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「みみずくは黄昏に飛びたつ」

高校を卒業した春、僕は時間の許す限り本を読み漁ることにしました。きっかけはよくわかりません。本を読むことで自分が少しでも深い人間になれるような錯覚をしていた気もします。僕はパソコンのエクセルに読んだ本を一つ一つメモしていき、積み重なっていくリストに満足を覚えていました。中でもよく読んだのが村上春樹です。それは僕にとって重大な出会いであり、その先の村上春樹愛読人生の始まりでした。

とはいえ、僕は村上春樹の何に惹かれているかと聞かれてもうまく答えることができませんでした。(それは今でも)。僕はただ不可思議な村上春樹の小説世界に惹き込まれ、彼の小説でエクセルのリストを膨らませ続けました。そんな最中に出会ったのが、「みみずくは黄昏に飛びたつ」です。これは小説ではなく、小説家の川上未映子による村上春樹のインタビューを記録した本です。この本を通し、僕はほんの少し村上春樹の世界に近づけた気がしました。

普段自分の小説について語ることの少ない村上春樹が計4日間にわたるインタビューの中で、彼の小説や小説との向き合い方についてなどを幅広く語っています。

この本の最大の魅力はもちろん謎に満ちた作家自身の内奥に迫っていけるところにあります。そもそも彼はなぜ小説を書くのか。小説で何が書きたいのか。どうやって書くのか。川上未映子の鋭い視点を通し、作家の特異な小説観が語られていきます。当時の僕が衝撃を受けた言葉にこんなものがあります。

村上 当時の文芸世界、というか文芸業界で一番幅を利かしていたのは、いわゆる「テーマ主義」だったと思います。そして僕はそういうものにはほとんど興味を惹かれなかった。
川上 何について書くというところから始まって。
村上 だから、『ねじまき鳥クロニクル』なんて、この小説のテーマは何なんだと言われたら、全く答えられない(笑)。なんか馬鹿みたいです。

川上未映子・村上春樹『みみずくは黄昏に飛びたつ』(新潮文庫、2017)

小説を読むことをただ一つの核を見つける論理ゲームのように思っていた僕からすると、あまりに受け入れ難い言葉でした。でも同時に、自分が村上春樹の小説に感じつづけた異質さに納得がいった気もしました。そんな風に、この本を読みながら往年の謎が解けたり、また深まったりもしました。

この本のもう一つの魅力は、村上春樹が手放しで礼賛される本ではない、というところにあります。インタビュアーの川上未映子は様々な質問をすると同時に、彼女自身が彼の小説に感じていた違和感などを率直にぶつけます。

川上 つまり、女の人が性的な役割を全うしていくだけの存在になってしまうことが多いということなんです。物語とか、男性とか井戸とか、そういったものに対してはものすごく惜しみなく注がれている想像力が、女の人との関係においては発揮されていない。女の人は、女の人自体として存在できない。(中略)いつも女性は男性である主人公の犠牲のようになってしまう傾向がある。なぜいつも村上さんの小説の中では、女性はそのような役割が多いんだろうかと。

川上未映子・村上春樹『みみずくは黄昏に飛びたつ』(新潮文庫、2017)

川上 例えば『ねじまき鳥』では、生命維持装置のプラグを抜いて現実の綿谷昇を殺す、手を下して裁かれるのはクミコです。『1Q84』でも、リーダーを現実に殺すのは青豆なんですよね。(中略)あえてフェミニズム的に読むとしたら、「そうか、今回もまた女性が男性の自己実現のために、血を流して犠牲になるのか」という感じでしょうか。(中略)だから、物語の中でも女性は男性の自己実現や欲求を満たすために犠牲になるという構図を見てしまうと、しんどくなるというのはありますね。

川上未映子・村上春樹『みみずくは黄昏に飛びたつ』(新潮文庫、2017)

基本的に敬服の対象とされている世界的作家にこういったリアルな疑問を直接ぶつけているインタビューというのはあまりありません。この批判に対する作家の返答からは、納得できる部分もあるし、依然批判が有効な部分もあります。大切なのは、どちらが正しかったというよりは、この会話の中で読者がさらに村上春樹について、そして文学一般の正義についてなどを考えていくことができる点です。実際、この批判に対する返答から、読者は作家のさらに深部まで潜っていくことができます。

村上春樹の作品を読む一方、彼の小説をメタ的に、理論的に考えたことはないという人は多いと思います。「みみずくは黄昏に飛びたつ」はそういった人のためにも、あるいは村上春樹に全然興味のない人にも、文学について新たな視点から思考を巡らせる良いきっかけを与えてくれる本だと思います。作品はたくさんの小さな章に分かれていて、時間のない時でも手軽に楽しめてしまうので、興味が湧いてきた方はぜひ読んでみてください。


あきひと

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