見出し画像

不可能の扉を開く祈り

[ネヘミヤ記 2:1,2,3,4,5,6]

アルタクセルクセス王の第二十年のニサンの月に、王の前にぶどう酒が出されたとき、私はぶどう酒を取り、王に差し上げた。それまで、私は王の前で気持ちが沈んでいたことはなかった。すると、王は私に言った。「病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように沈んだ顔をしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。」私は非常に恐れて、王に言った。「王よ、永遠に生きられますように。私の先祖の墓がある都が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして沈んだ顔をしないでいられるでしょうか。」王は私に言った。「では、何を望んでいるのか。」私は天の神に祈ってから、王に答えた。「もしも王が良しとされ、このしもべにご好意をいただけますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある都へ遣わして、それを再建させてください。」王は私に言った。王妃もそばに座っていた。「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか。」王はこれを良しとして、私を遣わしてくださることになり、私は予定を伝えた。

今日の聖書箇所
ネヘミヤ2:1〜10

今日からネヘミヤ記を通して恵みをいただいていきたいと思います。

ネヘミヤは捕囚から帰った帰還民の住むエルサレムが荒れ果てていることを知り、涙と断食の祈りをもってエルサレム再建を成し遂げさせてくださいと祈ります。

[ネヘミヤ記 1:11]

「ああ、主よ。どうかこのしもべの祈りと、喜んであなたの名を恐れるあなたのしもべたちの祈りに耳を傾けてください。どうか今日、このしもべに幸いを見させ、この人の前で、あわれみを受けさせてくださいますように。」そのとき、私は王の献酌官であった。

またネヘミヤはエルサレム再建の祈りの前に徹底的に自分たちと先祖の罪を告白し、悔い改めます。

[ネヘミヤ記 1:5,6,7]

「ああ、天の神、主よ。大いなる恐るべき神よ。主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みを下さる方よ。どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。私たちはあなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった、命令も掟も定めも守りませんでした。」

そして主の約束の御言葉の実現を祈ります。

[ネヘミヤ記 1:8,9]

どうか、あなたのしもべモーセにお命じになったことばを思い起こしてください。『あなたがたが信頼を裏切るなら、わたしはあなたがたを諸国の民の間に散らす。
あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行うなら、たとえ、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしは彼らをそこから集め、わたしの名を住まわせるためにわたしが選んだ場所に連れて来る。』

真実なる悔い改め、そして約束の御言葉に対する信仰、具体的な願いという順番でネヘミヤは祈るのです。そしてそのような祈りを3、4ヶ月も続け祈りの分量を満たしていくのです。ネヘミヤの祈りはまさに祈りのモデルです。このように祈っていった時に遂に主が不可能の扉を開いてくださるのです。

ネヘミヤはペルシャのアルタクセルクセス王から城壁再建の許可を受け、それに取りかかることができることとなるのです。

ネヘミヤは王の献酌官で王の前で沈んだ顔をすることなど許されない立場でした。しかし数ヶ月にわたる断食の祈りで顔色も良くなかったのでしょう。それを王に聞かれることでエルサレム再建の願いを王に伝えるチャンスが与えられたのです。

献酌官と言う身分では王に自分から話しかけることさえできなかったと思われますが、王から声をかけられたので自分の願いを伝えることができたのです。その時もネヘミヤはすぐに知恵を求めて祈ります。

そしてネヘミヤは大胆に王にエルサレム再建のための勅書と必要な木材の供給まで求め、王はそれを与えてくれるのです。

[ネヘミヤ記 2:7,8,9]

また私は王にこう言った。「もしも王様がよろしければ、ユダに着くまで私が通行できるように、ユーフラテス川西方の総督たちへの手紙をいただけるでしょうか。
そして、宮の城門の梁を置くため、また、あの都の城壁と私が入る家のために木材をもらえるように、王家の園の管理人アサフへの手紙もお願いします。」わが神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくださった。それで私はユーフラテス川西方の総督たちのところに行き、王の手紙を彼らに手渡した。王は、軍の高官たちと騎兵たちを私とともに送り出してくださった。

これはまさに神の恵みの御手による奇跡でした。アルタクセルクセス王は慈悲深い王であったわけではなく、高慢な独裁者であり、エルサレムの再建工事の中止命令を出した張本人だったからです。そのような王の心が変えられたのはまさに神の恵みの御手による奇跡でした。

[エズラ記 4:21]

今あなたがたは命令を下して、その者たちの工事をやめさせ、私から再び命令が下るまで、この町が再建されないようにせよ。

祈りはこのように不可能の扉を開き、奇跡をもたらすのです。しかしただやみくもにとにかくたくさん祈ればいいと言うことではないことがも分かります。

まず謙遜に悔い改め、御言葉の約束の実現を信仰によって求め、そして犠牲を払って主が扉を開いてくださるまで祈りの分量を満たしていくことが必要なのです。

このように私たちも祈っていく時に私たちもまた実現不可能だと思われる主のビジョンを実現していくためのあらゆる扉が開かれていくことでしょう。私たちの祈りはこのようになっているでしょうか?祈りの霊が注がれることを求めていきたいと思います。

いいなと思ったら応援しよう!