つぶやき物語【闘病1~闘病55】完結(冒頭に後書き追記)

物語は無事に完結しましたので、多少の手直しも施しました。
宜しければ、【後書き】だけでなく、【前書き】から改めてご一読頂けると幸いです。

【後書き】
★癌が見付かって
 大腸癌と告知されてから初めて知ったのは、腫瘍の位置が下方へ行くに連れ、治療や術後の対応が厳しくなる事です。
 更にステージの考え方も理解出来た事は有用で、悪性腫瘍で1が確定し、3までと4との間に存在する、大きな違いに驚きました。
 ただ私が幸運だったのは、癌を発見して頂いた循環器内科の主治医が繋いでくれたのですが、素晴らしい外科主治医との出会い。
 県内でも有数の名医であるだけで無く、明るく快活な性格のお陰で、「大丈夫」と言われる度に、気持ちを楽にして頂きました。

★ 抗癌剤治療を終えて
 現在は抗癌剤治療も1年前に終え、3度目のCT検査でも転移していなかったので、後1年半で完治となるそうです。
 ところで半年間で終了した抗癌剤治療ですが、思い出しても辛く、またしして下さいと言われたら、もうご勘弁。
 しかし癌が発見されてから、家族を始め友人の方々に助言や励ましを頂き、本当に助かりました。
 還暦を迎え、寿命がどれほど残されているかは分かりませんが、ここまで命を頂いている奇跡に感謝しながら、穏やかに過ごさせて頂きたいと願っています。
<完>
~・~・~
【前書き】
 この物語は2022年12月の手術を挟み、その前後の模様を綴った実話です。
 まだ闘病生活は終わっていませんが、今日もこうして命を繋いで頂いています。
 そして、つぶやき物語を毎日投稿させて頂く事が、知らぬ間に私の生きる励みとなっていました。
 本当に、有り難くも勿体無い限りです。

闘病1【体調の異変】
以前に比べ目眩や立ち眩みが多いと、異変に気付いたのは3年前の夏で、その頃は体重が直近1年で12キロ以上減っていたので、その性かなと思っていた。
それは,、持病による2ヶ月毎の内科受診や毎年春の人間ドックの際にも指摘が無かったからで、私は深刻には捉えずにいた。

闘病2【異変の顕在化】
異変から2年が経過した夏の受診時、主治医が採血結果を見て、血液の濃度がかなり薄くなっている事に気付き、『酷い貧血状態』と診断。
次の診察までの検便を指示されたが、数ヵ月前の人間ドックでも異常が見つからなかった為、私は油断した。
しかし、結果は『潜血有り』。

闘病3【まだ気付かない呑気さ】
主治医は循環器内科が専門だが、貧血症状~検便指示の流れは、私の状況をある程度は予測していた筈。
彼は「一度、大腸カメラの検査をしましょう」 と指示し、私は検査の説明を受けるも、下剤を大量に飲む煩わしさに気を取られ、その危険性をまだ想像出来ずにいた。

闘病4【大腸カメラ初体験】
前夜に続き、朝6時から下剤服用開始で、「仕事なんて出来ませんよ」、看護士の言葉通り、トイレに入り浸り。
「心配なら紙パンツ用意して下さい」の言葉に悩むも購入はせずに何とか病院へ向かい、検査開始。
検査自体は胃カメラに比べても楽だったので、少し拍子抜け。

闘病5【突然の着信】
「検査結果は週末の診察の時に」と言われた検査翌日、仕事中に携帯へ着信が有るもすぐには取れず、改めて確認すると病院から。
嫌な予感の中、掛け直すと出て来た主治医からは、「大腸に癌が出来ています」。
「やはり、そうか」と呟いた後、外科診察の予約を取る手続きへ。

闘病6【外科主治医を初受診】
新たに主治医となった外科医は快活な方で好印象、私の大腸癌について説明を開始。
直径5センチ程の腫瘍は盲腸近くに有り、「大腸の上の方だから大丈夫」とのコメントが頼もしい。
なお、ここまで育つには約5年経過との事で、痛みの自覚が無かったのは幸か不幸か?

闘病7【ステージに関する認識】
気になっていた癌のステージについて尋ねると、「病理検査の結果、腫瘍は悪性と判明したのでステージ1が確定」と話し、後は手術で摘出した患部を検査しないと不明との事。
同じ臓器内での転移有りがステージ2~3、他臓器転移有りでステージ4、私は改めて認識。

闘病8【手術についての説明】
「患部を含め前後10センチを腹腔鏡手術で摘出」と説明し、「開腹しないので入院も10日間で済む」と続けた。
「全身麻酔による腹腔鏡手術なので痛みは無い」と説明されたが、私は別の不安を抱く。
それは麻酔が切れた後の採尿管を抜く際の痛みで、男性特有のもの。

闘病9【不安の火種を消し去る祈り】
診察後、取り急ぎ妻へ診察内容を報告し、入院・手術になる旨を伝えた。
「体の悪い物が見つかり、取り払ってもらえるのは有り難いね」と妻は軽く微笑み、私を励まそうとする。
妻の強さと優しさに、これまで幾度救われたのだろうかと、私の心は締め付けられた。

闘病10【以前には無き悲哀】
妻への連絡後に入院手続きの説明を受けると、コロナの関係で入院中は面会不可との事。
手術日が決定したら前日の朝に来院し、入院手続き前に保証金5万円入金を説明される。
踏み倒し防止なのだろうが以前には無かった制度に、何か世知辛さを感じつつ病院を後にした。

闘病11【友人から心強いエール】
医療関係者の友人に病状を話すと「上行結腸の癌ですね」から詳しい説明の後、「医師に聞き逃しが有れば連絡下さい」と続き、主治医の名を知ると「県内でも有数の名医」と太鼓判。
改めて彼のメールを読み返すと『大丈夫』が何度も現れ、強く励まされた記憶が甦る。

闘病12【色々有った一年だけど】
思えば昨年の大晦日は退院翌日で、何とか家に戻れてホッとした事が思い出される。
その反面、手術後の主治医診察を年明けに控え、穏やかな心境での年越しでは無かった記憶も脳裏を過る。
ともあれ今日、この様に振り返り出来るのは有り難い一年だったと感じます。

闘病13【会社の手厚い対応】
上司へ診察結果と腹腔鏡手術で10日間の入院予定を報告すると、「休職しても1ヶ月は給料が出るから、安心して養生して下さい」との優しい言葉。
入院中は経過連絡をし易い様にとスマホが貸与される等、障害者枠で採用してくれたこの会社、本当に有り難い限りです。

闘病14【入院の前に立ちはだかる障壁】
パジャマ等の買い物をしなながら入院への準備を進めていると、病院から入院日を伝える電話が入る。
入院前日にPCR検査を受け、陽性反応が出ると入院延期との事。
後1週間、新型コロナに感染出来ない状況に追い込まれ、私は手術以外の緊張も強いられた。

闘病15【元同僚から感謝溢るる体験談】
彼女へ私の状況を伝えると、ご主人が直腸願を患い、長時間の手術やリンパ節転移が有るも、2年経過して再発が無いと教えてくれた。
彼女自身も大手術を経験しているが、メールに綴られた言葉は医師と看護師への感謝ばかり。
お陰で私の恐怖心は姿を消した。

闘病16【妻から看護師への引き渡し】
PCR検査で陰性が確認された事て入院が決定し、当日は妻が付き添い。
手術の際に必要だと、持参を指示された大人用紙パンツを、病院売店で人生初購入。
その後、『熱き別れの抱擁』をしてくれる筈も無く、見送る妻に別れを告げ、看護師に連れられて行く私。

闘病17【入院医療費の支払い限度】
手術入院となれば医療費が高額になるが、『限度額適用認定』や『高額療養費』制度の利用で、月額は上限までで足りる。
ただ1ヶ月の医療費は1日~末日で区切られる事が注意点で、月初入院~月末退院が理想的。
なので師走に入院した私は年内中の退院を願った。

闘病18【入院前に給付金の書類手配】
手術入院の場合、医療保険に加入していると生保会社に給付金の請求が出来る。
入手~病院へ依頼・受領~申請の流れとなるが、病院は書類の発行を即日にはせず、郵送も認めない為、退院時に依頼するのが効率的。
だから私は事前入手し、鞄の中に忍ばせていた。

闘病19【高まる閉塞感】 
案内されたのは4人部屋で、カーテンでベッドは仕切られ、新入りの私は同部屋の方へ挨拶出来ず。
新型コロナ全盛で、マスク着用必須の時期なので仕方無いと、私は黙々と着替える。
看護師に夕食から絶食と言われ落胆する中、後で手術前説明が有ると更に追い討ちの一撃。

闘病20【怖くて訊けず】
看護師に呼ばれ、別室で翌日執刀する医師から手術の説明を受けた。
腹腔鏡手術はおへそと周囲4箇所に穴を開けて行う事を、ここで初めて知る。
「患部を含む前後20センチと一緒に盲腸も取ります」と告げられ、「おへそから引っ張り出すの?」と驚いたが、平静を装う私。

【中書き①】
 大腸癌が発見され、妻や友人、そして会社への報告と、入院・手術までが慌ただしく進みました。
 手術入院は数多く経験していますので慣れてはいますが、当然ながら楽しいものでは有りません。
 まして今回の結果によっては、余命が決まるかもしれない状態なので、なおさらでした。
 さて、いよいよ入院が出来て、翌日には手術となりますが、大変なのはこれからなんですね。

闘病21【痛みよりも羞恥心】
病院の朝は早いと言うけれど、私は普段から朝は5時には起きる為、看護師の到着を待ち構えていた。
体温や血圧等の測定を順にこなし、問題無しとの結果から、予定通りに手術が決定。
そして私の嫌いな採尿管の装着へと進むが、いつもながら恥ずかしくて泣きたくなる。

闘病22【刺され繋がれ】
昨日から絶食ではあったが、夜は栄養補助ドリンクを与えられ、私は空腹を感じずに居た。
「手術なんて慣れっこ」と嘯いてはいたものの、振り返れば手術への緊張感も相まっていたのだろう。
やがて点滴針が突き立てられ、筋肉注射の追撃に、まるで針山の如き哀れ我が身。

闘病23【暫しの別れ】
手術の時間となり、ベッドのまま病室を出て手術室へ移動する途中、詰所にその姿を見付けた。
心配そうな表情の妻は、手術に向かう私の姿を何度も見送って来たが、今回は癌なのだ。
流石に愛の言葉は囁けないが、少し言葉を交わした後、私は人生の岐路へと歩を進めて行った。

闘病24【一生上げられぬ】
手術か始まると間もなく麻酔が効き始め、いつの間にか眠りの中へと誘われて行く。
意識が戻った時は手術室を出ていて、詰所の前まで戻って来ると、ずっと待っていたのだろう、妻の姿を認めた。
私は感謝の言葉を声に出す力も無く、心の中で頭を垂れるしか術が無かった。

闘病25【何と無体な仕打ち】
後から聞いたのだが、私が病室に戻った頃、妻は執刀医に呼ばれていたらしい。
切除した私の大腸の一部を見せられて、気持ち悪かったと悲し気な表情を見せた。
30年連れ添ったとは言え、私の臓物にまで思いを寄せる優しさを、求めるなんて逆立ちしても出来る訳無い。

【中書き②】
 私は結婚後に、目の手術5回、心臓の手術3回の他、レーザー手術や尿管結石の破砕手術を入れると枚挙に暇が有りません。
 そのいずれも私は自身の事で精一杯、妻の心配や悲しみを慮る気遣いの無い酷い夫でした。
 その為にある事を契機に、『自分の事は後回し(お先にどうぞ)』の生き方を基本に、私は改まりの稽古に励む様になるのです。
 そうして迎えた今回の手術、妻の痛みや苦しみを想像すると、私は辛いとさえ言う資格が無いと気付くのでした。

闘病26【迫り来る恐怖】
病室へは戻ったけれど、麻酔は切れたものの、点滴や採尿管は繋がれたままで、お腹からは何か管が出ている。
勿論、食事なぞ有る筈も無く、口に出来たのは眠れる様にと睡眠薬のみ。
実はこの夜、一番不安に感じていたのは、癌のステージの結果では無く、あの抜く時の痛み。

闘病27【天使の来訪】
朝になると、「本日、担当させて頂く○○です」と、若い看護師さんが病室に現れた。
彼女は体温や血圧等を計る為、管だらけの私の体を手際良く、丁寧に扱ってくれる。
「自分の娘だったら、こんなに優しくないだろうな」と感じつつ、『可愛い患者』になりたいと強く願った。

闘病28【待ち侘びた福音】
術後3日目、遂に例の管が抜かれる瞬間が訪れ、私は激痛の余り声を漏らした。
続けてお腹に差し込まれていた管が抜かれ身軽になるも、やはりその正体は訊けず仕舞い。
それでも縫合された大腸が開通した様で、その報せは普段とは違う希望の祝砲として、密やかに鳴った。

闘病29【ぼっちを支えし絆】
管からの解放で堪え切れず、談話室から電話したのは、私の世代は声が聞きたい話したい。
この2時間に及ぶ相手を務めてくれたのは、困っている人の為に最近、サービス介助士の資格を取った友人の獣医さん。
彼は移動時のみならず、冷え切った私の心をも温めてくれた。

闘病30【不穏な空気の充満】
退院予定まで残り数日となった夜、隣の方がベッドごと、慌ただしく部屋を連れ出される。
その後、「部屋からは出ないで下さい」と現れた看護師さんは防護服姿。
隣の方が新型コロナ発症との事態発生に、部屋は完全に封鎖され、私たちは要注意人物に仕立て上げられた。

【中書き③】

 術後の経過は順調で、複数の管も抜かれて身軽になり、私は解放感に包まれていました。
 ステージ2~4の判別をする病理検査の結果はまだ出ていないものの、癌の患部は取り除かれて、まずは一安心。
 しかし、隣の患者を発端とする新型コロナ問題に事態は一変し、緊張を強いられる状況に陥ります。
 そして大晦日の数日前には退院する筈が、穏やかな年末年始の訪れさえ、雲行きが怪しくなって来るのでした。

闘病31【軟禁下の慎み】
勿論、病室の扉が施錠されてい訳では無いが、廊下に出る行為さえご法度。
また水筒にお茶を入れてもらう願いも叶わず、その都度、紙コップで渡され感染を防ぐ。
「ナースコールして下さいね」と優しく声掛けされるが、申し訳無くて私は水分と共に、我欲も控える様にした。

闘病32【舞台裏への俯瞰視】
私以外は高齢の同室者ばかりで、被害者顔して看護師へは我儘を言いがち。
この時の彼女たちは、入退室する度に防護服を着脱していた筈で、少し考えれば想像に難くない。
『相手目線で考える大切さ』、この7年間取り組んだ稽古で得た教訓が、私の平穏を支えてくれた。

闘病33【直視出来ぬ現況】
陰性状態が2日続き、感染が認められなかったので、その翌日には無罪放免となる。
だが小躍りする暇も与えられず、検査結果が出たからと、主治医が病室まで伝えに来た。
判定の紙に書かれていた文言は、『ステージ3b』だそうだが、印字が小さくて私の目には映らない。

闘病34【愛しき人への悲報】
「他臓器への転移が今は見つかりません」との診断で、ステージ4は免れているらしい。
だが、患部前後のリンパ節に複数の転移が有り、予断の許さない緊張感に包まれた。
妻へ電話し伝えると私を気遣う気丈な言葉に、心配ばかり掛ける我が身の罪深きが心に突き刺さる。

闘病35【陰に日向の守護心】
妻へ報告して1時間後、夕食を終えて心虚ろな私の元へメールが着信。
「阪神の原口選手が全く同じ状況で、今は復活しているよ」と、ネットで検索した情報を届けてくれた。
「自分の事は後回しでいい」が信条の彼女が発揮する本領は、体に巣喰う病魔を追い詰めて行く。

【中書き④】
 病室から一歩も出る事の出来ない状態は、それでなくてもお不自由な入院生活に更なる負荷に苛まれる。
 それでも普段の修行のお陰で苛立つ瞬間も訪れず、病理検査の結果と入院の日を静かに待っていました。 
 そして下された宣告は、他臓器への転移は免れたものの、『ステージ3b』の響きは流石に重く、妻への連絡も辛い。
 しかし、妻の機転と気遣いが齎す内助の功は、私の心と体の治癒力を高めて行くのでした。

闘病36【未だ遥か遠し日常】
「年明けから始まる抗癌剤治療は投薬のみで、すぐに復職可能」と、執刀医は勇気付けてくれる。
それを上司へ勇んで報告するも「少なくとも1ヶ月の休職は必要」と、つれない返答。
安全衛生法の遵守で大病後は今のご時世、社員の扱いは慎重にならざるを得ないらしい。

闘病37【弱視に出来る精一杯】
入院中に担当してくれる看護師さんは交代制で、顔や容姿で判別出来ないのは悔しい。
だから先ず名前を覚え、併せて声や口調も必死になって記憶する様にした。
それは仕事終わりの挨拶に来られた時、「○○さん、今日はありがとう」と、感謝を具体的に伝えたいから。

闘病38【安寧への鼓舞】
体の調子を平常に戻す為、理学療法士によるリハビリが始まるも、先ずは介助されて廊下の歩行から。
そして退院が2日後に決まると、主治医の診察予約も入り、今後の方針が説明されるらしい。
どんな苦しみが伴うのだろうかと不安は募るが、家に戻るまで後少しだ、頑張れ。

闘病39【懲りない因習】
何とか小晦日に退院が決まり、家での越年確定に安堵する私へ請求書が届いた。
障害者は補助が有り、入院費は1ヶ月の上限が驚く程に低く、今回は食事代よりも安い。
逆に生保の給付金はその百倍にも及び、この差額が不自由の留飲を下げる効果を生む性か、何度も繰り返す。

闘病40【前半戦の閉幕】
荷物を纏め、詰所まで迎えに来た妻に介助され、会計を済ませた。
生保の証明書を受付に提出し、薬を大量に受領すると、忘れ物は無いかと頭を巡らせる。
そして大きな荷物を持った母親然とした小柄な女性に、叱られた子供の様に連れられて、2週間近い入院は終焉を迎えた。

【中書き⑤】
 「抗癌剤治療は通院が可能で、すぐに復職出来ますよ」と執刀医に言われるも、会社からは1ヶ月以上の休職を要する旨を告げられ、癌の持つ大きな意味合いを思い知らされる。
 さてリハビリも始まり、徐々に平常を取り戻そうとした矢先、年明けの診察で今後の方針が説明されると判明し、緊張感が走った。
 しかし大晦日の前日に退院となった解放感と、安価な入院費用に比べボーナス並みの生保の給付金との差額に、暫し他臓器転移の恐怖も薄れる束の間の至福。
 そして迎えに来た妻から、「荷物は私が持つから」と言い渡され、口答え出来ない私の目には、華奢な見た目の女性が何倍も大きな体躯として映った。

闘病41【神妙なる面持ち】
正月三が日が過ぎ、離れて暮らす妻とは駅で待ち合わせて、新年のご挨拶。
子供達の状況を簡単に伺うものの、お互いに緊張している性か、交わす言葉は少ない。
私は何故か、結婚の許しを乞う為に妻の実家を訪ねた際の、あの緊張感を思い出し、軽く身震いするのを感じた。 

闘病42【勇気付けし絆】
駅から程無くして現れた病院の入口は、普段なら見慣れた風景だが、妻が一緒だと少し違う。
脳裏に浮かぶ息子の誕生は、半日以上も掛かり、うっかり転寝する度に叱責が飛んだ苦い思い出。
逆に娘は分娩室へ入ると、すぐに産声を上げた親孝行の記憶が、私の不安を和らげた。

闘病43【覚醒せよ緊張感】
この病院は義父の紹介だが、我が家、特に子供達は産声を上げた時からの掛かり付けとなる。
中へ入り再診手続きを済ませると、生保へ提出する証明書の出来上がりを確認するが、流石にまだ。
予約は有れど結構待たされ、眠気の誘惑に襲われた頃、不意に私の名が呼ばれた。

闘病44【安心へのお導き】
私達が椅子に腰掛けると、「どうですか?」と訊く外科主治医の声は快活。
「転移し易いのは肝臓だけど」と告げた後、CT画像を見ながら「大丈夫」と、笑みを浮かべた。
「そうなっても方法は色々有るから心配無い」と簡単そうに説明されると、完治した気にさせられる。

闘病45【苦行の予感】
続いて治療について、「抗癌剤を毎食後の服用で6週間」と説明。
また「副作用が出たら分量が合っていないだけだから、すぐに止める様に」と付け加えた。
吐き気、口内炎、下痢、倦怠感と嫌な反応を聞かされると、自分の置かれた立場の危うさを、改めて直視せざるを得ない。

【中書き⑥】
 お目出度い筈のお正月だけど、抗癌剤治療から始まる1年なのかと思うと気が滅入るが、年明けから妻と二人きりになるのは少し心は明るくなる。
 夫婦揃ってこの病院へ来るのは、2度の出産時と私の入院した際で、今回は相手が癌なので、入院慣れしている私でさえ身構えた。
 久し振りに会う主治医は変わらす快活で、CT画像を見ながら「大腸癌は手立てが色々有るから大丈夫」だと太鼓判。
 しかし、並べられた抗癌剤の副作用のラインナップには、軽くは無い荷物を背負わされる様で、急に肩や腰辺りに重しが括り付けられた気かした。

闘病46【いざ臨戦態勢】
診察の夜から薬の服用が始まり、遂に抗癌剤治療の第一段階が開幕する。
まず2種類の薬を各2錠、6週間に渡り投与した結果、現れる副反応の影響を鑑みて量を調節。
症状の有無に加え、検温や食事の様子も毎日記録する課題が与えられ、不安と煩雑さが交錯する生活を強いられた。

闘病47【真綿で締められし魂】
始めて数日は平穏だったが、或る朝に変化は突如として出現した。
まずは軽い吐き気に襲われ、少し落ち着いてからトイレへ行くと、続いては下痢の追撃。
何とか治まって来たので、やっとの思いで食事を済ませると、次に得体の知れない未経験の感覚が、私の心に纏わり付く。

闘病48【風前に佇みし灯火】
小学生の頃から自殺願望を持っていた私は「死にたい」と何度も思ったりしたが、それとは違う。
悪魔に魂を抜き取られるかの様な気分に覆われ、「このまま命が終わるかも」と漂う不安。
倦怠感から派生する厭世観に苛まれた反応と後に知るが、今振り返っても背筋が寒くなる。

闘病49【好転の兆し無き窮状】
診察日が来るまで耐え切れず、悲痛な面持ちで病院へ駆け込む。
迎えた主治医は驚く様な表情も見せず、「量が少し多かったみたいだね」と私へ告げ、1種類のみ1錠減らす処方へと変更。
だが同じ薬を服用する訳だから、不安は払拭されないまま帰宅し、辛い苦行を継続した。

闘病50【手繰り寄せし命綱】
会社はまだ休職中なので、時間は有るが厭世気分は消えず、次第に精神が病んで来る。
そこで自分の存在価値を高める為に考えたのが、一度は断った叔母の相続問題への参戦。
私は従兄弟へ退院した事と、応援する旨を伝え、毎晩の長電話で我が心を鼓舞し、癌への恐怖に抗った。

【中書き⑦】
 抗癌剤治療は6週間が1クールで、副反応の影響を確認しながら、薬の量を緒節して半年ほど続け、CT検査で転移の有無を調べる。
 副反応だが、まず軽い吐き気から始まり、次に下痢へと続くが、厄介だったのが倦怠感から派生する厭世観で、黄泉の世界へ連れて行かれる様な恐怖感。
 主治医へ事情を話すと、「これは我慢する薬では無いから、長を減らすだけ」と、拍子抜けする回答で一瞬は安心するが、まだまだ油断は出来ない。
 休職中で時間だけは有る分、厭世気分から精神が病んで来たので、【相続】に登場する従兄弟と毎夜の長電話で、自分を鼓舞しながら藻掻いていた。

病病51【迷い道くねくね】
新たな分量で治療を再開すると、次に現れた症状は口内炎だった。
これまでの人生で殆ど経験していなかったので、紛れも無い服反応の証。
主治医から我慢してはいけないと言われていた筈なのに、癌の進行を抑えるかも知れずの希望的観測に縋り付き、再び間違いを犯してしまう。

闘病52【厳しき折に一縷の光】
辛さに耐え切れず、主治医へ窮状を訴えに行くと、彼は呆れた表情を見せる。
「もう1種類も1錠減らし、口内炎の塗り薬を出します」と、優しい声で言い渡される。
診察が終わり会計を待つ間に確認すると、生保の証明書が出来ていたので、少しは溜飲も下がり笑顔も零れた。

闘病53【命削りし代償】
今回の処方が適合した様で、服反応が徐々に穏やかな流れとなる中、脱毛症状が出なかったのが有り難い。
給付金は、返信用封筒に入れた書類が生保へ届かない問題が起きるも、数週間後には何とか解決。
そして結果的に振り込まれたのは思いの外に多く、賞与の手取額を越えていた。

闘病54【せめてものお礼】
手術から半年、初めてCT検査を受けるが、やはり強いられる緊張。
続く診察でパソコンに映る画像を眺める主治医からは、「大丈夫、転移していません」との言葉を賜る。
この結果は無事を祈り続けてくれた妻のお陰で、結婚30年の年柄でも有り、給付金は全てお渡ししました。

闘病55【峠越えども折り返し】
その後、6ヶ月毎のCT検査を更に2度行い、計3回で他臓器への転移は全く見付からなかった。
主治医から言われたのは、手術から3年間で異変が無ければ完治。
先にその栄冠を掴んだのが阪神の原口選手で、彼の活躍と自身の未来を重ね、前向きに過ごさせて頂いています。

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