自分で自分の心を開く方法について、一年越しに考えてみる(2024年度10月の対話のテーマ:心を開く)
皆さんお久しぶりです!note係のゆうかです🌝
もう11月ですね。季節が過ぎるのがとても速く感じます。
早稲田哲学カフェでは、先月の29日に哲学対話を開催いたしました!
テーマは、「心を開く」。
ちょうど1年前に私が初めて哲学カフェのnoteを書かせていただいた際、自分が執筆のテーマにしたのが「心を開く」でした。
1年越しに同じテーマで外部向け対話を開催していただき、懐かしさと共にこのテーマについて様々な方が考えてくださる機会ができたんだと感じて、嬉しいです☻
今回の対話では、そもそも心を開くという概念を持っていなかった方もいらっしゃれば、
一方で心について敏感になりがちな方も参加していらっしゃったようで、
「心」との向き合い方は人によって異なるのだと改めて実感できました。
一年前にメンバーが交代でこのテーマについてnoteを更新した際も、
私が他者に対しての自分の心の開き方について書いていた一方で、ちせさんは自分で自分の「心を開く」ことについて書いていたのが印象的でした。
同じ言葉でも、人によって浮かぶイメージがこうも異なるのかと驚いたことを覚えています。
さて、この経験を踏まえ、
今回のコラムでは、あえて一年前の記事とは異なる角度から「心を開く」ことについて考えていきたいと思います☻
先ほども少し触れたように、私は「心を開く」のは相手がいるからこそできることだと思っていました。
しかし、今回は自分で自分の心を開くことについて書いていきたいと思います。
(まだ読んでいらっしゃらない方は、哲学カフェnoteの「自分の内部を他者に見せること。(テーマ:「心を開く」)」をぜひ読んでみてください!)
私の中での「心を開く」の定義は、一年前の記事とあまり変わっていません。
自分の内部の奥深くの部分、あまり触れてほしくなかったり直視できないようなものを誰かに見せること。
つまり、この「誰か」を、他者ではなく自分にすることが、
「自分で自分の心を開く」ことだと思います。
こうした部分と自分自身で向き合っていくこと。
具体的には、ノートやスマホのメモ帳に自分の感じていることを全て書き出したり、
時間があれば、一人になる時間を作って自分の内部に埋まっている事柄についてひたすら考えることなどができると思います。
もちろん、ひたすら考えたり見つめるだけが、「向き合い方」ではないと思います。自分のことについてずっと考えていると疲れたり苦しいこともあるはずですし・・・。
自分の内部にあるものを、一つの事実として距離を置く。
例えば、自分にはこんな卑屈なところがあるんだな…まあそれはしょうがないか。変わるかもしれないし変わらないかもしれないし。まあいっか。みたいな。
距離を置くのも、しっかり見つめ続けるのも一つの向き合い方だと思います。
その時の自分の状態に合わせて、好きな方法を組み合わせるといいと思います。☻
ちなみに…あきひとさんの過去のnoteでも紹介されていましたが、
ノートに自分の感じたことを書く、いわば日記は私もおすすめします☻
個人的には、スマホのメモ帳だと際限なく言葉を書けてしまうため、
自分が今後どうしたいのか結局何を感じてるのか収集つかなくなることも多いです。^^;
紙の日記はスペースが限られているから感じたことを簡潔に整理することができ、
次の行動にも早く切り替えられると感じます。
また、紙にシャーペンで書く作業が最近減っているからでしょうか?紙の手触りに癒されたりもします。🐈
みなさんは、もし日記を書くならノートやスマホ、もしくはほかの媒体、どんなものにしますか?
今回のnoteは以上となります✿
読んでくださった方々ありがとうございました!!
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