28歳になったら完全になる気がしていた
27歳のとき、自分自身が何だか不完全なような気がしていた。
元々人間というのは不完全なものなのだけれど、それにしても、何か足りない感じ。
そして、同時に、28歳になれば、自分は完全になるだろうと思っていた。何の根拠も何の兆候もなかったけれど、ただそう思った。
28歳になり、結婚相手を見つけた。
そこから、結婚式、息子の誕生、家づくり、次男の誕生と、休む間もなく生活は変化した。
確かに28歳は節目だった。
28歳で完全な自分になったというのは正確には違い、独身で好き勝手に生きていた自由で退屈な日々が終わり、新しい自分が始まったということだった。
28歳からの自分は、次の世代にバトンを渡すために生きているような感じがしている。
一応のゲームクリアはして、おまけモードをやり込んでいるイメージだ。
それが悲しいものとは捉えていない。
大きな流れとしてそう生きていくと良い感じがするから、それに合わせて生きているだけ。だから、良いとか悪いとかの話ではないと思っている。
30代中盤になった現在の自分もまた、不完全な気がしている。
なりたい自分であろうと心がけて生きているし、今の生活に不満はない。でも、もっと先に本当に自分の目指しているものがあるような気がする。
例によって、何の根拠も何の兆候もないけれど。
現在の私はこの感覚を、27歳の時よりも前向きな気持ちで捉えている。
これからの自分はもっと面白くなっていくぞと、楽観したまま進んでいくつもりだ。
この記事は、2021年3月14日の日記を基にしたものである。
自分を不完全なものだと思うのは、決して悪いことじゃない。むしろ、これで十分だ、これ以上やることは何もないなんて思いながら生きていくほうが不健全とすら思う。
幸せになろうとしているが、楽をするだけでは満たされない。
辛いことは避けたいが、辛いことを乗り越えて今の自分がいるのも確かだ。
適度な塩分が、甘みを引き立てる。
「人生とは何か?」
「自分は何を目指しているのか?」
長い人類の歴史の中で、人生とはこういうものだと定義できた人はいないのだから、その問いの答えは永遠に見つからないのかもしれない。
いや、見つからなくていいのだ。
見つからないからこそ、探し求める価値がある。
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