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みけこの散歩24(離れたら見えること)

 実家の庭木は、この半世紀以上前から、おそらく庭師さんに剪定をしてもらったことはなく両親が適当に切っていた。
 切り過ぎだの、形が悪いだのと二人で揉めながらも、木の方が時と共に新たな枝葉を付けてその歪さは隠されてしまう。
 だから、本人たちは上手くやっているつもりだ。

 しかし、さすがにここ数年は年老いた両親が脚立に登っての剪定は無理になった。高枝切り鋏で届く範囲もしれている。
 私がちょこちょこと地面から出来る範囲の枝払いをしたところで大きくは変わらない。

 そのため近年は、春先には茂る葉がうっとおしいと文句を言い、夏場は木陰がありがたいと喜び、もみじが葉を色付かせ、その後一斉に葉を散らすと掃除が大変だとまた文句を言う。

 ならば、庭師さんに入ってもらえばいい。
プロの植木屋さんにお願いすれば済むこと…
ところが、予約を入れようして費用を見た途端に母が激怒。
「そんなに高いなら私が切る!」
 しばらく揉めて、結局私が庭木の剪定をすることに。

 暑かった今年も11月に入るとやっと涼しい日が増えてきたところで、何度か「植木屋さんに頼む、いや高い」の会話を繰り返し、まだ暑いからと先延ばしにしていた剪定にいよいよ挑戦。

 小さな庭なのにもみじも、なんだかよくわからない常緑樹もみんな3メートルは超えている。
 父は「全体的に揃えてくれたらいい、突き出ているやつを切ってくれたらいい」とまるで散髪屋に座ったような調子だ。

 確かにベランダから見るとピョコピョコと出ている枝が目立つ。
 少し離れた場所から見てもはみ出した感じの枝が気になる。
よーく見てイメージを覚え、そろそろと脚立に登る。
 私の背よりも高い脚立。

 来週、推しのライブに初めて行けるのだから絶対怪我なんかしたくない!
 地面は意外と平らではなく、脚立をどう置いても少しガタガタするのを我慢して立ち上がる。

えっ?

 目の前は緑のもみじの葉だらけ。
近い!近過ぎる…
素人にもほどがあると、ひとり笑い潔く降りた。

 少し離れた所にまた脚立を立て直す。
 登って見ると、今度は木の中に頭を突っ込むことはないけれど、やはり飛び出ている枝というのが、さっぱり分からなくなる。

 ドローンにハサミを付けて、ちょいと離れた所から木を見ながらチョキチョキっと出来たらいいのになぁ!
などと、今は出来ないアイデアを膨らませ、もう一度脚立を降りて…

 あとほんの少し脚立の場所を調整して、そろそろと気をつけて登る。
そして、もはや迷っていても始まらないと、大きな剪定バサミでエイヤーとばかりに切っていく。

 その後、脚立と高枝切り鋏のコラボなどあれこれ工夫しながら、どんどん切って、切って…そのうち切った葉や枝が自分にかかるのも気にならなくなってくる。

 形はよくわからないけど、無心になって切る。

 渦中に居る人ってきっとこんな感じなんだ。
 離れて見れば分かるのに、離れて見たとしても、そこからは手が届かない。
 離れて見ている他の人も分かっていても手出しができない。  
ただ、無我夢中、一生懸命。

 腕が悲鳴をあげ出して、ようやく切るのをやめた。
そろそろと脚立を降り、無事帰還。

 ここからは、落ちた葉や枝の掃除。
時折強く吹く風が隣家の前まで葉を飛ばす。

 あまり遠くまて散り飛ばされないうちにと急いで掃き集める。

 ここは所謂、住宅密集地。向かいの家も斜め向かいにも葉が散ってないかよくよく気をつけて見回す。

 もうとっくに昼は過ぎたし、やれやれと道具を片付ける。

 そこへ出て来た父…
まあ、綺麗になったなと言いつつ、あそこをもうちょと切って欲しかったと。

「ならば、剪定中に出て来い!」と苛立つ言葉は飲み込んで、
「また今度な」の言葉にした。

 ー そして後日、ネットでもみじの剪定についての記事を見つけた。
やり方が詳しく書いてある。小さな枝を切り落とすような剪定を続けるのは良くないと。
変な形になっていくらしい…
やっぱりプロに任せるのが良いんじゃないか…
こんな無駄骨を折ることがなんと多いことか…


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