自分から近づくこと

欧米人は告白をしないという話を本で読んだ。誰かと一緒になるときに、お互いに好きだったら自然と身体が近づいていって、ひとつになっている。告白をするというのはきっと不自然なんだろう。だから、身体を近づけたくないと思う人とはひとつになれない。第一印象で身体を近づけたくないと思われたら難しい。一緒になりたい人がいたら、自分から身体を近づけてみるというのは、最も効果的な行動のひとつだろう。そこでもし拒絶されたら、本当に辛いかもしれないけれど、近づいてみないと分からない。どれだけ相手に近づけるかというのは、きっとひとつの指針になる。

自分はもともと他人と身体的距離が近づくことに抵抗がない人間だった。つまり、人見知りしない性格だった。それがいったいどういうわけか、他人と身体的距離が近づくことを怖がるようになってしまった。それはきっと過去に、大切な人が自分から離れてしまったこと、自分が拒絶された記憶が大きく関係しているのかもしれない。

身体的距離が近づくことは、自分が拒絶されるリスクをはらんでいる。近づいていく前に離れてしまうことをすでに予感してしまうのが自分だった。だから、自分は人との距離の取り方が分からなかったし苦手なところだった。凄く近づくか、凄く遠くなるのかの2択だったように思う。軽い気持ちで人に近づくことが出来ない。

今では、誰に対しても、多少心を開いて話が出来るようになったかもしれないが、本質は変わっていない。簡単に近づいて、簡単に離れることが出来たらどんなに楽かと思う。そして、自分の問題は、誰に近づいて、誰とは離れてという選択を自分からはしてこなかったことだと思う。自分には選択できないという呪縛が自分のなかにあって、それが自分の人生を形作っていた。どうしてそんな呪いが自分のなかにあったのか。ひとつには無力感ではないかと思う。大切な人が離れてしまうことを止められなかった自分というものがずっとあったのだ。人間関係については自分では決められないという感覚が常に自分にはあった。そして、「察してちゃん」だった。かわいいものではない。いい大人になって「察して」というポーズ(態度)でどうにかなると思っている。「察して」という姿勢で、自分が近づきたいと思っている人と近づけるわけがないのに、自分が「察して」という態度にそれでもこだわってしまったのは、やはり過去の呪いとなった無力感が大きかったのかもしれない。それともただの習慣なのか。きっかけは、自分の過去の喪失だったのかもしれないけれど。

しかし、いつまでも同じやり方で生きていても進歩はないのではないか。でもここから、変化するのはとても勇気のいることだと思う。いったい何から始めればいいのだろうか。まず近づきたい相手が誰かということを考えてみる。自分から話しかけられるだろうか。チャンスが来た時に精一杯近づけるようにイメトレしておこうか、それは「察して」のレベルから抜け出せていないのではないか。ただ、少なくとも近づきたい相手には「近づきたいですよ」という態度を出すべきだったとは思う。思い返せば、自分は心では近づきたいと思っているのに、態度では「近づかないで」をやっていた反対にそんなに近づきたくないと心で思っている相手に対しては、「近づいてもいいですよ」という態度を取っていた。つまり天邪鬼だった。

また、自分が近づきたい距離と、相手が近づきたい距離は往々にしてズレが生じるという問題があった。自分はここまでと思っているのが、相手はもっと近づきたいと思っているかもしれない。反対に、自分がもっと近づきたいと思っても、相手が想定している距離はもう少し離れているかもしれない。そんなことをここで考えてみて、これこそが人間関係の問題だったのかと、一人で納得してしまった。自分の人生における失敗がそのまま端的に表現できたように思えたからだ。そして、自分は相手とぶつかることで相手との距離を確かめるという勇気を持ち合わせていなかったから、どうしても自己完結に逃げざるを得なかった。きっと相手は自分を拒絶するから、自分から近づくことはできない。その呪いのような言葉で自分は全てを解決してしまっていた。過去を振り返ると、自分が近づきたいと思っていた相手に自分は酷い態度を取っていた。自分の心に向き合わず、相手に向き合うことが出来ず、ただあーだこーだ頭のなかで自己完結して、やり過ごしていた。
どうすればよかったのかというと、まず自分の正直な心と向き合うべきだったのだと思う。
あの人と近づきたいという自分の思いを否定して、その思いから逃げたことを、自分は後悔している。そんな失敗を自分は繰り返してしまっていた。
これから自分がどのように変わっていけばいいかというと、人と離れることと近づくことをもっとたくさん経験することに他ならないように思う。人に近づく痛みと人から離れる痛みに敏感になりすぎていた。必要以上に痛がりだったからこそ、自己完結に逃げるようになってしまった。たくさん経験することが出来れば、その痛みにも慣れることが出来て、自然に自分から近づくことが出来るようになるのだろうか。いや、まず自分から人に近づくという経験を少しずつ積んでいくことが、きっと自分を変えるための第一歩だ。結局そこと向き合えるか向き合えないかでしかないように思える。近づきたいと思える相手に、自分から近づいていって、自分が近づきたいと思える距離まで実際に近づくことが出来たという成功体験があれば、自分の人生観は大きく変わるのではないか。今後はその具体的な方法についても考えていくべきだし、行動につなげるべきなんだろう。自分が大いに成長できる部分だと思う。

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