が真の神であることを知り、悔い改め、その御言葉を従う者となって祝福されていくことなのです。

しかし残念なことに多くの場合、人々の反応は悔い改めではないのです。主なる神の限りない愛と恵みが示された時には何をしたって大丈夫だと赦され、救われていくと主なる神とその御言葉を侮ってしまうことが多いのです。

また主なる神の義と聖なる裁きが現された時にはますます心を頑なにしてしまうことが多いのです。

私たちはどんなに罪深く弱い者であっても限りない愛と恵みの神により頼んで救いを受け取っていく謙遜な信仰をいただきたいと思います。そして主の愛と恵みによって救われたなら、救われた者らしく、神の義による聖なる裁きがあることを正しく恐れ、日々罪を悔い改め、その御言葉に従う従順な信仰を身につけ、決して恵みの神を侮ることのないように用心していきたいと思います。

アハブは残念ですが、愛と恵みの神を侮り、その刈り取りをしてしまうことになってしまうのです。

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