noteとか書くこととか
お久しぶりです。今回は原点に立ち返り、自分がnoteへの投稿をしていることと、文章を書くことについての位置付けについてお話しできればと思います。
そもそもこれをやっている1番の理由は、種々の事柄のアウトプットです。僕は結構めんどくさがり屋で、情報をいろんな媒体から取り込むだけで満足しがちなのですが、たまには自分の持ってるものを吐き出したいという欲に駆られます。それを手軽にできるのがブログです。人と話すこともそうですが、僕はそんなに人脈がない上に、こんなことを話す人ってそんなに多くないので、必然的にブログを書くと言う形が一番いいのです。
最近特に、自分自身のこととか、生きることについて考えることが増えました。一番は将来について悩むので、そこから逆算的に今の自分にも目が向くと言う感じです。また、以前から読んでいた本の嗜好も純文学から完全に哲学とか心理学に移ってます。自分で考える→たまに本を読んでみる、新たな発見があったりする→また考えてみるの繰り返しです。で最近色々と考えがたまってきたので、久しぶりに書いてみようかと決心しました。今回は段落ごとにかなり長文で、淡白な文章になってしまいますが、興味がございましたらお付き合いください。
1 考えること
まず、考えることについてです。僕は基本的に自分のことを考えることが多いです。これはそもそも僕が人見知りで大学生になってから自分の対人能力の弱さに絶望し、なぜ人とこうも違うのかと悩んでいたことがきっかけです結構ネガティブな悩みが強くて、これうつ病なんじゃないかと自分を疑いかけたこともありました。でも、悩みから入って色々と考える中で、考えることって意外と悪くないかもって思ってます。考えることは、ソクラテスじゃないですけど、善く生きることへの入り口だと思ってます。僕は善く生きたい。「善く」が何かはわかりませんが、とにかく考えることで自分が試行錯誤して生きていこうという姿勢を持つことができていると思います。
2 書くこと
これ自体の頻度は少ないですが、書くことで自分の真の思考と偽の思考がはっきりします。これはつまり、自分はこう考えていたつもりだったけど、実はこうなんじゃないかと書くことで初めて気が付けると言うことです。また、「そもそも言語化できるレベルにあるのか」もはっきりします。数多くの思考のピースそれぞれが、はっきり言語化できるのか、まだ曖昧なのか、それともこれからも曖昧なのか、言語を通すことができないのか。いくつかに分類できると思っていて、書くことで一つ一つのピースが整理されている感覚があります。
3 発信すること
ネットで発信することも重大な意味を持ちます。これはつまり自分の書くことに責任を持ち、少なくともある程度読める言語レベルに帰着させることを意味し、これが自分の頭に良い負荷をかけてくれている感じがします。
4 言葉を選ぶこと
僕は例えやワードチョイスが秀逸な人、単語の組み合わせに魅力を感じられる人になりたいという願望があります。それは僕自身がそういう人に憧れを抱いているからです。たくさんの本を読み、ブログを書くことを通して魅力的な言葉選びが自己満足を超えて他人の心を動かせるようになれば一人前なのかなと思ってます。