推し活やめよう!

「推し、燃ゆ」の中に、主人公が推しのことを自分の背骨だと形容するモノローグがあった。

実際その通りで、背骨のない人種はなんとかして推しという背骨を埋め込んで人の形を保っている。

推しは背骨

推し活を賛美する風潮が嫌いだ。
経済効果が生み出されるからもてはやされる言葉なのだろうか。
世の中には推しに依存するタイプの人間と、ふわふわ推しを変えて健全に楽しむタイプの人間がおり、後者の人間には推し活を人生を彩る程度のスパイスで収める力があるのに対し、前者の人間にとって推し活はほぼ害悪だ。

私は前者で、推しを背骨として移植してしまうタイプだ。推しのことしか考えられない。他の何もかもがどうでもよく、熱意のある期間は推しに使う金額を冷静に考えられなくなるほどに。

クソみたいな出来の乙女ゲームのスマホアプリに2万課金した。大したことない額と思うかもしれないが、ポケモンは1万円もしないであんなに楽しめる。3DSのカセットは6000円だが、めちゃくちゃ楽しい。(私はガチャに2000円以上は課金しない)

デキ婚で結婚して、私が降りたのちに不倫で離婚した俳優をガチ推ししていた。対して顔も演技もうまくなかった。その俳優はのちに別の俳優とのお金関係のトラブルをTwitterで晒し上げた。いい歳してTikTokで踊っていて見るに堪えなかった。

有名コンテンツの舞台化でキャラ俳優同一視をするオタクに推しが敗北した。同一視のクソオタクに媚びた推しは、相方キャラの俳優がカノバレした挙句交際相手に酷いDVをしていたことが判明して以降ぱったりと媚をやめた。

推し活はストレスマッチポンプ

推しでときめいて、推しに自分で叶えられない未来を仮託し、金を出し、時間を費やし、心を削り、頭を削り、いつしか費やした分の見返りを求め出す。推し周りでストレスを溜め、推しでストレスを発散する。

推しが憎いと思っても、推しを背骨に移植してしまう人間は「次の背骨」が見つかるまで背骨を替えられない。

私は人を見る目がないようで、なぜか大概生身の推しはヘンテコな人間で、まあまあな問題行動を起こす。
いやむしろ、この世に担降りがごまんとある以上オタクも含め問題を起こさない推しの方が珍しいのだろう。

直近で推していたひとも、2年ほどの推しフィルターが切れたあとは惰性で1年推していた。もう文句しか言えないだろうと感じたので、一抜けた!をした。
降りる降りると言っておきながら今までついつい見に行ってしまっていたので、関わる情報をシャットアウトすることにした。

新たな背骨はまだ見つかっていない。腕の骨くらいなら見つかった。
そもそも他人を背骨にするだなんて、気が狂っているということ自体は気がついている。もう何年も前から推しとなった誰かに依存している。

こんなしんどいことを推奨するな

ニュースでも最近推し活がどうのと聞こえてくる。
そんなものを推奨するな。地獄を見るだけだ。
と思いきや、どうやら推奨する側の推しているものは生身の人間よりゆるキャラであったりアニメキャラであったり、酷い言い方をすれば生温い、ゆるい健全な楽しみ方をする対象ばかりだった。

やはりそうだ。推しに依存する人間には推し活はできやしないのだ。

ちょっと待って!😅✋

え、ちょっと待って。話が違う。推し活ってそんな生優しいものじゃない。もっと殺伐としてて、蹴落としあい、憎しみあい、時に推しに文句を付けてでも粘着するものじゃないの?

なんて思う私の側がおかしいんだ。
推しは悪くない……とも言えないが、純粋に推しに文句なく楽しんでいる人がいる以上、推しに不満を感じた時点ですでにマーケティング対象ではなくなったのだ。
潔く降りなければ。

ていうか推し活とか向いてない。やめよう。
世間はこれ以上推し活の才能のない人間に推し活を推奨しないでほしい。

降りた先の虚無

じゃあ降りたらどうなるのかというと、私は背骨を失う。
もう直近の推しは背骨から引き離すことに少しずつ成功したので(=嫌いなところを言語化できるようになった)。

背骨を失って歩いた経験がないので、この先がわからない。
推しという逃避先を見失った今、現実に目を向けるしかなくなる。
逃げ場のない状態で現実に向き合わないといけなくなる。

めちゃくちゃ恐ろしい。現実に向き合いたくない。
虚無のまま現実に向き合うとか、そんなの耐えられないんじゃないか。

担降りして虚無になった人、お加減いかがでしょうか。
ぜひ体験談を聞かせていただけると幸いです。
ついでに背骨をなくした状態で生きるコツとか、教えてくださるとありがたいです。


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