自分を愛しなさい?
[ペテロの手紙 第二 2:1,2,3]
しかし、御民の中には偽預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れます。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込むようになります。自分たちを買い取ってくださった主さえも否定し、自分たちの身に速やかな滅びを招くのです。また、多くの者が彼らの放縦に倣い、彼らのせいで真理の道が悪く言われることになります。彼らは貪欲で、うまくこしらえた話であなたがたを食い物にします。彼らに対するさばきは昔から怠りなく行われていて、彼らの滅びが遅くなることはありません。
今日の聖書箇所
IIペテロ2:1〜11
今日もペテロの手紙から恵みをいただいていきたいと思います。
初代教会にも偽教師、偽預言者たちが入り込み、聖徒たちを騙していました。
この当時の教会は激しい迫害の中にあったのです。そんな時に信仰生活はそんな苦しいものではない、神は愛だから何をしても赦してくださる、救ってくださる、だから迫害など受けないように偶像を礼拝したってかまわない、また何も我慢する必要もない、この世の人たちと同じように生きたらいいのだ、神は愛だから全てを赦し、全てを受け入れてくれる・・・
そんなことを言われたら厳しい迫害に耐えていた当時の聖徒たちの中には心揺るがされるものが出て、それらの偽教師、偽預言者たちに従う者たちが起こってきたということも理解できるのではないでしょうか?
イエス様はこう言われています。
[マタイの福音書 7:13,14]
狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。
偽預言者、偽教師たちは人々が受け入れやすく、魅力的な広い門を開いたのです。しかしその広い門は滅びに至る道だったのです😱
偽預言者、偽教師とはどのような者たちなのでしょうか?
第一に彼らは神の裁き、罪に対する刑罰を否定しました。しかし使徒ペテロは神は罪を必ず裁き、罪を正しく処罰される聖なるお方であることを強調します。
[ペテロの手紙 第二 2:4,5,6]
神は、罪を犯した御使いたちを放置せず、地獄に投げ入れ、暗闇の縄目につないで、さばきの日まで閉じ込められました。また、かつての世界を放置せず、不敬虔な者たちの世界に洪水をもたらし、義を宣べ伝えたノアたち八人を保護されました。また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、不敬虔な者たちに起こることの実例とされました。
神が愛であるとは罪に対する裁きをなさらないということではなく、罪に対する裁きは必ずあるので、そこから救われるように願い、導かれるということなのです。
神は愛だからどんな罪があっても赦してくれるのならどうしてイエス・キリストが十字架にかかり、砕かれ、刺し通され、呪われた者となって血を流してまで死ぬ必要があったのでしょうか?神は愛だからこそ、そのような罪に対する裁き、罪に対する処罰を受けてほしくないのでイエス・キリストを私たちの身代わりに十字架の上で死なせてまでして私たちに罪の赦しと罪からの救いの道を開いてくださったのです。
第二に彼らは肉の欲を全面肯定したのですが、使徒ペテロは肉の欲に打ち勝って敬虔に生きることを強調します。
[ペテロの手紙 第二 2:9,10]
主はこのようにされたのですから、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、正しくない者たちを処罰し、さばきの日まで閉じ込めておくことを、心得ておられるのです。
特に、汚れた欲望のまま肉に従って歩み、権威を侮る者たちに対して、主はそうされます。この者たちは厚かましく、わがままで、栄光ある人たちをののしって恐れません。
自己中心的な肉の欲に従う時、私たちの霊は確実に弱りやがて死んでいきます。しかし私たちが内なる霊を大切にして、肉の欲ではなく内なる霊の願いに従って敬虔に生きるなら、内なる霊は生き、内なる霊は強くなっていきます。そして私たちの肉はやがて消えてなくなりますが私たちの霊は永遠なのです。
偽預言者、偽教師たちはそんな窮屈な生き方などしなくていい、自由になりなさい、神は愛だからあなたが何をしてもあなたを捨てたりはしないと耳障りの良い教えで聖徒たちを惑わし、自己中心的なわがままな生活を全面肯定していったのです。
これは十字架を全面的に否定することでした。イエス様はこう言っておられるのです。
[マルコの福音書 8:34,35]
それから、群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。
肉の自分を捨て、肉の自分を日々十字架につけて主に従って生きる者に永遠のいのちがあることを明確にしておられるのです。
第三に彼らは神と人を自分のためにどこまでも利用する者でしたが、使徒ぺテロは神と人を愛することを強調します。
偽預言者、偽教師は聖徒たちを自分の欲のために徹底的に利用して食い物にしたのです。神を信じているように、愛しているように見せかけていましたが、神を徹底的に利用して自分の欲望を満たしていったのです。
それに対して使徒ペテロはこう言っています。
[ペテロの手紙 第一 1:22]
あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、きよい心で互いに熱く愛し合いなさい。
救われた者とは神を愛する者であり、主にある兄弟姉妹を愛する者なのです。愛しているなら決して自分のために利用したりはしないのです。
偽預言者、偽教師は神を信じ愛し、また兄弟姉妹たちを愛しているように見せかけているのですが、本当は自分のために徹底的に利用して自分の栄光を求めているのです。
自分を愛し、自分の栄光をどこまでも求める者とは誰でしょうか?それが神になろとしたサタンでした。私たちは自分を愛しなさい、自分を主張し、自分の願いを実現し、自分に栄光を返しなさいという偽預言者、偽教師の巧妙な惑わしに騙されないように目を覚まし祈っていきたいと思います。
そして狭い門から入り、神を愛し、神にのみ栄光を返す、いのちの道を歩んでいきたいと思います。