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「フロー体験 喜びの現象学」第四章の要約。「誰かを幸せにすることが、自分を幸せにすることなんだ」
第四章 フローの条件
この章は最適経験を生むと考えられる特定の活動と、フローの達成を容易にする人格特性について考察する。
フロー活動
意識は拡張できない。我々にできることは、その内容を攪拌することによって、ともかく精神を拡張したという印象をもつことだけである。
自己をより複雑なものにすることによって自己を変形する。この自己の成長がフロー活動の基本にある。
能力に適合するより困難な目標を自分に課すことによってフロー状態に戻る。
さむおの見解
自分の能力の少し上のレベルに挑戦することによって、フローを体験することができる。
簡単にできる作業や毎日のルーティンの中からは、フローは生まれないということ。
だから、余暇時間より仕事中の方がより多くの時間フローを体験できる。
フローと文化
文化は鳥にとっての羽毛、哺乳動物にとっての毛皮のように、人間の適応的な反応の結果なのである。
アテネのポリス、ローマの法律、儒教に基礎をおく中国の官僚主義、そしてすべてを包括するインドの精神的秩序は、文化がいかにフローを高めることができるかについての永遠の成功例である。
曖昧な結論ではあるが、すべての大規模調査は、より豊かで、より教育水準が高く、より安定した政府をもつ国の市民が、生活に対してより高い水準の幸福感と満足とを報告することを示している。
平均的なアメリカ人は豊富な時間をもち、レジャー活動に十分参加しているにもかかわらず、結果的にはフローを体験することが少ない。
可能性は現実ではなく、量は質に転換しない。
たとえば、今日のアメリカで最も多く行われている単独で行うレジャー活動であるテレビ視聴が、フロー状態を引き出すことはきわめてまれである。事実、人は働いている時には、テレビを見ている時の約四倍のフロー体験ー「深い集中力、挑戦と能力との間の高度な調和、統制感と満足感」ーを達成している。
さむおの見解
アメリカ人て、怠惰な人が多いんですね。。。
今の時代は、テレビではなく、スマホやiPadですね。
眺めたりスクロールしたりしている時間が増えているが、当然その時間はフローを引き起こすことはありません。
自己目的的パーソナリティ
人はすべて意識の統制に関して同等の可能性をもっているのか、もしそうではないとすれば意識を容易に統制できる人とできない人の間にはどのような差異があるのかについて考察する。
フローを体験する上での障害は
①遺伝的障害
②自意識の過剰
②について
たえず他者が自分をどのように感じているかを気に病む人も、楽しさから永遠に見離されるよう運命づけられている。
自意識の強い人は多くの点で自己中心的な人とは異なるが、いずれもフロー体験に容易に入り込めるほど心理的エネルギーが統制されていない。
活動、それ自体に関連づけるのに必要な注意の柔軟性が欠落している。
注意の混乱や刺激への過剰関与は、心理的エネルギーがあまりにも流動的で不安定であるためにフローを妨害するが、過剰な自意識と自己中心主義は逆の理由、つまり注意が硬直し固定しているためにフローを妨げるのである。
さむおの見解
過剰な自意識と自己中心主義とは、言い換えれば「頑固者」ということでしょう。
頑固者は、フローを体験しづらい、ということかな?
柔軟性のある人、変化に対応できる人の方がフローに入りやすい、ともいえるのでないだろうか。
そういう視点で人を観察するのも面白いかもしれない。。。
神経生理学とフロー
遺伝的に意識の統制に優れた人がいるということはあり得ることである。
このような人は注意散漫に悩むことは少なく、より容易にフローを体験できるだろう。
意識の中のことがらを表象するのにわずかの外的手掛かりしか必要としない人は、環境に対してより自律的である。彼らは経験をより容易に再構成する柔軟な注意力をもち、したがって最適経験を達成することが多い。
さまざまな状況下で楽しむことができる者は、刺激を選別し、自分が当面関りをもつと決めたことだけに焦点を合わせる能力をもっている。
普通、注意を払うということは、通常の基本的努力を越えた情報処理上の負担を負うのであるが、意識を統制することを身につけた人々は、意識の集中にあまり努力を必要としない。
彼らは関りのないすべての精神的過程を閉め出すことができるからである。
さむおの見解
「柔軟」と「意識の統制」がキーワードですね。
つまり「自分をコントロールする」ということ。
自分の感情をコントロールする。
自己目的的パーソナリティに及ぼす家庭の影響
子供が成長後にどのような人間になるかに、両親と子供との相互作用が永続的な影響を与えることを示唆する研究は多い。
最適経験を促進する過程状況の5つの特徴
①明快さ
②中心化
③選択の幅
④信頼
⑤挑戦
秩序が整っていない家庭では、膨大なエネルギーが、他者との不断の交渉と闘争、それに他者が押し付ける目標に圧倒されることから脆弱な自己を守ろうとする努力に消費される。
自己目的的状況を備えた家庭をもつ者とそうでない者との相違は、子供が家庭にいる時に最大になることは当然である。ここで、自己目的的状況にある子供たちは、他の不運な子供たちよりはるかに幸福であり、強く、陽気で満ち足りている。
虐待された子供は成人した後、複雑な楽しさを求める代わりに、生活からできるだけ多くの快楽を得ることに満足するようになるだろう。
さむおの見解
家庭環境は人格を形成する上で本当に大事だと思います。
親の責任は重大です。
フローする人々
困難な状況におかれた人々の話を研究してきたリチャード・ローガンは、彼らは荒涼とした客観的条件を主観的に統制可能な経験に変換する方法を見つけることで生き延びたと結論している。
心の中で組み合わせと連想という一連の素晴らしいフローを始める。
(拘禁中の毎日)
想像の中で注意深くクラブとアプローチを選び、計画的にコースを変え、十八ホールのプレイをしていたと答えた。この訓練は彼の正気を保っただけではなく、明らかに彼の身体能力を磨き上げるのに役立ったのである。
イメージトレーニングだけで上達する。
リチャード・ローガンは、生存者にみられる最も重要な特徴は「自意識のない個人主義」、つまり利己的ではない目的への強い志向性であると結論している。
この資質を備えた人々は、あらゆる環境の中で最善を尽くす傾向があるが、基本的には自分自身の利益の追求に関心をもっていない。
自己の内部に自己目的的なパーソナリティを確立する方法について
「私は徐々に自分自身や自分の欠点に無関心になった。私はしだいに注意を世界の状態、さまざまな分野の知識、愛情を感じる人々など、外部の対象におくようになった」byバートランド・ラッセル(哲学者)
このようなパーソナリティは、部分的には生物学的遺伝や人生初期のしつけの賜物である。何人かの人々は、注意の焦点がより明瞭で柔軟な神経生理学的資質をもって生まれてくるか、利己的でない個性を発達させる両親に恵まれる。しかし、これは育てることができ、練習や訓練によって完全なものにすることのできる能力である。
矛盾しているようだけど、他者がいて初めてフロー体験が生まれる。
小説も、読む人がいるから書く。
物を作る人も、使う人がいるから作る。
そこに他者がいなければ感情も生まれない。
誰かを幸せにすることが自分を幸せにするということ。
第四章まで読み終わってそんな風に感じた。
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