受け身になるな
いつも流れに身を任せて生きていた。
友達に話しかけるのも最近でこそできるけど
中学のころはずっと聞き役で
その反動でか
聞くほうが楽だ。主体的ではない。
母親はすごく感情表現が豊かで
言われたとおりにしているほうが
楽だった。
ぶっちゃけ責任転嫁だし、
環境のせいにするのは違う。
私が選択していたのだ、受け身でいるのを。
歳を重ねるほど、経験も知識も増えて
思考の質も高まる。
来年になって
何もしなかったなあ~と思ったとしても
思ってるだけで今より何かしら知識、経験は増えているのだ。
考える葦、人間だもの。
自分のことを考える時間が増えて
やれ自己分析だ、企業分析だ
なんていうものをする。
自分と向き合うようになって思うのが
わたし、なにをしてきたのかな
なにか誇れるものがあるのか
ということ。
自己分析が大事だよ
自分と向き合おうねって
そういう風潮になっているけど
それが大事なのも知っているけど
なんにもないなあとおもう。
挫折した経験は腐るほどある。
高校受験、大学受験
頑張り切れなくて、折り合いをつけて入学した。
でも高校はすごく楽しかった、後悔はないって胸を張れる。
でも今はわからない。
入学したことの後悔は多分ないけど、
周りの環境に流れている自分に、不満で仕方ない。
このままだと後悔するなあといつも思っている。
↑ここまでが12月上旬に書いていたもの。
いまは全然違う気持ちに動いているから投稿をしぶったけど、変化の記録ということで載せた。
これからはいま、考えていること、これからのことについて。
今月、たくさんのことをやめた、やめる決断をした。
インターン、部長、バイト、授業を休んだりもした。
チャンスは逃すな!挑戦をしろ!っていうのをすごくいつも意識していたけど、やめてもいいんだっていうことがみにしみてわかった。
私は自分の気持ちを伝えられてなかったんだなー、自分で全部おさめようとしてたんだなーということもわかっていて、言うのがこわかった。けど言わなきゃ伝わらないよなっていうことを口に出せて体感した。
本当に自分でもよくわからないけど、
これをわかったおかげで
自分のありのままを受け入れるっていうことが
できるようになった気がする。
文章にすると、すごい大きい成し遂げって感じがしちゃってるんだけど、気持ち的にはすごく楽で簡単なことだった。
自分でこれはだめって制限してただけ。
どうして今までできていなかったんだろうなあって思っちゃうくらい。
それだけ私は自分をだめだーって思うことに真剣だった。なんか変な言い方だけど、一度思うとずっとそう考えちゃうふしがある、たまにね。
全然だめじゃないし、
そう思っていた事実があるからわかることがある。
今までこのnoteを書くことを、
自分の行動を変えるため
自分を励ますため
に使っていた。「自分のために書く」
最近書かなくても平気だったのは
心が安定してたおかげ。
けどいま、
自分を受け入れられているけど
ちょっとした悲しい経験とかストレスが
最近はなかったおかげかもだし、
来月、来年になって環境が変わったときに
余裕がない自分になって
いまと同じようには受け入れられてないかもしれない。私はいつも波があるし。
これからどうなるか、わからないけど
余裕がなくなったら休む時間をとったりして上手に自分と過ごしていこうね。私と関わってくれた人たちに感謝して、くよくよせず、考えすぎずに。
来週、ラスト出勤なのだけどシフト表に店長からメッセージ添えられてたのに今さっき気づいて泣きそうになった。恵まれたなあ。ここでの経験を忘れずに、前向いて行く!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?