見出し画像

「ニューカルマ」を読んでネットワークビジネスの心理を考察する


この本は、普通の会社員だった主人公がネットワークビジネスにのめり込んでいくという話で、非常にシンプルな内容。
2〜3時間くらいで読み終えた。
ストーリーを追いながら、自分の考えをまとめてみた。

全部で約6600文字。
普通にラストまでネタバレです。

私個人は正真正銘、ネットワークビジネス(以後MLM)に関わった事はなく、幸い勧誘を受けたこともない。でも商売の世界が好きなので、いろんな商売に興味があって、MLMをしていた身近な人の様子を観察したり、自ら軽く潜入くらいはしたことがある。あとは、かなり前の話なのでそのまま書くけれど「吉祥寺で商売する人が集まる会」的なものに商工会くらいのノリで参加した時にそこが、MLMじゃないけれど、結果的にMLMのような構造に近い形になっている姿を見たことがある。

MLMの話は、特定の団体が悪人として語られやすいけれど、至るところにその種のようなものがあって、ある日、心の隙間にひょっこり芽を出してくることもある気がする。

1、最初のネットワークビジネス

大手の下請け企業の、普通の会社員だった20代の主人公(男性)は、大学時代の友人からMLMの誘いを受ける。最初は警戒するし断るし、当然そんなものに手を出す気はまるでなかった。
でもある日、会社の業績が悪くなり、同僚の一人がリストラされる。
それを見て、自分には特別なスキルや能力もなく、将来的にもたいして上がらないだろう給料、これから結婚や住宅購入、果たして老後まで生き抜くことができるのだろうか、そもそもずっと会社にいられるだろうか、という漠然とした、でも消えない不安がもたげる。
そんな中、何度も強引に誘ってくる友人の「1回だけ来てよ」に応じてしまう。

この本は、読むだけなら単純に「MLMって怖い」「こんな風にハマっていくんだ」という感想になるかもしれない。
どこかで他人事と捉えた感想だったらそんなもんだと思う。
けれどここに出てくる主人公は、最初のMLMで借金を抱えて友達も失い、自分の選択を後悔し、心の底から「普通の生活がいちばんの幸せだ」と気がつき、すんでのところで穏やかな生活に戻るのだけど、それで終わらず、なぜかそこからまた別のタイプのMLMにのめり込んでいく。
え、なんでそーなる?
そういうもの?それとも彼だけが特別だったんだろうか。

最初のMLMにハマる過程は、わりと想像できる人も多いかもしれない。
友人に誘われてしぶしぶその「集まり」に顔を出した主人公は、初めましての人間に妙にテンション高く寄ってくる人たちの胡散臭さとか、グループの中で結果を出した人を表彰したり、成功体験を語り合うなどの儀式やパフォーマンスを通して盛り上がる独特の熱気に、最初は当然警戒する。

一度でも見たことがある人ならわかる、あの感じ。
私も見た事がある。
私の身近に大手MLMの会員がいて、すでにそこそこ上層部で、自分で人を直接勧誘することはなくなっているような人だけど、その人に正直に「入会ではないが別の興味がある」と話し、ちょっと潜入させてもらった事がある。
「集まり」もそれぞれランクがあり、いわゆる強引に連れていかれて入会に誘導させられるタイプのものは青木雄二の「ナニワ金融道」で読んだMLMの話と、だいたい似たような感じ。
成功への夢を抱かせて、入会を勧めるという流れ。

確かに、間違ってはいないんよね。
誰もが将来の経済的な不安があるのはその通りだし、自分でお金を作るとなると、才能や運が必要な芸術家や芸能人か、資金が必要な資本家か、犯罪くらいしかない中、MLMなら普通の人が特別な能力を必要とせずに作れる資産形成の方法ですよ、と。
それも、本当に良いものを人に伝えるだけですよと。

ところがこの資産形成には、代償がある。
人脈を切り売りするという代償が。
最初は主人公もどこかでそれをわかっていて、できるだけ大事な人に迷惑をかけないように本当に興味がありそうな人だけ声をかけたりとかしている。

でもこの「大事な人には声をかけない」時点ですでに充分後ろめたいことをしている自覚があるだろって話ですが。それに普通の人の人脈ってたかが知れているので、結局ちょっとずつ手段選ばずになってしまう場合も多いと思われ。
でもまぁ、そんなこんなでとりあえず新しい独特のコミュニティに属して、友人関係が変わっていく。それを特に普通のことだと捉えることもできるかもしれないけど、実は重要なポイントがあってそれは

「お金で繋がっていなかった友人を切って、お金で繋がっている友人に乗り換えていってる」ということである。

友人をMLMに勧誘すると問題だと私が思う理由は、友人の「人数」が減るんじゃなくて「質」が変わるから。お金で繋がっていない友人って時間をかけて信頼を得ている存在で、何億出したって買えないんだけど、その価値を見てなくて簡単に切っちゃってるってこと。怖くない?

で、この主人公もめでたく友人を失い、会社でも妙な噂をされるようになり、居心地が悪くなって、MLMで稼げるようになったタイミングでもともと勤めていた会社に辞表を出す。
そうなるともうMLMしか居場所がないので、そこを死守するためなら心も売る(媚びる)し、地位を維持するために借金もする。

というわかりやすいパターンにはまるわけだけど。

もう少し丁寧に見ると、もちろんMLMにいる人も、一人一人は善良な人間です。別に悪人なんていない。だからそんなに悪い場所だとは思えないという罠はあると思う。
ただしそこは「お金で繋がっている場所」なので、どれだけ優しい人の集まりだとしてもお金で成功した人が正義の世界。

この主人公はコミュニティの中で、しばらくは真面目に頑張って成績を上げるけれど、不運にも組織の女性会員に利用されて切り捨てられる。人柄ではなくその女性会員の方が格上だという理由で、皆が一気に自分からが離れていき、紐づいたマージンも切れ、収入も一気に断たれるという始末。

人生も分散投資しないと一気にダメになるという見本のような顛末。

2、2つ目のネットワークビジネス

どん底の主人公を救ったのは親友と家族。
半ば強引に退会させて、抱えていた在庫などの後処理もした。
主人公は皆に支えられてつつましくも穏やかな生活に戻り、新しい職を得られて、そのうち少しずつだけど任される仕事も増えていった。そんなある日、広告の仕事で行った営業先が、MLMの会社だった。
主人公が最初にハマったMLMは、良い品物を作り、口コミでどんどん売る、某大手の、まさにあのタイプ。
今度は、こじんまりとしたサプリ販売のMLMだった。
主人公は、一度地獄を味わった者として嫌悪の感情がふつふつと沸いて「この社長もうまいこと言ってサプリを売りつけようとしてるんだ」と思っているうちに我慢がならなくなって、単なる取引先であるはずの社長にぶちまける。
「あんたの商売はインチキだ!」と。

ところがその社長はさすがに一枚上手で、すぐに気を悪くしたりはしない。
「もちろんわかってるんだ。批判も、問題も。」と認め
「君もネットワークビジネスやってたの?」と聞く。そして
「そっか、大変だったね。でも君は何も悪くないんよ。」と共感を示す。
主人公は、自分が最初の失敗を経て穏やかな世界に戻ったと思ってたけれど、本当はまだまだ癒えてなかったのだと気づく。心の奥にくすぶっていた辛かったことをまさに今、聞いてもらえた。この人はわかってくれる人だ。一気に心が軽くなる。
で社長はなんか良いタイミングで「僕と一緒に、困ってる人を助けてくれないか。」と誘う。
はい入会。

芸術点の高い、見事なすり替え。
すごいよ、主人公は自分が充分すぎるほど経験して知っているから警戒もしていたし、最初はちゃんとインチキだって思ってたじゃん。なのに、なのに「わかってもらえた」瞬間、人間はいともかんたんに心を売る。
心の値段、安い、安すぎる。

で、主人公は、今度は社長が自ら開発したこだわりのサプリを心の底から応援する形で、一生懸命に人の悩みをただただ聞いてあげて、君も同じだね、僕らと一緒に活動しようよ!サプリを売ろう!
というタイプのこのMLMにのめり込んでいく。

出会ったばかりの人が自分の話を聞いてくれて、良い気分になり、その社長の気持ちに報いたくて、ついて行こうと行動を起こして、結果的に入会しただけなんだけど、あれ、なんでこんなことになった?
と本を読んでいるとちょっと不思議な気分になる。
一つ一つは良いことなのに、結果的にまたMLMになる不思議。
これって偶然?

これを考えるには、その背景から見ていこうと思う。
そもそも人間は他人の「心」をわかったり救ったりなんてできない、という大前提がある。
その一方で人間は、他人との心の関わりを求める生き物でもあるから、お互いに救ったり救われたりができると思いながら、結局は自分しか自分を救えないというジレンマのようなものがある。

結局この主人公はどうやら「自分をわかってくれた社長は本物だ」と、ご都合主義的な判断をして自分を他人に預けてしまった、ってことかな。
誰かを特別視し、崇めた瞬間、教祖と信者の関係ができる。
でも誰かを盲信したら、その世界に自分が縛られるので、その葛藤で今度は自分が苦しくなるはずなんだ。

なんだかよくわからん先生の講座を受けて、実質その人の手下になり、良いように使われているケースは、スピリチュアル業界などで多くある。
どうしてこうなるかというと、自分の頭で考えないから。
他人に乗っかろうとしているから。
そんな人には、たいてい向こうも乗っかろうとしてくる。

この物語ではその後、販売していたサプリが実は大手と同じラインで安価で作ったもので、何のこだわりもビジョンもなく、社長は単なる拝金主義者だったという展開になる。更にこのサプリで見逃せない健康被害が多数出て、組織の幹部だった主人公はメディアの前で大謝罪して、ひとまず2つ目のMLMは終わるのだけど。

3、3つ目のネットワークビジネス

3つ目のMLMというか、最後のシーンになるのだけど、2つ目のMLMの結末から主人公は中国に飛び、そのあと日本に帰ってきてMLMの会社を立ち上げる、というところでこの話が終わる。

結局MLMから足を洗うことは難しい、という結論なのだろうか。

主人公は、何度も何度も失敗をして、結構な痛い目にもあっていて、自分でもわかっているはずなのに同じことを繰り返す。これはなぜだろう。結果的にこういった立場に立ったとき、人は足を洗えるか洗えないか、それを分けているものはなんだろう。

ここからは私の考え。

最初の失敗で、お金を失った。友人を失った。コミュニティを失った。
ひとりぼっちでどうにもならなくなったが、そんな自分を見捨てず、救ってくれた親友や家族がいて、心から感謝の気持ちもあったと思う。ほんとうに辛かった。もう二度とこんな失敗はしない。そう思っただろうしその気持ちに嘘はないだろう。決心も固かっただろう。

それでも、結局それって「自分で」立ち直ってない。
他人に、物理的に安全なところに連れてってもらって「あー助かった」という状態。まずは肉体を助け出すのが大事だからそれは良いんだけど、もう一つやらなくちゃいけない重要なことを忘れてるんだ。
それは、自分で、自分のしたことを見つめて、反省とかじゃなくてただ見つめて、自分で自分に「頑張ったな」「しんどかったな」「もう大丈夫」って声をかけること。

MLMっていうのは「他人が考えた正解」でできている世界で、当然それは自分の世界じゃない。そこが違うと気がついて、体はそこから帰ってきたとしても、もうひとつ、精神を自分に戻す作業(儀式)が必要で、それは自分にしかできない。それが自分を深く見つめ、丸ごと認め、赦す、って事。
責めるんじゃなくて、ただ事実を受け入れて、赦すんだ。
キリスト教には懺悔というものがあるけれど、日本で基本的に無宗教で生きていると、懺悔というものが存在しない。
だけど自分と向き合う儀式として大事なものだと思う。
自分から目を背けると、いつまでたっても他人事で、次に何をしたってまた同じ失敗するんだこれが。

主人公は、1回目の失敗でどん底になった後、自分で自分の精神のケアをしなかったので、2回目でも、結局は自分を助けてくれそうな人のところに飛び込んだだけだった。シンプルに依存だった。

どこかでこの「他人への依存」のループを切って、自分に戻る作業をしないと同じことを繰り返すんだけど、逆に自分に戻れると

ネットワークビジネスはもう必要がなくなる。

4、友人じゃない集まりはMLMのニオイ

もう15年ほど前だけど、吉祥寺界隈で商売している人同士が集まる交流会が当時あって、そこにたまたま呼んでもらったことがあった。
地元の人なら名前を聞けば「あ、あのお店か」ってわかる、チェーン店でも新参者でもない、吉祥寺で長くやっている信頼できるお店などの経営者が集まっているような会だったので、もちろんMLMかどうかなんて疑いもしないし、実際MLMでもなかった。普通の会だった。

でも、小商いをやっているもの同士が集まるとどうしても

Aさん「こないだはお客さん連れて来てくれてありがとう。」
Bさん「いやいや、こちらこそ。うちの商品をそちらのイベントで使ってもらって助かってます。」
という、持ちつ持たれつがあり、それは普通のことのように思えるけれど次第に
Aさん「(次回もまたBさんの商品を使わなきゃ)」
Bさん「(また誰か連れてAさんのお店に行くか。さて誰を連れて行くか)」

みたいになる。
そこもそんな感じの空気があって、人脈を広げるような場だった。
私は、新規開拓要員で呼ばれたのだろうか。わからないけれど。
最初はおそらく他意はなく、良かれと思って相手へ与えることが始まるのだけど、何かしてもらったら何かしなきゃという「返報性の法則」というのが勝手に働いて、お礼、お礼のお礼、お礼のお礼のお礼、なんてことをやっているうちに自分を知らず知らず縛っていく。
で、集まることに意味があるので皆で集るし、成果をシェアして、全員で謎に盛り上がる。人と人が繋がるのはこういうことだと思ってしまうともう抜けられない。

こういうのはね、自分が商売をしていて、たまたま同業者と知り合い気が合って、そこから少しずつ仲間が増えていったというのなら健全なんだけど、最初のきっかけが友人ではないのなら、当然その集まりには何かしらのメリットを求めることになる。だって友人ではないのだから。(2回言う)
そういう集まりは、そんなつもりがなくても気がつけば「利益」とか「お金」でつながる関係になっているってこと。

私は名刺を忘れたことにして、その日限りで逃げたデス。

5、成功は、成功する場所でする

前述した某大手MLMの上層部の人は、うがった私の目から見てもすごく幸せそうな人。優雅に暮らしていて、好きなことだけする毎日。
話していても他人に何も求めないし、余裕がある。
そういう成功者を見ちゃうと、多くの人が私も同じように頑張ればそうなれるかも、と夢を持ちがちだけど、でも、そう思った時点ですでに成功はちょっと難しい。

なぜならそういう成功者は、どんなビジネスをやっても成功するタイプの能力者か、もともと人脈や何か特権的なアドバンテージを持つ人だから。
私の知っているその人も、一番下のランクから入ったわけじゃなくて、途中から割り込んでいる。要するにアドバンテージを持っているので最初から上層部に気に入られている立場だというわけです。
だから、MLMで成功したというよりは、勝つのがわかってて持ってるものを生かしてMLMを選んだだけ、と言える。

人は誰でも、自分がアドバンテージを取れる分野を見極め、そこで勝負するのが一番稼げるのだと思う。そして得意なことなので、得られる幸福度も高い気がする。それがいちばんの成功じゃないかと。

この本、本の内容が面白かったというよりは、商売とか心の失敗のパターンなんかを深く考えさせられた内容だった。そしてやっぱり自分の身に起こったら怖いと思う。
私は、基本は自尊心が強すぎて、押しつけられるのが大嫌いなので、答えが一つなんて世界は近づきもしないけれど、それでも人間、判断力を失っていたり、何か心の隙間ができている時はあると思うので、そんな時に踏み込んでしまわないとも限らない。

MLMもだし、新興宗教や、何か善意のコミュニティですらも。
人が集まるところにはその種だけはあると思うから。

ポルカてんちょ



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?