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【#69 : どこかの誰かに】
どこかの誰かに、何かを届けたいと思うことがあります。名前も知らない、顔も見たことのない誰か。偶然すれ違っただけの人かもしれないし、もう二度と会うことのない人かもしれない。でも、その人の心に、そっと触れられる言葉や想いを届けられたらいいのに、と思うのです。
たとえば、電車の中でうつむいていた人。疲れた顔で小さく息を吐いて、どこか遠くを見つめていた。何かがあったのでしょうか。うまくいかないことが続いて、心が沈んでいたのかもしれません。「大丈夫ですか」と声をかけることはできなかったけれど、せめて目の前の席が空いたとき、「座れますように」と願いました。それだけで、その人の心がほんの少しでも軽くなればいいのに、と。
あるいは、道ですれ違った、小さな子どもの手を引くお母さん。子どもがぐずって、困った顔をしていた。イライラしているのではなく、ただ疲れているのだと、その背中が教えてくれました。「頑張ってますね」と伝えたくなりました。でも、知らない人にそんな言葉をかけられても困るかもしれない。だから、すれ違いざまに「かわいいですね」とだけ言いました。ほんの少しでも、その人の心があたたかくなればいいな、と思いながら。
誰かの心がふっと軽くなるような、そんな小さな温もりを届けたいときがあります。もちろん、私は特別なことはできません。遠くの誰かを直接助けることも、大きな影響を与えることもできないかもしれません。でも、見知らぬ誰かの心に、そっと寄り添うことはできる気がします。
私もまた、どこかの誰かから、そんな小さな温もりを受け取ったことが何度もあります。電車で涙をこらえていたとき、そっとハンカチを差し出してくれた人。落ち込んでいた日に、道端の花の美しさに気づかせてくれた人。何気ない優しさが、どれほど心を救ってくれたか、言葉では言い表せません。
だから、私も。どこかの誰かに、小さくても温かいものを届けていきたい。言葉でなくてもいい、気づかれなくてもいい。ただ、そっと寄り添うように。そうやって、人と人は、見えない糸でつながっているのかもしれません。
今日もどこかで、私の知らない誰かが頑張っている。私の知らない誰かが、少しだけ寂しい気持ちになっている。そんなとき、ほんの少しでも、私の思いが届いていますように。