何を祈るべきか
[エペソ人への手紙 3:16,17,18,19,20,21]
どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に、教会において、またキリスト・イエスにあって、栄光が、世々限りなく、とこしえまでもありますように。アーメン。
今日の聖書箇所
エペソ3:14〜21
今日もエペソ書から恵みをいただいていきたいと思います。
エペソ書はパウロが獄中にいる時に書かれた手紙ですが、獄中でパウロが主と深く交わり、霊的な恵みに溢れるほど満たされていたことがよく分かります。パウロは自分が獄中にありながら、エペソの聖徒たちの霊的な祝福を祈っているのです。
パウロは獄中にありながら霊的な豊かさに溢れていたので、自分のことではなくエペソの聖徒たちのことをとりなし祈ることができたのです。その祈りの内容は生活の必要についてのものではなく、健康や安全を祈るものでさえありませんでした。
その祈りの内容はエペソの聖徒たちの霊的な必要が満たされ、エペソの聖徒たちが霊的に成長することを願うものでした。霊的な必要とはどのようなものでしょうか?
第一に内なる人、内なる霊が強められキリストと一致することです。
私たちが罪を悔い改めイエス・キリストを信じる時に私たちの死んでいた霊は生き返り、キリストの霊である聖霊様が与えられます。新生とか回心と言われる恵みです。
しかしその内なる霊は今はまだ罪の影響下にある外なる人、肉を着ています。それゆえ外なる人と内なる人との対立、葛藤が生じるのです。外なる人は消えてなくなる肉の欲を満たすことしか求めません。目の欲、肉の欲、暮らし向きの自慢のことしか考えないのです。しかし生き返った内なる人は神との交わりを求め、神の言葉で養われることを求め、神の御心を行うことを求め、永遠に失われない祝福を求めるのです。
それが私たちが日々直面する最大の霊的な戦いなのです。私たちの内なる人が聖霊によって強くならないと私たちは確実に外なる人の肉の欲に従うことになります。そうなると内なる人は弱くなる一方となり霊的な戦いに何一つ勝利できなくなります。
クリスチャンとは言ってもいつも同じところで躓き、同じところをぐるぐると周り続ける霊的停滞、霊的沈滞の状態に陥ってしまうのです。まず内なる人、内なる霊が聖霊様によって生き返り、強められなければならないのです。
第二に神の愛、キリストの愛を知り、悟ることです。
内なる人が生きていないと神の愛、キリストの愛と言われてもさっぱり理解できません。神が自分を愛しているならなぜ自分にこんな問題があるのか?神が愛なら自分が欲しいものを与えてくれと言ったことしか考えることができないのです。
しかし内なる人が生き返っていくとイエス・キリストの十字架を思うだけで涙が溢れるようになり、小さな花の美しさに神の愛を感じるようになり、夕焼けの美しさを見るだけで神の愛で心が満たされていくようになるのです。
それが日々神の愛の広さ、長さ、高さ、深さを知っていくと言うことであり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知っていくことなのです。霊的な感受性が鋭くなってあらゆることを通して神の愛を感じることができるようになっていくのです。そのようになるならどれほど幸せな人となることでしょう。
第三に神に栄光を捧げる人生へと変えられていくことです。
そのように神の愛、キリストの愛を知って、その愛に満たされていくなら、自分のために生きるという自己中心性、自分の栄光を求めると言う自己栄光化という暗闇から解放され、神の栄光のために生きると言う生き方を慕い求めるようになっていきます。
神に栄光を捧げたい、神が喜ばれることをしたい、そのような願いこそ霊的な成長の印であり、そのように生きることこそ神が創造された本来の自分の姿に回復されたと言うことなのです。
使徒パウロはまさにそのように生きていたのであり、エペソの聖徒たちが霊的に成長して自分に倣う者となって神に栄光を捧げてほしいと願ったのです。
私たちの祈りの内容、それが私たちの霊的な成熟度を示しているのです。霊的に成長していくためにとても有益な方法が聖書の祈りを祈ることです。このパウロの祈りを自分の祈りとしていきたいものです。
今日の祈り
主よ、目に見える生活の必要に心奪われる者を憐れんでください。霊的な必要に気づき、霊的な成長を追い求めることができるよう内なる人を日々生かし強めてください。
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