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神に用いられる人

[ネヘミヤ記 3:1]

こうして大祭司エルヤシブは、その仲間の祭司たちと、羊の門の再建に取りかかった。彼らはそれを聖別して、扉を取り付けた。そしてメアのやぐらのところまで聖別し、ハナンエルのやぐらにまで及んだ。

今日の聖書箇所
ネヘミヤ3:1〜14

今日もネヘミヤ記から恵みをいただいていきたいと思います。

ネヘミヤの呼びかけの応じて帰還したユダヤ人たちは城壁再建のために立ち上がります。

ネヘミヤ記3章には80人近い代表者の方の名前が記されています。それらの方々の職業は多種多様で祭司という霊的なリーダー、町の指導者という社会的なリーダーもいれば金細工人や香料作りなどの職業の人もまた女性たちもいました。

それらの多種多様な人たちが一致協力して城壁再建工事を始めたのです。ネヘミヤの切なる祈りが原動力となってこのような歴史的な一大プロジェクトが動き始めることとなったのです。

それではこの城壁再建というプロジェクトが順調に進んでいくために必要なことは何だったのでしょうか?

第一にリーダーが率先して模範を示すことです。

大祭司エルヤシブは霊的な指導者でしたが他の祭司たちと自ら率先して工事にとり組みました。また社会的なリーダーたちも率先して工事に取り組みます。

[ネヘミヤ記 3:9]

その傍らでは、エルサレム地区の半区の長、フルの子レファヤが修復を行った。

[ネヘミヤ記 3:12]

その傍らでは、エルサレム地区の残りの半区の長、ハ・ロヘシュの子シャルムが、自分の娘たちと一緒に修復を行った。

霊的、社会的なリーダーたちが自ら大変な工事に加わることで人々も次々とこの工事に加わっていったのでしょう。リーダーがどのような姿を見せるのか、それは人々に大きな影響を与えることになるのです。

第二に忠実で仕える心を持つことです。そうでない人々は神の国の働きに用いられることはありません。

[ネヘミヤ記 3:5]

その傍らではテコア人たちが修復を行ったが、彼らの貴族たちはその上役に頭を下げることはなく、工事に協力しなかった。

工事はそれぞれが任された部分を行なっていったのですがある部分は工事がしやすく、ある部分は工事が難しかったりと不公平だと感じることもあったり、文句を言いたいこともあっただろうと思います。

しかしここに出てくるほとんどの人たちは文句も言わずに自分に割り当てられた部分の工事を忠実に行なっていったのです。それはこの働きがただの人間の働きではなく神の働きであり、人間に仕えることではなく神に仕えることであることを知っていたからでしょう。

ところがテコアの人たちの中では忠実に協力した人たちがいる一方で貴族、有力者たちが協力しなかったのです。なぜ協力しなかったかは分からないのですが、とにかく何か文句があり協力しなかったのです。

それを通してその人たちが不忠実で高慢な者たちであり、肉的な人たちであったことが予想されます。自分中心で肉的な人は神の働きに用いられることができないのです。

そしてネヘミヤは忠実に仕えた人々と共に不忠実で主と神の民に仕えようとしなかった人たちのこともしっかりと記しているのです。これはネヘミヤが記したというより神の記録の書にしっかりと記録されているということです。

自分に死んで忠実に仕えた人たちと自分の肉に従い仕えなかった人たちも両方共に神はしっかりと記録しておられ、やがて裁きの日にそれぞれにふさわしい報いが与えられるからです。

主イエスはこのように言われています。

[マタイの福音書 10:42]

まことに、あなたがたに言います。わたしの弟子だからということで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません。

また一タラントを委ねられ、何もしなかった不忠実で怠け者のしもべに主人はこう言われています。

[マタイの福音書 25:26,27,28,29,30]

しかし、主人は彼に答えた。『悪い、怠け者のしもべだ。私が蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集めると分かっていたというのか。
それなら、おまえは私の金を銀行に預けておくべきだった。そうすれば、私が帰って来たとき、私の物を利息とともに返してもらえたのに。だから、そのタラントを彼から取り上げて、十タラント持っている者に与えよ。だれでも持っている者は与えられてもっと豊かになり、持っていない者は持っている物までも取り上げられるのだ。この役に立たないしもべは外の暗闇に追い出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』

テコアの貴族たちは肉に従ったゆえに主に仕え、主のために利益を出すチャンスをみすみす逃してしまったのです。聖書にこのように記されている彼らは後の日に、永遠の世界でそれをどれほど後悔することになるかを全く分からなかったのです。

私たちも主に仕え、主に忠誠して主のために利益を出すチャンスを逃すことのないようにしたいものです。誰が見ていなくても主は見ておられ、それは天の書物に書き記されることになり、やがて必ず報いを受け取ることになるからです。

何もしないで自分の肉のためだけに生きた者たちは主の御前にどんな言い訳も通用せず、どんなに後悔してももう遅いことを知ることになってしまうからです。

今日というチャンスを最大限に生かして主に忠誠して主のための利益を出す者となっていきたいと思います。

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