つぶやき物語【童期1】~【童期5】のまとめ(冒頭に中書き①追記)

【童期6】~は、11/18(月)スタート(o^-^)b ※物語の最初からお読みの方は【中書き①】を、初めてお読みの方は【前書き】から、ご一読頂けると大変嬉しいです。

【中書き①】
 保育所に通っていた頃から、今では使わない肥満児との表現で呼ばれ、体重は10歳で60㎏近く、小学校高学年では大人用のスラックスしか履けなかった。
 小学校時代の運動会ではタイヤ潜りの競技で、みんなが使う乗用車用では頭しか入らず、家の商売で出るバイクの中古品を当日朝に自ら担いで行く、まるで漫画みたいな風景。
 当時そんな私は祖母から溺愛されていたがその事が、幼少期から喰いしん坊の性格に拍車を掛け、丼鉢で御飯をお代わりする私を、誰も止める事は出来なくなる。
 そして祖父母が近所に引っ越して来た夏休みは毎朝、早朝から訪ねてはお粥を何杯もお代わりをする不摂生を繰り返し、失明に繋がる道程を歩み始めた。
【童期6】へ続く。
~・~・~
【前書き】
 幼少期から父親に嫌われていた私でしたが、その分をカバーするかの如く祖父母には可愛がられました。
 しかし父と似た性格で、彼と同じ様に露骨な贔屓をする彼女の寵愛振りが、その後の我が人生に与える悪影響。
 逆に祖父は穏やかに接してくれた良き思い出しか残っておらず、好対照の関係性の中、私の体は肥大化して行きました。
 それではこれから、幼少期から小学生時代の童期における、悲喜こもごもの出来事を綴って行きたいと思います。

童期1【規格外れし風貌】
私は保育所に通う頃から肥満児と呼ばれた、自他共に認めるおデブちゃん。
現在の体重を10歳時点には通過し、小学校を卒業する際の腹囲は3桁にも及んだ。
だから履けるズボンは大人用のスラックスのみで、膨れ上がった太腿が歩く度に股擦れを起こす様な、辛い記憶だけが残る。

童期2【特別扱いの辱め】
そんな小学校時代の運動会で、タイヤ潜りの競技が有り、みんなは乗用車用。
だが我が体は穴へ入る事さえ叶わず、困った先生は私の母へ相談を持ち掛ける。
そこで親の商売で出るバイクの中古品を使う代替案が決定し、当日朝に自ら担いで行く羽目に陥り、哀れな思い出が刻まれた。

童期3【魅惑の面影】
久し振りの孫だった為に祖母から寵愛された事が、私が太った原因に大きく影響した。
彼女は口八丁と評判で、「若い頃は○△小町と呼ばれたものよ」が、毎度の台詞。
ただそれが真実だったのだろう、6名の子供を抱える未亡人ながら、初婚の年下男性を射止めたのだから、本物である。

童期4【助長促しし老害】
私は幼い頃から喰いしん坊の大食漢で、ご飯を何杯もお代わりする。
叱ろうとする親を目の前にし、「好きな様にさせてあげなはれ」と一喝したのが近所に住む祖母。
その免罪符を頂いたお陰で、茶碗を丼鉢に代えて、昔の表現で『百貫デブ』と呼ばれる体形になる道を歩んで行った。

童期5【紐解きし起源】
10歳の頃、一旦は離れて暮らした祖父母が、歩いて数分の所に引っ越して来る。
夏休みになると早朝から訪ねる様になり、到着するとすぐTVの『おはよう浪曲』を見ながら、お粥を何杯もお代わりをするのが日課。
その為に体重は増加の一途を辿り、将来発症する病気へと繋がった。

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