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《実話》25歳から進化した私
はじめに
改めまして、M.Jです。
今回の記事、自分自身の経験したことについて書くのですが「自慢話になりそうだった」ので、今まで書くことを控えていました。
「書きたい」が「書けない」ということですごく悩み続けていました。
ただ、自分にとっては「すごく進化した」と思う出来事だったので「どうしても書きたい」という思いで書くことに決めました。
私の人生の岐路は「25歳」だったと自信をもって言えます。「25歳」の時点で「進化」していなければどうなっていたか「こわい感じ」しかしません。
M.Jの「25歳からの進化」、M.Jの実際の経験「嘘のようで本当の話」をご覧になってください。
リハビリテーションの部門開設に関わる
私は「25歳」の時、◇病院に勤務していました。当時、◇病院は脳卒中の後遺症などの患者さんが多く「リハビリテーション(以下、リハビリ)」の部署が必要になっていました。ちようど、就職活動をしていた時に◇病院が「リハビリの職員」を募集していたので、応募して採用されました。
私としては『新しいことが出来る』という「ワクワクした気持ち」で、◇病院で仕事をすることになりました。
しかし、意外と「リハビリの部門開設」は大変な部分が多かったのです。
リハビリテーション部門の開設で学んだこと
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「リハビリの部門開設」といっても想像できないかたが多いと思います。どのようなことをして、どのようなことを学んだのでしょうか。
①リハビリ室のレイアウト図面の作成と道具の設置
病院に新たに「リハビリ室」ができるので、ワクワクしていたのですが、その話を聞いた1日後に「これはやばい!」という恐怖感に変わりました。
まだ、道具が置かれていない「400へーベイの大きな部屋」の「どこに何を配置するか」という感じだったので、すごく重い任務だと感じました。
これに加えて、ほかにもリハビリの職員が1人居たので「話し合う必要性」「折り合う必要性」があったのです。
話し合いの結果、400へーベイの「約4分の1を配置してもいい」ということになりました。ただ、これが意外と大変だったのです。どんなことに気をつけたのでしょうか。
《レイアウト図作成で気をつけていたこと》
〇患者さんの歩行通路の確保⇒リハビリ室を1週回るので・・・
〇訓練用ベッドの配置⇒患者さんの急変もあるので「できるだけ病棟から近い位置」に配置すること
〇患者さんが病棟から来た時の「待つ場所」を配置すること
〇患者さんが使用する「ちぎり絵・パズルなど」の位置を配置すること
②病棟やデイケア職員に対する説明
リハビリの部門自体が無かったので、特に病棟やデイケアの職員の人たちへの対応は難しかったです。
「どんなことをするのだろうか?」ときかれていたので、明確に伝える必要性があったのです。
患者さんにとって「病棟職員またはデイケア職員とリハビリ職員の関係が良好であること」は重要だったので、うまくコミュニケーションを取らなければなりませんでした。互いに「協力する」ために、現場に行って「話し合い」もしっかりしていきました。
軌道に乗るまでは、信頼関係がほとんど無かったので「一所懸命」に頑張るしかありませんでした。
③すごく厳しい物品請求
リハビリを実施していくうえで「患者さんの訓練をする道具」は欠かせないものです。ただ、道具は「たくさんあれば良い」というわけではないので「病院の事務経費」の部分を考慮しないといけませんでした。
どのようなことに気をつけていたのでしょうか。
《物品請求において気をつけていたこと》
⑴ 実際に患者さんの訓練で使用する道具を揃える
患者さんにとって必要な道具を揃えることが「すごくハードルの高いこと」でした。事務のほうでは「経費節減」をかなり言われていたので、自分自身「物品請求」にはすごく厳しい姿勢で臨んでいました。
1つの無駄で「病院が赤字になる」ことも考えられたので「必死になるしかない」感じでした。
物品請求については「私に任せられていたので、ミスはできない!」という強い思いで、シビアに実行していました。
「何人の患者さんに必要な道具か?」「すぐには要らないが、急に必要になってくるので…」ということを考えて買物をしなければなりませんでした。
事前に買物リストを用意しても悩んでしまったので、100円ショップや激安ショップに「4時間以上居る」こともありました。
組織のことを考えないといけなかったので、事務への説得もかなり「気合」を入れていました。
⑵ 開設基準で必要な道具を揃える
④患者さんやご家族に対する接遇
病院は知られていたのですが、リハビリは「何をするのだろう…」という感じだったのです。最も気を配ったのは「患者さんやご家族に対する接遇」です。
「言葉づかい」「説明」「優しい」これらの3つは患者さんやご家族にとって重要なので、これらのことを熱心に行なっていく必要性がありました。
ですので「言葉づかいが悪い」「説明が不十分」「冷たい」と言われることがないように「自分自身を律する」しかありませんでした。
「患者さんやご家族からクレームが出ないようにする」ことはすごく難しいことでした。必死に一人ひとりに「向き合って訓練する」しかなかったのです。
⑤道具の後片付けや電気の消し忘れチェックなど
ご覧になっている皆さんも「面倒くさいから後片づけと電気は…」となりますが、当時私は「25歳」でしたので「後片づけの忘れや電気の消し忘れ」があると、翌日にリハビリの職員や病棟の職員から「厳しい𠮟責」がありました。特に、電気に関しては「消し忘れないこと」が大事だったので「指差し確認」や「声出しによる確認」を徹底して実行していきました。
⑥全体の動きの把握
リハビリ部門の職員数は、2人という状態だったので「少ない人数で多くの患者さんをみる必要性」があったのです。当時、外来の患者さんも通院されていたので「全体を観察する」ことは必要不可欠だったのです。
もう1人の職員が居ましたが「管理業務」で、リハビリ室を離れることが多く「リハビリ室全体のリスク管理」が必要なことが多い感じでした。
患者さんに「何らかの出来事」あった時に「対応できる状態」にしておかないといけなかったので「400へーベイの部屋全体を観察すること」や「リハビリ職員が居るか居ないかを把握すること」は絶対にしなければならない業務でした。
また、全体を見るための工夫も試行錯誤しながら実行していました。
《全体を見るための工夫》
○自分の身体を少しだけ後ろに置く
⇒人間は後ろには目がないので「全体を視界の中に入れる」ことが目的
○「自分自身は完璧ではない、何か忘れていないか」という疑問を持って仕事をする
⇒「ヒヤリハット」や「クレーム」の防止が目的
部門の開設でM.Jが学んだこと
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どこからか「噓だろう!」という声が聞こえてきそうですが「15年以上前に実際にあった話」です。
リハビリの通常業務(患者さんやご家族に対する接遇を含む)に加えて、前述した①・②・③・⑤・⑥を行なっていたのです。
当時は、かなり忙しく「管理職のような視点」をもって業務を行なっていました。
同じような環境で仕事をしている人が少なかったので、「1人で試行錯誤すること」が多かったです。
部門の開設は「楽しい部分」が多かったのですが「ミスやトラブルは、極力避けなければならない」という厳しい部分もありました。
部門の開設で学んだことは、たくさんあります。
《1》「全体(病棟・デイケア・外来・事務など)の流れを観察する能力」《2》「広い部屋を見渡す能力」
《3》「経費を観る能力(無駄遣いをしないことなど)」
《4》「重要事項のミスをしない能力」
《5》「同じミスをしない能力」
《6》「言葉づかいを丁寧にすること:私の場合は標準語で話すこと」
《7》「コミュニケーション能力(ある程度の・・・)」
上記の《1》~《7》は、自分ひとりで「全体を把握しないといけない厳しい状況」にならないと身につかないと思います。
これらの能力を「25歳」で身につけることができた「◇病院の環境」にはすごく感謝しています。厳しい部分もありましたが「自分から進んで動かないと何も始まらない」という「進化した考え方」が身についたと思います。
「受動的な行動」ではなく「能動的な行動」しかないと思うキッカケになりました。
試行錯誤しながら「自分から動く姿勢」を徹底することができるようになったのは「厳しい環境のおかげ」だと思います!
今となっては「有り難い環境で仕事ができた」と思います。どうもありがとうございます!
利用者らしくはすごく難しい
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嘘のような「本当の話」いかがでしたか?
前述したように、私にとっては「25歳」は自分の人生の「大きな岐路」だったと思います。
「25歳」で「進化」していなかったらと思うとゾッとします。
「人間的に成長しないまま40歳を超えるのは有り得ない」と思ったので「進化すべきだった」と思います!
ただ、M.Jは現在「精神障害者手帳」をもって「就労継続支援A型事業所」にて仕事をしています。「利用者」という立ち位置で仕事をしています。
15年以上前に「リハビリ部門開設をした時の感覚・考え方」が抜けず、支援員さんから「迷惑な感じ」に思われています。
「気づいたら動く」ことが身についてしまい「立ち止まって、支援員さんの意向を聞いて止まる」ことができていません。
一度身についた「管理職のような視点」を「消してしまう」のは、すごく難しいです。
「自分よりも全体を考えてしまう癖」が抜けないで、支援員さんから「それは支援員の仕事!」と言われてしまいます。
「気づいたら動く」のを止めるのは、ずっと続く課題なのかもしれません。
この記事をご覧の皆さん、これを「止める方法」があればアドバイスをお願い致します!
ご覧いただき、どうもありがとうございました!
今後とも、M.Jの記事をよろしくお願い致します。
推奨サイト
以下は、私の素敵な仲間(利用者)と支援員さんが一所懸命に仕事をしている「TANOSHIKA CREATIVE」のサイトです。ご覧になっていただけると有り難いです。
推奨:TANOSHIKA CREATIVE
以下は、TANOSHIKA CREAITVEの「AKARI」のサイトです。素敵なライターたちが記事を書いています。ご覧いただけると有り難いです。
推奨サイト:AKARI