つぶやき物語【光明1~光明55】のまとめ(冒頭に中書き⑨追記)
【光明56】~は、1/6(月)スタート(o^-^)b ※物語の最初からお読み5の方は【中書き⑨】を、初めてお読みの方は【前書き】から、ご一読頂けると大変嬉しいです。
【中書き⑨】
初めて訪れる大学病院では初診受付を見つけるのも大変だったが、何とか眼科窓口へ辿り着くと次々に検査が行われ、最後は15分毎に2回点眼されるのだが、瞳孔は満足に開かない。
それでも名前が呼ばれ、診察室に入ると中は暗闇で、看護師に誘導されて丸椅子に腰掛けると、待ち構えていた医師が強い光を私の目に当て、隈なく調べる眼底の状態。
やがて医師は穏やかな声で、「右目は損傷が激しく、手術をしても必ず成功するとは限りません」と説明をし始め、「ただ放置すれば3ヶ月程で失明します」と、も無げに言い放つ。
その上で「どうされますか?」と尋ねられた私が「手術を受けます」と即答すると、翌月の入院と手術が確定した為、右目の運命は次の展開へと進んで行った。
【光明56】へ続く。
~・~・~
【前書き】
この時に生まれた息子が、もう27歳になるのですから、かなり昔の話。
しかしその時の場面一つ一つが、まるで映画の1シーンの様に、鮮やかな形で脳裏に刻み込まれています。
そこで、その記憶を手繰り寄せながら、つぶやき140文字への嵌め込みを試みました。
この後から始まる暗闘の日々の先にどんな未来が訪れるのかを、綴って行きたいと考えています。
光明1【身重の妻と危険な夜間走行】
深夜に妻が産気付いたので、義母が駆け付け、その後2人を乗せた車を私は病院へと走らせた。
途中、歩道で人が倒れていた様だが、只の酔っ払いなのか私には判別が付かなかった。
なぜならその時、私の左目は殆ど見えず、右目もかなり危うい状態だったのだから。
光明2【人生最後の運転】
「安全運転で行くね」、そう言ったのは方便で、夜目が全く利かない状態の為、速度を上げる事は自殺行為。
病院の玄関で2人を降ろすと、私は油汗を拭って大きな溜め息を付く。
夕方、私は出産後の妻を病院に残し帰宅するが、その日を境に二度と車を運転する事は無かった。
光明3【ボール直撃が開演の合図】
子供が生まれる1年前、週末にテニススクールへ行った時の事。
レッスンでコーチの打ったボールが私の顔付近に飛んで来て、運悪く逆光の為に行方を見失い、左目を直撃。
その後、眼科に通うのだが、事態は想像以上に複雑で深刻な状況への幕開けとなって行った。
光明4【揺らぐ心に懐妊の報せ】
事故後に数回、町の眼科に通うと、詳しい検査が必要だからと紹介状を渡された。
しかし私には思い当たるフシが有り、嫌な予感に苛まれ、大病院での受診を躊躇する。
さて妻にどう話をしたものかと悩んでいると、それからほどなくして妻から懐妊した事を告げられた。
光明5【異常を知らされぬ妻】
妻が身籠った事を知ったのは、転職して半年経過した頃で、まだ仕事は忙しくは無かった。
だがこの辺りから業務が急増し、帰宅時間が次第に遅くなり、悪阻の酷い妻と話す機会が無くなる始末。
結果的に、目の異常は妻へも職場へも伝えないまま、仕事に没入して行った。
光明6【後戻り出来ずの疾走】
左目は見えないものの右目は問題無かった為、朝は一番乗りで出勤し、深夜に退社する生活が始まる。
残業は百時間に及ぶも、思えば仕事が楽しくて仕方無い『ワーカホリック』状態だったのだろう。
その反動で妻の体調を気遣う事を放棄し、失明への道を突き進んで行く。
光明7【異変からの現実逃避】
平日は始業前に出社し、他の社員が出勤する頃に法務局へ向かい不動産の調査。
続いて単車を飛ばして新築の家へ到着すると測量し、数件こなして夕方に帰社後、申請書作成。
帰宅は深夜になる為、平日は妻と顔を合わせない状況だが、意識的に避けていたのかもしれない。
光明8【我に酔い痴れる鬼畜の所業】
では週末はどうしていたかと言うと、土曜日は休日出勤し、生まれて来る子供の為と、残業手当を荒稼ぎ。
また日曜日は昼前まで熟睡し、午後からは既に申し込んでいた資格学校へ通う。
父親になる重責を耐え忍ぶ自分に酔い痴れ、良き夫の姿を置き去りにしていた。
光明9【摂食環境は悪化の一途】
当時、朝出ると夕方まで事務所へ一切戻らず、単車で移動しながらの食事は不健康極まり無い。
夜の分は帰りに入手し、夕食も間食も区別無
く、仕事をしながら食べ続ける。
その悪循環は内科的な疾患ばかりか、視力悪化に多大なる影響を及ぼす結果へと導かれて行った。
光明10【息子誕生前日の情景】
出産予定日から10日過ぎた頃、仕事の忙しさは一段落し、久々に妻との時間を過ごす。
陣痛を促す為にと近くの河原へ散歩に行くが、お腹が大きな妻の歩みにも遅れる程、惨憺たる私の体調。
這う這うの体で散歩から戻った私は早めに就寝したが、夜中に妻が産気付く。
光明11【近いが故の珍事】
退院の際は義父が車で迎えに来て、妻は息子と共にそのまま里帰りとなるが、初孫との同居に義父母は大盛り上がり。
妻の実家は自宅から歩いて数分の至近距離に有り、新婚の頃は驚く事が度々起きたりした。
例えば私が仕事から帰宅すると、義父が我が家で入浴していたり。
光明12【右目よお前もか】
仕事帰りに妻の実家へ寄り、妻と子の顔を見てから帰宅の一週間が続いた日の夜半、TVを見ていた時だった。
急に画面が橙色に染まり、眼前に水泡が現れた瞬間、目の中が出血した事を悟る。
「遂にこの日が来たか」と、私はは観念して目を閉じ、避けられぬ現実に慄いた。
光明13【想像を凌駕する惨状】
翌日は有休を取り、以前に町医者から紹介されtた総合病院の眼科へ向かう。
人生初の瞳孔を開く点眼薬の投与から、眼底検査等の精密検査が進められた。
そして結果を見た医師からは、「何故こんな状態になるまで放置していたんですか!」と、厳しいお叱りを受ける。
光明14【根本的な治療は先ず内科】
医師から言い渡された病名は『糖尿病性網膜症』で、代表的な合併症の一つとの説明。
ボールの直撃は病状の悪化を速めたと思われるが、本質的な原因では無いとの事実を突き付けられる。
目の方は応急処置のみが施され、すぐさま内科へと送致される経過を辿った。
光明15【不吉な予感的中】
内科では血液検査の結果が、血糖値の正常範囲上限を、遥かに越える数値を叩き出した為、即入院を言い渡される。
先ず6週間の検査入院をして血糖値をかなり下げないと、目の手術する事が出来ないとの通告。
『思い当たるフシ』が現実となる運命を眼前に突き付けられた。
【中書き①】
息子が生まれて1週間が経過した頃、残された微かな視力の右目も遂に、左目の状況に急接近します。
流石に私も観念し、精密検査を受ける為に眼科へ赴き、医師に叱責を受けますが、放置していたのは現実を受け止める勇気が無かったからでした。
この頃の自分を省みれば、結婚をしていながら無責任で、親となったのにまるで駄々っ子の様。
子育てに奮闘する妻へはその生活の裏側で、この後から始まる新たな苦悩がのし掛かるのでした。
光明16【崩れ始める砂上の楼閣】
妻の実家へ向かい診察結果を伝えると、目の事は勿論だが、妻がより恐れたのはの内科の方。
実父が糖尿廟、祖母はその合併症から両足共に膝から下を切断した。
遺伝すると幼少から聞かされていたので、我が子へ忍び寄る黒い影に、妻の希望は奈落の底へ沈んで行く。
光明17【絡み付く魔物の触手】
妻に頼める筈も無い私は、一人寂しく鞄に衣類や線面具を詰め込んだ。
内科へ入院すると検査と並行して、糖尿廟についての基礎知識を叩き込まれる日々が始まる。
ここで初めて、この病を起因とする種々の合併症が持つ深刻さに触れ、虚け者の背筋にさえ戦慄が走った。
光明18【勘違いせし罠への誘導】
食事に加え指導されたのは運動療法で、お昼が済むと病院から少し離れた河原を只管歩いた。
以前の不摂生と真逆の生活に、血糖値は急降下、体重も激減し、目の調子さえ小康状態。
更に内科医からはお褒めの言葉までも頂き、気を良くした私は自身の苦境を見失った。
光明19【現状誤認に拍車】
夕食後の検査を済ませると、病院横の銭湯へ行き、その中のサウナ室へ籠るのが日課となる。
患者として優等生だった私は、消灯点呼の時間間際に滑り込んでも、多少のお目溢しが有ったかもしれない。
この優雅な暮らし振りが緊張感を削ぎ落とし、傍迷惑な事件が勃発する。
光明20【燥ぎ過ぎた祭りの後】
その日は同僚の女性4名が見舞いに来てくれるとの朗報に、私は朝から浮かれていた。
午後からの外出許可を取り、駅前のカラオケボックスで時を忘れて盛り上がり、病室へ戻るのが門限を少し過ぎる。
看護師は大騒ぎ、妻へも消息確認が入り、私は窮地へ追い込まれた。
【中書き②】
診察結果に愕然とした妻は、幼少の頃から父親がインシュリン注射の針をお腹に射す光景を、恐い思いで見ていたらしい。
それなのに、祖母に父、そして夫である私までもが同じ病に蝕まれていたとなると、生まれたばかりの息子で4代続く危険性を孕む。
しかしそんな妻の怯えも何処吹く風で、内科的には劇的な改善が、眼科的にも小康状態に収まった奇跡も相まって、私自身は全くの能天気。
その結果、失明の危機に瀕している筈の重病人は、その立場に有るまじき事件を引き起こす暴挙に出てしまうのです。
光明21【お臍隠して尻は何処】
着信が有った妻へ連絡すると、「心配していたのよ」とご立腹だが、当然の如く実情を伝える訳には行かない。
隣の銭湯へ行って帰りが遅れただけと、この場を繕って一応は難を逃れた。
里帰り中だから、妻はそれ以上詰め寄って来なかったが、悪事はバレていたと思う。
光明22【不気味な誘い】
騒動はボヤ程度で済んだが、これ以上問題を起こせないので外出は控えた。
そんな折、病院を抜け出して飲酒する暴挙に出た患者が、私と同室になるとの噂が流れる。
翌日、件の彼が丸坊主にマスク姿で「喫茶店に行くけど、一緒にどう?」と、何故か私が招待を受ける羽目に。
光明23【矛盾する主張】
血液の癌であると語る彼は、薬の副作用で髪の毛が抜け落ちたらしい。
また白血球が激減する症状から、風邪に感染するとすぐ肺炎になる為、夏なのにマスク着用が必要と説明。
見舞客が部屋に来るのが許せんと彼は言うが、喫茶店の方がよっぽど危険だろうと私は首を傾げた。
光明24【結び付く奇縁】
気に入られたのか、朝食後に病院隣の店で珈琲をご馳走になるのが日課となった。
彼は企業を経営していて、「困った事が有れば連絡して」と、私へ名刺を渡す。
社交辞令に過ぎないと思っていたが、そこに記載された住所へ赴く機会が巡って来ると、当時は想像もしなかった。
光明25【翻弄されし命運】
内科での経過は順調で、血糖値は安定し体重も大幅減となり、見た目には健康体。
ただ一方、並行して行われた眼科の検査結果は芳しく無く、左目は絶望的だった。
なのに、酷い方から先に手術と、助かる可能性から手当てしない方針が採用され、その理由は後に明かされる
【中書き③】
周りを騒がせた事件も何とか誤魔化す事に成功したものの、これ以上は問題を起こす訳に行かない私は、改めて優等生の仮面を付け直した。
ところでその頃に、かなり調子の良い事ばかり言う若き起業家と出会うのですが、暗闘の経緯でお世話になる時期が訪れるのですから、人の縁とは不思議なもの。
この時は銭湯やカラオケに行っていたくらいだから、右目は落ち着いていたので、こっちだけは簡単に助かるかもしれないと勘違いしていた様でした。
結果的に辛うじて見えていただけの右目は後回しにされるのですが、この物語を纏める様になって初めてその理由に気付くのですから、思慮浅い当時の自分に我ながら呆れます。
光明26【放置し報い】
眼科主治医に呼ばれ、手術に向けた説明が深刻な面持ちで始まる。
「あなたの場合、増殖網膜症と言い……剥離を起こしています」と、聞くに絶えない恐ろしい現状を通告。
そして今回は全身麻酔を使うと言われたが、その方法が引き起こす術後の苦しみを、天罰として甘受した。
光明27【一握の幸】
一旦は帰宅し、改めて入院と決まり、例の起業家と別れを告げる。
荷物を置くのもそこそこに、近所に有る妻の実家へ向かい、生後数ヶ月の息子と再会した。
父親が直面する過酷な窮状について、何も知らない赤ん坊の屈託無い笑顔を、右目だけでも拝めた私は果報者だったと思う。
光明28【恩を仇での所業】
妻の両親は私を責める言葉を発する事は一切せず、逆に実の子の様に気遣ってくれた。
『初孫の父である娘婿』だからだけでは無い、夫婦共に心優しい対応。
しかしこの20年後、その彼らの思いを踏みにじる行為が露見して、怒りと悲しみの深い沼に突き落としてしまう。
光明29【勝手極まれり】
1週間後に入院すると、眼科主治医が「家族へ説明をするので誰か来てもらって下さい」と指示。
この時に私が母親を選んだのは、乳飲み子を抱える状況を気遣った訳では無い。
結婚前から患っていた持病の経歴を、妻に知られたくない一心で、保身に努めた小狡い策だった。
光明30【不心得の果て】
長い手術なので直前まで母が、終わる頃に妻が付き添う形にした。
それは人生初の全身麻酔に、「もし意識が戻らなかったら」と怯える哀れな姿を、彼女に見られたくないとの見栄から。
だが恐怖と引き換えに得たのは、左目の視力では無く、1か月にも及ぶ地獄の日々である。
【中書き④】
糖尿病が原因とする網膜剥離と告知されるも、私には予想された結果だったが、全身麻酔を使うと聞いて痛みは感じないと安心するが大間違い。
一旦は退院し、妻の実家で生後数ヶ月の息子と再会すると、眺める純粋無垢な笑顔が心の支えとなる。
さて再入院すると眼科主治医が家族へ説明したいと言うので、妻で無く母へ白羽の矢を立てたのは、病歴がバレない為の隠蔽工作。
そして迎えた手術直前は母のみにして別れを告げるが、姑息なやり口が引き起こす天罰の大きさを、私はまだ知らずに居た。
光明31【仕組まれた罠】
手術前夜に再度、精密検査をしたのは、万全を期する姿勢だと思い込まされた。
「明日は4時間の予定ですが、行程は全てビデオに録画します」と言われ、心ざわつく違和感。
希望が有れば見せる為と説明されたが、大学病院での研究用資料とされるに過ぎなかったと後に知る。
光明32【無自覚に起こす波紋】
検査の後、やはり心細くなり電話をしたが、その相手は弱音が吐ける母親で、情けない甘えん坊。
当時、映画で観た全身麻酔から意識が戻らない筋書きと、我が境遇を重ねたのだ。
たがこの連絡が、嫁姑問題に発展する事態に繋がるとは、未熟者の私には想像も付かない。
光明33【出来損ないの烙印】
手術前に担当医より全身麻酔の説明を受けるが、万が一の場合も有るからと、同意書に署名を強いられた。
開始に母は間に合わなかったが、父はと言えば見舞いさえ来ない。
仕方無い、病気知らずの彼にとって幼少から嫌っていた私は、難儀な厄介者と映っていたのだから。
光明34【突き刺さる楔】
手術が始まり少し経った頃、交代する為に妻は詰所へ駆け付けた。
私の母は目が合うとすぐ、「あの子は結婚したのだから、今後はあなたに任せます」と言い放ち、立ち去る。
「親として無責任、絶対に許せない」と憤慨し、この日を境に二人の拗れた関係は修復されず仕舞い。
光明35【脳裏に巣食う悪夢】
手術が終わるとベッドに乗せられ、廊下へ進むと妻が待っていた。
麻酔は切れて意識は戻っていた筈だが、殆ど記憶が残っていないのは、体に強い負担が掛かっていたのだろう。
「あの憔悴した表情が頭にこびり付いて、心の傷になってるのよ」、今でも彼女に責められる。
【中書き⑤】
今では慣れっこになった入院だが、初めての手術、まして全身麻酔となると当時の私は恐れ慄いていた。
しかしその不安の解消を求めた相手に、妻では無く母親を得たんだ判断が、後に禍根を残す浅はかな行動。
そしてその結果が齎した、手術中に放った私の母の言葉は、怒りと共に妻から何度と無く聞かされた。
そんなやり取りを一切知らない私は、全身麻酔の副反応により衰弱し、回復までには長い時間を要するのである。
光明36【季節外れの暖】
病室で目が覚めると、寒くて仕方が無い状態で、ガタガタと体中の震えが止まらない。
全身麻酔で眠らされていた臓器は一斉に復活し始め、その反動が大きい為に、過剰反応する自律神経。
お盆前なので、当然の如く冷房が入る相部屋で、私は電気毛布に包まり、ただ丸くなっていた。
光明37【打たれし終止符】
寒さ以上に辛かったのが目の腫れで、涙が溢れると共に鼻水は栓が抜けた様に流れ続ける。
痛みを感じない状態を良い事に、4時間も弄り倒された眼球は、想像を遥かに超える損傷。
大学病院の資料にする為に撮影されながら、回復の可能性の低い左の視力は、奈落へと沈められた。
光明38【主客転倒されし希望】
手術後1週間が経過し、体調も少し落ち着いた頃、眼科診察室に呼ばれる。
主治医は静かな口調で、「出来る限りは尽くしましたが、残念ながら‥‥」との最終通告。
既に諦めていたので驚く結末でも無かったが、それよりも寒気とと目の痛みを何とかして欲しいと願っていた。
光明39【急を告げし風雲】
更に主治医から、「網膜は新生血管の収縮により引き剥がされ‥‥」との詳しい解説は、聞くのも悍ましい状況。
続いて「録画しているので、必要ならいつでもお見せします」と、正当性を示す言葉が空しく響く。
そして最後に発せられた台詞が、思い出すのも悍ましい釈明だった。
光明40【遂に表明されし本音】
「眼科医は一つの目を失明させる事は有っても、両方は出来ません」と話し始めたが、最初は全く意味が分からない。
大学病院で代わりに執刀する医師を募っても、誰一人手を挙げないと続く言い訳。
最後に「右は諦めて下さい」との通告で、治療方針の真なる狙いを理解した。
【中書き⑥】
全身麻酔の後遺症で、震えが止まらぬ程の寒さを感じ、更に目の痛みが酷くて、涙に鼻水が全く止まらない。
後で知るのだが、目のダメージを考えると4時間の手術は異常らしく、その悪影響により正しい判断力は皆無の惨状。
そのタイミングを見計らったかの様に、主治医は手術の結果を説明するが、私を慮るよりは責任追求されない為の釈明に終始する。
そして最後に告げられたのは、 「右目は諦めて下さい」との言葉で、 最初から手術をする気は無かったとの本音が露見するが、それが気付かない程、私は心身共に憔悴し切っていた。
光明41【嵌められし罠】
今振り返ると、主治医は診察を重ねる内に、右目は救えないと判断したのだろう。
だから先に、助かる可能性の無い左の方から手術を行い、準備したのが最終通告の舞台。
だが当時の私は、そんな思惑に気付きもせず、眼球の痛みに耐えながら「そういうものか」と、諦め切っていた。
光明42【絶望が齎す罪】
今回思い出したが、この大切な告知へは家族を呼ぶ様にとは言われなかった。
乳飲み子を抱える妻は、頻繁に見舞いは来る事が出来なかったので、電話で伝える悲報。
聞かされた彼女は絶望の縁に追い詰められたと思うが、当然の報いと感じる私は、相手を慮る情緒は欠片も無かった。
光明43【彷徨いし行方】
先日の診察で「右目が見えなくなるまで半年程」と、余命宣告を受けていた。
併せて「視力障害者を訓練する施設が有るので、全盲になった時の準備をお勧めします」と、親切そうに聞こえる助言。
手術後1ヶ月で退院すると主治医の指示通り、私は暗黒の未来への支度を整え始めた。
光明44【意表突かれし提案】
まず市役所へ連絡し視力障害者の施設を調べる傍ら、例の名刺を取り出す。
病院で知り合った社長へ電話すると、「今からおいでよ」と誘われて、彼の会社へ一目散。
私の窮状を聞くと、「手伝って欲しい事が有るからバイトしない?」と言い、風貌に似合わない笑顔を浮かべた。
光明45【救出部隊の暗躍】
頼まれた業務はDMの発送で、案内文を三つ折りにして封入する作業を、翌日から開始する。
その当時、お金が欲しかった訳では無く、人と関わるのが楽しく、朝から張り切る7時間労働。
だが私の知らない所では、右目の失明阻止を願う作戦が、少しずつ動き始めていたのだった。
【中書き⑦】
ここまで書き進めて来て、主治医が画策する手術方針の思惑についてようやく理解するのだが、右目を助ける気が無いのなら、早く言って欲しかった。
しかし諦め切っていた当時の私は、右目の余命宣告を受けても落ち込む感情が湧かず、妻へも仕方無い結果と無感情の通告。
退院後は主治医の助言に従い、視力障害者の訓練施設を調べたりするが心が晴れず、入院中に知り合った若き経営者へ連絡する。
すると会社へ来る様に誘われ、気付けば翌日にはアルバイトをする事になり、それで気を紛らわせていたが、私の知らない所では何かが動き始めていた。
光明46【子を憂いし親心】
妻の乳母をしていた婦人が居て、義父から私の状況を聞かされると、娘の為に力になりたいと動き出す。
彼女は通っている自宅近くの眼科医へ事情を話し、「助けてあげて下さい」と必死に懇願。
その熱意の甲斐有って、「今夜、診察が終わる頃に連れて来なさい」とお許しが出た。
光明47【気乗りせぬまま】
バイトから帰宅すると、「近くの眼科で特別に診てくれるから行くよ」と、妻から一方的に急かされる。
「あの主治医は有名大学の先生だから、今更町医者に検査してもらってもなあ」と、心の中で呟く愚痴。
だがその婦人の顔を潰すのは申し訳無いと考え、表面上は恭順を装った。
光明48【施し無き惨状】
息子は義母に預け、日が暮れてから妻に付き添われながら出掛けた。
訪れた診療所は、同じ大学で出会った2人が、卒業後に結婚して地元に戻り開業。
まずは院長である妻が、続いて夫が私の目を検査すると、「これは酷い、どうしてここまで……」と、思わず本音を漏らしてしまう。
光明49【手渡されし襷】
「でもあの先生なら……」と院長は呟き、視線を送られた夫も頷く。
「少し待ってて」と私達を診察室の外へ促すと、彼女は机に向かい作成し始めたのは、大学病院への紹介状。
「事情は書いておいたから」と封筒を差し出して、「諦めては駄目よ」と、弱気な我が心の背中を押した。
光明50【辿り着きし扉】
翌週、紹介された先生の診察日に合わせて通院するが、乳飲み子を抱える妻からは「長時間の付き添いは無理」と断られる。
電車の乗り換えが2回、初めて降りる駅まで90分を要し、乏しい視力での一人旅は過酷。
そして眼前に聳える建物が、我が運命の困難な行く末を想起させた。
【中書き⑧】
義父母は商売で忙しかったので、知り合いの女性に子供達の世話を頼んでいたが、彼女には子供が居なかった事も有り、妻を実の子の様に可愛がっていた。
そしてその夫である私が、失明の危機と聞き付けた彼女は、自分が通っている眼科医へ頼み込み、私の知らない内に決まった夜の特別診察。
私は渋々ながらその診療所へ行くと、同じ大学病院出身の夫婦2人の医師が、交互に検査をするが結果は案の定、惨憺たる診断が下る。
しかし彼らは私達夫婦を励まし、一縷の望みを繋ぐ為に紹介状を授け、妻に付き添いを断られた私は、独力で何とか遠く離れた目的地へ辿り着いた。
光明51【到達せり本丸】
神妙な面持ちで中へ入ると、初診受付を探してウロウロする。
何とか辿り着くと、先ず提示を要求されたのが担当医師への紹介状で、「これ無き者は町医者へ行け」と言わんばかりが大学病院の考え方。
その関門を突破しエスカレーターで2階へ上がると、眼科窓口が待ち構えていた。
光明52【手強き我が反射】
受付で保険証の確認を済ませて暫く待つと、名前が呼ばれて中へ入る。
視力や眼圧等、幾つか検査が行われ、最後は網膜を調べる為の下準備として、瞳孔を拡げる目薬。
通常15分毎に2回の処方で足りる筈が頑固な様で、追加の措置が施されると、程無くして診察室へと導かれた。
光明53【現れし尋ね人】
診察室に入ると中は暗闇で、看護師に誘導されて丸椅子に腰掛ける。
「はい、真っ直ぐ前を見て」と穏やかな響きの声が聞こえ、右へ下へ左へ上へと方向を指示しながら、浴びせる強い光。
次に機械を使って眼底を隈なく調べた後、部屋の電気が点灯され、先生の姿と初めて対峙した。
光明54【素っ気無き告知】
「右目は現在、かなり厳しい状況です」と、語調は柔らかでも説明する内容は優しくない。
続く台詞が「手術をしても必ず成功するとは限りません」と、絶対に医師は口にしない希望的観測。
その上、「しかしこのまま放置すれば、3ヶ月程で失明します」、さらりと言い渡された。
光明55【迫り来し分岐】
「どうされますか?」と、まるで「私はどちらでも構わないですよ」との雰囲気で尋ねられる。
へこたれず、「放っておいても見えなくなるのなら手術を受けます」と即答。
これで翌月の入院が確定した訳だが、ホッとするよりもその後に訪れる苦痛の予感が、怒涛の如く押し寄せた。