元に戻ってしまわないために
[列王記 第二 11:17,18]
エホヤダは、主と、王および民との間で、彼らが主の民となるという契約を結ばせ、王と民との間でも契約を結ばせた。民衆はみなバアルの神殿に行って、それを打ち壊した。彼らはその祭壇と像を徹底的に打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した。祭司エホヤダは主の宮に管理人を置いた。
今日の聖書箇所
II列王11:13〜21
今日も列王記から恵みをいただいていきたいと思います。
イゼベルの娘アタルヤが南ユダを乗っ取り、バアル崇拝で国を完全に破壊してしまったのです。南ユダはダビデ王朝も絶えてしまい、どこにも希望がない暗黒時代を迎えることとなりました。
しかし祭司エホヤダは主なる神の約束を信じて回復の時を待ち望み準備を進めました。そして遂に神の時が満ちてエホヤダは幼いヨアシュを王位につけ、ダビデ王朝を回復させ、悪女アタルヤを取り除くことに成功します。
[列王記 第二 11:14,15,16]
彼女が見ると、なんと、王が定めのとおりに柱のそばに立っていた。王の傍らに隊長たちやラッパ奏者たちがいて、民衆がみな喜んでラッパを吹き鳴らしていた。アタルヤは自分の衣を引き裂き、「謀反だ、謀反だ」と叫んだ。祭司エホヤダは、部隊を委ねられた百人隊の長たちに命じた。「この女を列の間から連れ出せ。この女に従って来る者は剣で殺せ。」祭司が「この女は主の宮で殺されてはならない」と言ったからである。彼らは彼女を取り押さえた。彼女が馬の出入り口を通って王宮に着くと、彼女はそこで殺された。
南ユダはアタルヤによって徹底的に破壊されていたので実際的になすべきことは山のようにあったのです。しかしエホヤダがまず最優先で取り組んだのは主なる神との契約を更新することでした。
王も民も主の民となって主に仕え主との関係を何よりも大切にすることを誓わせたのです。アタルヤによる混乱と破壊は主との関係をなおざりにして、いい加減にしてきたことから始まったからです。
霊的信仰的な緩みと堕落が実際的な問題と苦難の根にあったのです。そもそも南ユダはヨシャファテ王の宗教改革によって主の祝福を受け、大いに繁栄していたのです。
ところがそのヨシャファテ王が北イスラエルのアハブと連合し、アハブとイゼベルの娘アタルヤを息子の嫁にしたところから全てが崩れ始めてしまったのです。偶像崇拝者と交わり。現実的な必要のために霊的信仰的に妥協してしまったゆえにそこから偶像崇拝が南ユダに入り込み、それがどんどんと拡大し、最後にはアタルヤによって国が乗っ取られるところまで行ってしまったのです。
そのような偶像崇拝は南ユダをあらゆる面で衰退させ、滅亡寸前まで追い込んだのです。そうなって原因はこれくらい大丈夫だろうと主なる神との関係より肉に必要を優先させ、目に見える利益を追い求めたためでした。
祭司エホヤダはそのような霊的な問題、背景をよく理解していたのでまず主の民として主なる神との関係を最優先にすることを誓わせ、そこから全ての回復を図っていくのです。
私たちも現実の問題ばかりに目を向けてそれを何とかしようと動き回ってもそれが解決しないことが多くあることを体験するのではないでしょうか?目に見える問題の根は目に見えないところにあり、あらゆる問題は神との関係が崩れてしまっているところから生じていることを悟らなければならないのです。
それゆえ最優先にするべきことは神との関係を建て直すことであり、回復することなのです。
エホヤダは次にバアルの神殿を破壊し、バアルの祭司マタンを殺します。主なる神との関係を妨げ、破壊するものを一気に取り除いたのです。このように一気に事を進めなければ再びバアル礼拝が復活してくることを恐れたのでしょう。
私たちもまたチャンスの時に神との関係を妨げているもの、それぞれの偶像を取り除かなければなりません。そうしないと私たちはまたその誘惑に引きずり込まれてしまうことになるからです。
私たちの人生にも、また信仰生活にも神の時というものがあります。私たちが祈っているとそれまでどうすることもできなかったことが動く時があるのです。そのチャンスを生かして用いなければならないのです。
そのチャンスの時に立ち上がり勇気を出して一気に事を進めなければ全てはまた元通りになってしまうからです。それができるためには前もってどれだけ祈っていたかが大切になります。祈っていないならばチャンスも分からず、チャンスだと分かっても疑い、迷い、何もできないまま終わってしまうからです。
人はすぐに元に戻ってしまう存在なのです。それゆえに私たちもまた主なる神との関係を絶えず点検し、それを妨げるものを勇気を出して取り除いていく信仰の戦いを毎日なし続けていくことが必要なのです。
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